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「佐山」
芽生を抱き付かせたままの相良京介から呼び掛けられて、佐山は姿勢を正した。
さすがにこんなに人目のある場所で暴力沙汰にはならないだろうが、後ほど別の場で……というのは十分考えられる。
それを覚悟した上で神田芽生を見失ったことを報告したのだが、さすがにここまで空気をピリ付かされたのでは構えずにはいられない。
ごくりと生唾を飲み込んで、佐山が「はい」と答えたと同時、芽生が「京ちゃん……!」と会話に割り込んできた。
(すげぇな)
今のカシラに声を掛けられること自体、芽生のことを強者だと思ってしまった佐山だ。
「お願い、ブンブンを叱らないで? 悪いのは私なの!」
しかもカシラがそれに対して〝なんだ?〟とか〝どうした?〟とか一切返していないのに、そのまま話を続けてしまえることに一種の尊敬の念さえ覚えてしまう。
加えてその内容が、どうやら自分を庇おうとしてくれているらしいともなれば、その想いはなおさらで……。
佐山が思わず芽生の背中へ視線を向けたら、彼女を胸元にしがみ付かせたまま、カシラから凍り付くような目で睨み付けられる。
佐山だって色んな経験を積んできて、それなりに自分は肝が据わっている方だという自負があった。だがカシラから向けられたそれは、そんな自信が根こそぎ掻っ攫われてしまうような……そんな恐ろしい視線で、目なんて合わせていなくても、京介の全身から立ち上る雰囲気には周りを威圧する圧迫感があった。
現に、声を荒げているわけでもないのに、自然とカシラの周りだけ人が大きく避けて通っているのが分かる。
佐山は我知らず、喉の奥がヒリつくのを感じた。
それなのに、芽生はそんな近寄りがたいオーラを発しているカシラに縋りついたまま、その中心にいながらもカシラの顔をじっと見上げて続けるのだ。
「罰なら……私が全部受けるから! だから……」
「佐山には何もするなって言いてぇのか? なぁ子ヤギ。お前はそんなに佐山のことが大事なのか?」
〝アイツ〟と称された上、ちらりとこちらに投げかけられたカシラからの視線に、佐山は蛇に睨まれた蛙よろしく身動きが取れなくなる。
(これ、絶対大事って言っちゃダメなやつだ)
直感的にそう思った佐山だったのだが、芽生は「大事に決まってる! だって、ブンブンは毎日私のために色々頑張ってくれてるんだよ!?」と言い切るのだ。
瞬間、絶対零度というのはこういうのを言うんだろうと思い知らされた佐山である。
「そうか……」
熱を微塵も感じさせない声音で静かに落とされた〝そうか〟の三文字が、これほど怖いと感じられたことはないかもしれない。
「……佐山。テメェの処分は芽生から話を聞いたあとで決める。俺がいいって言うまで自宅待機だ」
淡々とした声音で「分かったな?」と念押しされて、佐山は「……分かりました」とやっとの思いで言葉をひねり出した。
「千崎。悪ぃが佐山が乗ってきた車でそいつを家まで送り届けてやってくれや。あと……」
そこまで言って、芽生を見下ろすと、「今から明日丸一日の予定はみんなキャンセルだ」と告げる。
佐山は相良京介の雰囲気に気圧されて、今まで彼の斜め後方にカシラの腹心である千崎雄二が控えていることに気付けないでいたことに軽くショックを受けた。
そうして、いつもならそんなことを言う京介をたしなめるはずの側近中の側近の千崎でさえも、何も言えずに会釈をしてカシラの言うことを了承したことにも驚かされてしまう。
「――行くぞ、佐山」
鷹槻れん

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月詠 涼
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千崎にグイッと腕を引っ張られてその場から引き剥がすように連れ去られながら、佐山は正直ホッとしたのだ。
あの場にこれ以上居続けたら、寿命が数年単位で縮んでしまうような、そんな気がしたから。
もちろん、自分を庇ってくれた芽生のことは気になるけれど、佐山は「はい」と答えながら千崎のあとに続いた。
***
千崎に連れ去られていく佐山の背中を後ろ髪を引かれるような思いで見るとはなしに見つめていたら、「行くぞ」と抑揚を感じさせない声音で京介から呼び掛けられて、返事もしないうちにグイッと手を引かれる。
