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「100日後に愛する君と」
第1話 —邂逅—
僕が「ほとけ」と呼ばれるようになったのは、皮肉だった。
組の人間はみんな、血に飢えた人間を「仏の顔も三度まで」だなんて嘲笑う。
――三度目に笑わないのは、いつだって僕だったからだ。
組長の懐刀。
そう言われた。
容赦のない制裁役。
そう見られた。
僕は淡々と指を折り、関節を砕き、銃を突きつけ、額を撃ち抜いた。
血が飛び散っても、眉ひとつ動かさなかった。
組のため。
家族を守るため。
必要なことだと思った。
だけど、そんな僕が今夜――奴に出会って、初めて「殺すべきか」「殺したくないか」を迷った。
梅雨入り間際の東京は、湿気が重たい。
今夜の取引場所は廃工場だった。
「来てます。相手の組。……先方は六人。こっちは八人で囲めます」
耳元のインカムから若頭の声が低く響く。
僕は灰色のコンクリート壁に体を預けたまま、煙草を口に咥えた。
「……様子は?」
「武装確認。拳銃複数、刃物も。覚醒剤の現物は向こうが持ってる」
「取引額は?」
「三千万」
「……馬鹿らしいな」
安い血の値段だ。
麻薬を売る連中に交渉なんて通じない。
ここ数年、うちの縄張りに向こうの組が手を突っ込んでくる。
若い衆にクスリを売り、女を抱かせ、借金漬けにして兵隊にする。
組長は「潰して来い」と命じた。
「取引成立させるフリで連れて来い。あとは……」
「わかってます。射殺で」
「……いいよ」
僕は煙草を投げ捨て、靴底で踏み消した。
夜風が生温く吹き込む。
ポケットから黒革のグローブを出して手にはめた。
息を吐く。
この役目は僕にしかできない。
廃工場の奥で、奴は待っていた。
雨漏りした屋根からしずくが落ちる鉄臭い空間。
サーチライトが乱反射する中、六人の男たちが無造作に立っている。
その中心に、ひときわ異質な奴がいた。
黒いスーツ。
ワイシャツの第一ボタンを外し、だらしなくネクタイを緩めている。
ポケットに手を突っ込んだまま、鋭くこちらを見据える瞳。
濃い青みがかった黒髪が湿気で張りつき、薄く笑んだ口元。
「よう。やっと来たかいな」
声が思ったより低くて、そして――関西弁だった。
「……あんたが取り仕切ってるのか」
僕が冷たく問うと、奴は肩を揺らして笑った。
「ま、そういうこっちゃな。いふ、て呼んでくれたらええわ」
いふ。
その響きを呑み込む。
初めて会う名だったが、情報は入っていた。
最近関西方面から勢力を拡大し、関東の組織にクスリをばら撒きながら地盤を築く危険分子。
あちこちで流血沙汰を起こしていると聞いていた。
「商売敵に顔を売りに来たのか」
「顔売るんは大事やろ? 血ぃ流す前に。ほんで……そっちさんも話まとめに来たんやろ?」
奴は周囲を見回した。
僕の背後の若衆たちも、奴の取り巻きも、お互い銃を隠し持っているのが丸わかりだった。
「三千万。現物は?」
「あるで」
奴が合図すると、後ろの一人がスポーツバッグを投げて寄越した。
僕の部下が受け取り、中身を開けた。
そこには銀色のパックがぎっしり。
「上物や。香港ルートやからな。カットも雑やない」
「上物だろうと関係ない」
僕は冷たい声で言った。
「こんなもんをうちの街に流したら、どれだけ死人が出ると思ってる」
「死人が出たら金も動く。そんなん常識やんけ」
奴は真顔でそう言った。
何の悪びれもなく。
ほんの少し、心が冷たくなる。
けれど――奴の目は笑ってなかった。
その奥に、何か別の感情を隠していた。
「だからこそ止める必要がある」
「止めるんは、銃か? 力か?」
奴はニヤリと笑った。
挑発するように。
「ええやん。好きにしてくれて。俺も好きにするさかい」
「……そうか」
僕はグローブを締め直した。
部下たちが構える。
奴の側も腰のホルスターを握った。
張り詰めた空気。
僕は一歩踏み出し、銃を抜いた。
同時に、奴も抜いた。
轟音。
弾丸がコンクリートを抉り、火花が散る。
怒号が飛び交う。
雨漏りのしずくが血飛沫に混じる。
数秒の銃撃戦。
仲間の悲鳴。
敵の呻き声。
弾倉が空になる感触。
すぐにナイフを抜いて飛び込む。
「いふ!!」
僕は叫ぶように名前を呼び、正面から斬りかかった。
奴も動いた。
ナイフが交錯する。
火花が散るほどの勢いで金属がぶつかり、息が荒くなる。
互いに組み合い、壁に叩きつけあう。
工場の奥の鉄柱が震える。
「お前らのやり口は……腐ってる!!」
「そっちこそ善人ヅラすんなや!! 所詮ヤクザが何言うとんねん!!」
「人を不幸にすることを正当化するな!!」
「せやから正当化もクソもない言うてんねん!! 生きるためにやっとんねん!!」
刃が交わるたびに声が割れる。
息が詰まるほど近い距離で、目が合う。
血走った瞳。
恐ろしいのに、なぜか……奪われそうになる。
どうして――こんな目をしてる。
僕は心臓を抉られるような感覚に襲われた。
理解できない。
こいつを殺す。それが任務だ。
殺さなきゃならない。
なのに。
「……ッ!!」
一瞬の隙。
奴が肩を打ち抜いた。
痛みが走る。
「……ほとけ、言うたな?」
息を荒げ、銃を構え直しながら奴が言った。
「ええ名前やんけ。ホンマに仏になってくれるんか?」
「……黙れ」
僕は唇を噛んだ。
血がにじむ。
「お前を地獄に送るのが、僕の役目だ」
「ほうか。ほな、殺しに来いや」
互いに銃を向ける。
雨音が強くなる。
遠くでパトカーのサイレンが聞こえた。
部下たちは散り散りに逃げていた。
取引は潰れた。
お互いに損失だ。
でも、引けない。
「……次は、必ず殺す」
「期待しとるで。……ほとけさん」
いふは血を流しながら、笑った。
それは、挑発でも勝利の笑みでもなかった。
疲れ切ったような、諦めたような。
けれど、どこか――僕を認めるような。
僕は銃を下ろせなかった。
でも、引き金を引けなかった。
「……くそ」
その夜、取引は決裂した。
双方死傷者を出し、警察沙汰になり、組は激昂した。
次こそ潰すと決まった。
けれど、僕の脳裏には、奴の目が焼き付いて離れなかった。
組に戻った夜。
肩の銃創を縫合しながら、鏡を見た。
自分の目が濁っているのを見た。
いふの目は――あんなに澄んでいた。
狂っているのに、何かを必死に守るように。
「……なんなんだよ」
独りごちた声は弱かった。
自分でも気持ち悪いと思った。
こんな感情は初めてだ。
次に会ったら、必ず殺さなきゃいけない。
だけど、会いたいと、どこかで思っていた。
敵同士。
殺し合い。
でも、何かが始まってしまった夜だった。
コメント
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なんか…いいわぁ…
テス......勉......((((殴 敵同士か......いいね......