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夏目莉央
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131
くま🐻☁️
12
私は虚しくソファーに残された。恥ずかしさから、カーディガンを掻き合わせる。
部屋から戻ってきた朝倉くんは、なぜか笑顔だった。
「瞳子さん、第二回目の触れ合いの前に済ませたいことがあります。それは……」
朝倉くんが、バンッとダイニングテーブルに用紙を置いた。
「婚姻届です!」
緑で縁取られた枠と文字が印刷されたA4用紙。
「……っ!」
私の身体が小さく跳ねる。
「婚姻届を出しましょう! ほら、僕の署名は済んでいます。次は瞳子さんが書いてください」
彼が私の記入欄を指で示す。
その緑の枠を見ていたら、頭の片隅から、あの朝倉美麗の強烈なビジュアルが浮かんできた。
『結婚できると思っているの⁈』
あの美しくも冷たい眼差しが、胸に突き刺さる。
心臓がバクバクと鳴り出し、血の気が引いてくるのがわかった。
美麗さんの言葉は、家に帰ってからも頭から離れなかった。
この婚姻届に私が署名すれば、祐二さんとの結婚は一気に現実になる。
もちろん、私は彼と結婚したい。
だからこそ、強硬突破をしたら、後々大変なことになる。
それだけは容易に想像できた。
霞む目をしっかりと開く。
「朝倉くん。私たち、これを提出する前にやらなければならないことがあると思うの」
私は、明確にやるべきことを自覚した。
朝倉くんは、相変わらず家族の話をしてくれない。
母親と確執があることは理解している。
だけど、このまま二人だけで結婚を進めてはならない。
「何か忘れていますか⁈」
首を傾げる朝倉くんを見る。
彼は、きっとこれが最善だと信じているのだろう。
私と結婚することだけを見て、その先にあるものを考えていないのかもしれない。
(母親の話をしないと……)
そのとき、胃がキリキリと痛み出した。
眉を寄せ、みぞおちのあたりのシャツを握る。
(やっぱり、今日は無理だ)
美麗さんの前では、あれほど強気に振る舞えたのに。
今になって、その言葉が身体の中にまで染み込んでいるようだった。
でも、今日の私は弱っていて、それを口に出せなかった。
なにか、ほかの言い訳を探そう。
「……保証人が必要よ。だから私が書いても、すぐには出せないわよ」
ふふ、と軽く笑って、婚姻届をテーブルの端へと押しやろうとした。
その手を止められた。
ギョッとして彼を見ると、にこりと笑っている。
「心配ご無用! 水谷さんと三田さんが、喜んで保証人になってくれました!」
「……ええっ!」
私は急いで婚姻届を確認する。
右斜めに流れるような水谷さんの文字と、丸文字の三田さんの署名が並んでいた。
準備万端で婚姻届が用意されていたのだ。
「……本当……だ」
「あの二人は、僕たちのことを心から祝福してくれているんですよ」
「そ、それはよかったわ」
朝倉くんは、若いのに私なんかよりも一枚も二枚も上手だ。
私が逃げ道を探していることなど、最初からお見通しなのかもしれない。
「さあ、次は瞳子さんの番です」
朝倉くんがペンを差し出してくる。
私はペンに手が伸びない。
「ほらほら」
私の腕を取って、無理やり持たせてくる。
追い詰められた私は、視線が泳ぎまくってしまう。
「瞳子さん?」
彼が不思議そうに見てくる。
「……頭痛がするの」
私は苦し紛れにそう呟いた。
「体調が悪いんですか? なら、早く休まないと!」
彼が私の背中をさすって心配してくれた。
(朝倉くん、ごめんね……)
罪悪感から、本当に頭痛がしてくる始末だ。
「ありがとう。これはまた明日以降に書くわね」
私が一旦預かろうと手を伸ばすと、彼がすっと婚姻届を取ってしまった。
「いいえ。僕が瞳子さんの代筆をして、提出しておきますね♡」
何が何でも提出したいという気概がすごかった。
(この強引さ……嫌でも、あの人のDNAを感じてしまうっ)
「それ、文書偽造になっちゃうからダメよ! 私がきちんと書くから」
私が注意すると、彼はしゅんと大人しくなった。
「わかりました。では明日、体調がよくなったら、絶対に書いてくださいね」
ダメ押しで確認してくる。
私は自信なさげに、小さくうなずくだけだった。
「では、瞳子さんは明日に備えて寝ましょう!」
彼に抱きかかえられ、ベッドに連れていかれてしまう。
ベッドに寝かされ、首元まで布団をかけられた。
「瞳子さんは、なんの心配もありません。ゆっくり寝てくださいね」
そう優しく声をかけてくれたあと、不意打ちのキスをしてくれた。
重たかった心が、少し軽くなるような感覚があった。
「……ありがとう」
朝倉くんの言う通りだ。
今日は心身ともに疲労が溜まっている。
今の状態で美麗さんと向き合っても、また言葉に負けてしまうだろう。
まずは、落ち着かなければならない。
そして、やらねばならない課題もはっきりした。
朝倉家に結婚の挨拶を済ませる。
これが、結婚するためのけじめだ。
祐二さんがどんな家の出身なのか、どんな家族と暮らしてきたのか。
まだ知らないことは多い。
だからこそ、結婚する前に、私自身の目で確かめなければならない。
私は課題解決に向けて、まずは体力を回復することを優先することにした。
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