いつもなら芽生の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれる京介が、小走りしないと追いつけないスピードで進むことに京介からの怒りを思い知らされるようで、芽生は不安でたまらなくなった。
「京ちゃっ、待っ……」
しかも掴まれているのが〝手のひら〟ではなく〝手首〟というのも、『逃がすつもりはない』と告げられているようで、なんだかすごくイヤだった。もちろん逃げるつもりなんてなかったけれど、気持ちの問題だ。
芽生が速度を緩めて欲しいと懸命に抗議しても、京介は芽生の方を振り返ってくれさえしない。
芽生はマンションに飾ろうと思って入手したガラス製の小さなクリスマスツリーと、それから下ろしたての現金が入った鞄を落っことさないようギュッと強く握りながら、京介のあとを追う。
サービスカウンターに、京介のために買ったネクタイが預けっぱなしになってしまうのが気になったけれど、今はそれをどうこう言えそうな雰囲気ではなかった。
***
車の中でもずっと口をきいてくれなかった京介に、泣きそうになりながらマンションへ戻ってきた芽生である。
久々に乗った京介御用達の高級車を運転していたのは、顔見知りの石矢恭司だった。声を掛けたかったけれど、車内のピリピリした空気の中「お久しぶりです」なんて言えるはずもなく、一言も交わさないままに車を降りた。そのことにモヤモヤした芽生だったけれど、車内でもずっと手首を放してくれなかった京介に配慮して我慢したのだ。
「芽生、コンシェルジュに連行されてるみてぇに見られたくなかったら、俺の前をしっかり歩け」
マンションのエントランスへ入る直前、京介から冷たく言い放たれて、やっとのこと手首を解放された芽生は、「逃げようなんて思うなよ?」と付け加えられて、思わず京介を涙目で睨んだ。
「なんで私が逃げると思うの!?」
京介からそんなふうに思われていることが悔しいし、なにより悲しい。
芽生の訴えに、京介は自嘲気味に鼻で笑うと、「まぁ逃げたら佐山に迷惑が掛かるもんな?」と返してきて……それがさらに芽生の心を深く抉った。
「何でそんなこと言うの? 京ちゃんの、バカ!」
手荷物を持つ手にギュッと力を込めると、芽生は京介の返事を待たずに自動ドアを潜り抜ける。
「お帰りなさいませ、神田さま、相良さま」
途端、コンシェルジュの女性に礼儀正しく頭を下げられて、芽生はモヤモヤとした気持ちのままマンション内へ足を踏み入れたことを後悔した。
「た、ただいま戻りました……」
声に、グチャグチャにかき乱された気持ちが滲まないよう気を付けながら会釈をすると、そんな芽生のすぐ後ろを京介がなにも言わずに早く行けとばかりにせっついてくる。
「な、んで……」
いつもならスルー出来たかもしれない。でも心がささくれだった今は無理だった。
「なんで京ちゃんはコンシェルジュさんに『ただいま』を言わないの? そういうのは人として駄目だと思う!」
これはある種の八つ当たりだと自分でも分かっている。何故なら京介が、言葉にこそ出さずとも彼女らに対して目配せで労うさまを見せたり、軽くうなずくことを欠かさないと知っていたからだ。
だけど芽生の理不尽な抗議にでさえ、京介は何も言ってくれない。
(いつもなら揶揄うみたいに笑ってくれるのに)
そう思うと、芽生はものすごく悲しくなった。
京介と一緒の時はエレベーターへカードキーを翳すのは彼の役目だったけれど、今は芽生の方が先んじて歩いている絡みで、なんとなく芽生がその役割を果たさないといけない気がして。
(鍵……)
腕に買い物してきたモノを引っ掛けたまま鞄の中をゴソゴソやっていたら、背後からヌッと伸びてきた京介の腕がセンサーへキーを当てて、エレベーターを作動させてしまう。
いつも通りの行動なのに、それさえ『お前に頼るつもりはない』と線引きされているみたいに感じられて、芽生は居た堪れない気持ちになった。きっと、そんな他意はないだろう。そう頭では分かっていても、心が理解してくれないのだ。
***
エレベーターの中でもずっと無言のままだった京介とともにトボトボとした足取りでマンションの玄関を潜った芽生は、靴を脱いで玄関先にそろえたと同時、「本当ムカつく……」と背後の京介に吐き捨てられて、ビクッと身体を跳ねさせた。
「京、……ちゃん?」
芽生が恐る恐るそんな京介を見上げたら「なんで言いつけを守らなかった?」と冷ややかな目で見下ろされる。
「あ、あの……私、今日、お給料日で……それで」
現金が下ろしたかったのだと言ったら盛大に溜め息を落とされた。
「金なら俺が渡してやってんだろ」
「それがイヤだったんだもん!」
不機嫌な京介は怖いけれど、芽生にだって言い分はある。
荷物を持つ手に力を込めて、鞄の中から財布を取りだした芽生は、中から五万円掴むと、「これ、京ちゃんに返す!」と彼の前に預かっていた現金を差し出した。
月の頭に京介から渡された五万円は、もちろん少し使ってしまっていたけれど、それを下ろしたばかりの給料で補填したのだ。
「それは俺がお前にやったモンだろぉーが」
不機嫌そうに、突き出された金を受け取ろうとしない京介の手をギュッと握って、芽生はお札を押し付ける。
「私、家も食べ物も光熱費も……お小遣いでさえ京ちゃんに負んぶに抱っこなのよ!?」
「俺が構わねぇって言ってんだから気にするこたねぇだろ」
「気にするよ! だってそれじゃまるで子供みたいだもん! 私、ちゃんと自分で稼げる大人だよ? 京ちゃんにいつまでもお子様扱いされるの、ヤダ!」
芽生はもうじき二十三なのだ。それは一般的には大人の女性として扱われる年齢だし、実際京介以外からはそうされている。
「ことあるごとに京ちゃんが私のことを娘みたいに扱うのもイヤ! 改めて欲しい!」
幼い頃からの付き合いだから、いつまでも保護者気分が抜けないのは仕方ないのかもしれない。でも、芽生はそんな現状を打破したいのだ。
「だから私、ブンブンに無理言ってお金、下ろしに連れて行ってもらったの! もちろんブンブンは反対したし、カムカム近くのATMだって危険だからって却下された」
それで佐山を説得してショッピングモールへ行ってもらったのだと付け加えたら、京介が忌々し気にガシガシ頭を掻いて、堪え切れないみたいに胸の内ポケットから煙草を取り出して咥えた。身に纏っている香りで京介が喫煙者なのは知っていたけれど、今まで芽生の前で吸うことなんてなかったから。彼が初めて自分の前で煙草に火をつけたことに、芽生は戸惑ってしまう。
「さっきから黙って聞いてりゃ、ブンブンブンブン煩ーんだよ」
「……え?」
煙と一緒にを吐き出された京介の言葉の真意が分からなくて、芽生は落ち着かない気持ちで彼を見上げた。
「アイツの名前は佐山だろ。なに親し気にあだ名で呼んでやがる」
万札を差し出したままの手首を京介にグッと掴まれて、ハラハラと紙幣が床に舞い落ちる。それを視界の端に捉えながら、芽生は京介を見詰めることしか出来ない。
「そういう不用意な言動のせいで、組ン中でお前ら二人がなんて呼ばれてんのか知ってんのか? あ?」
掴まれたままの手首に力が込められて、痛みに思わず眉根を寄せたら、すぐさま手の力が緩められた。それでも咎めるような視線だけはそのままだったから、芽生は京介から視線を外せない。
正直、京介の組の中で自分たちがどう噂されているのかなんて芽生は知らない。知らないけれど、あだ名で呼び合う仲なのがいけないのだとしたら――。
「……ブンブンは私のこと、〝神田さん〟って呼んでる! あだ名でなんて呼ばれてないよ?」
芽生と呼んでくれてもいいと言っても、頑なに一線ひこうとする佐山のことを思い出しながら恐る恐るそう言い訳したら、「んなの当たり前だろーが!」と一喝されて、答えを間違えたのだと分かった。
「そもそも何で金を下ろしに行っただけなのに佐山をまいた?」
「それは……」
『京ちゃんにクリスマスプレゼントを買いたかったから』だなんて言えるわけない。
「いつもお世話になってる人にプレゼントを買いたくて、それで……」
「わざわざ佐山をまいたってこたぁアイツ用か」
ぼそりと落とされた言葉に〝違う〟と言おうとした芽生だったのだけれど――。
コメント
2件
これは京ちゃんのやきもちとしか(笑)
第14話、読み終えました……! 不機嫌な京介、怖かったですね。でも「佐山の名前をあだ名で呼ぶな」っていう嫉妬の裏側に、芽生への独占欲と甘えたい気持ちが透けて見えてグッと来ました。特に煙草に火をつける場面、今まで我慢してたんだなって感じがして。芽生が「お子様扱いヤダ」と自分の言葉で伝えたのも、彼女の成長を感じられて好きです。次も楽しみにしています🌷