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それから一週間、やりかけだったハンカチを仕上げると朝食後のお茶を自室で飲みながら、今度はフィリップへ送るハンカチのデザインをゆっくり考えていた。
その時アリエルは、エントランスが騒がしいことに気づくとアンナを呼んだ。
「エントランスが騒がしいけれど、誰かお客様でもいらしたの?」
アンナは慌てた様子で答える。
「お嬢様、た、大変です!!」
「なんですの?」
「お、おおおうたたたたいし、で、で、で、殿下が!!」
「落ち着いて、殿下がどうされたの?」
「エントランスに、殿下が!!」
アリエルはピンときた。きっとアラベルを迎えに来たのだろう。前回もエルヴェがアラベルを迎えにきて頻回に出掛けていたのを覚えている。
私が会いに行っても門前払いで会ってもくれませんのに。と、当時のアリエルは惨めになったものだった。
「そう」
落ち着き払ってそう答えると、アリエルは刺繍の道具が入った籠を手元に引き寄せながら言った。
「アラベルと出掛けるのでしょう?」
「え? えぇっ? あの、アラベルお嬢様とですか?」
「そうよ。そんなことよりアンナ、少し相談がありますの」
そう言って手招きすると、手元のハンカチを見せた。
「お母様へのハンカチは先日完成しましたわ。それで、今度お父様にハンカチを作ろうと思っていますの。そのデザインなんですけれど……」
そこでドアがノックされる。二人ともハンカチから視線をドアに移し、顔を見合わせるとアンナが部屋にきたメイドに用件を聞きに行った。
その間アリエルはアンナの背中を見つめながら、もしもエルヴェが自分に用事があるのだとしたら、アラベルが言ったことを真に受けて文句を言いにきたに違いない。だとしたら、なんとしてでも会わないようにしなければならない、と思った。
アンナは振り向くと満面の笑みでアリエルに伝える。
「お嬢様、王太子殿下はお嬢様をお誘いのようです!」
「それは間違いではなくて?」
「はい!」
わざわざ誘ってまで文句を言わなければならないとは一体エルヴェはアラベルにどんなことを吹き込まれたのか、アリエルは思わずため息をついた。
そしてしばらく考えると、それを伝えにきたメイドに言った。
「貴女、このままアラベルの部屋に行って殿下が誘いにきていますと伝えてちょうだい」
アンナは驚いてアリエルの顔を見つめた。
「お嬢様?!」
メイドも困惑気味に答える。
「でも、王太子殿下はアリエルお嬢様と仰いました。それにアラベルお嬢様は……」
そこまで言って口ごもる。
「大丈夫、アラベルなら喜ぶはずですわ。顔は同じなのですもの、殿下にしてみればどちらでも同じよ。それに、アラベルを直接殿下の前に連れて行ってしまえばいいのよ。これからはそうしてくださるかしら?」
そう答えると、アリエルは手元の籠の中に視線を戻した。メイドは困っていたが、しばらく考えると頷いて部屋を出ていった。
アリエルはエルヴェと対峙するのに今はまだ心の整理ができていなかった。会って酷い姉だと罵倒されれば、怒りに支配され何を言ってしまうかわからず、冷静に話をするためにはもう少し時間が必要だと感じていた。
「お嬢様、よろしかったのですか?」
「よろしかったもなにも、きっと殿下がアラベルと私を間違えただけですもの。問題ありませんわ」
そう答えると刺繍に取りかかった。
それからなぜか毎日のようにエルヴェがアリエルを誘いにくるようになった。当然アリエルは全てアラベルを誘うように仕向けた。
だが、流石にそれが一週間も続くと罪悪感を覚えたため、エルヴェがくる時間帯は散歩に出掛けて屋敷にいないようにすることにした。
ホラント家の近くには庭園があり、散歩をするのには困らなかった。
「アンナ、結局毎日散歩に付き合わせてしまってごめんなさいね」
「いいえ、私も最近は毎日お嬢様と散歩ができてとても楽しいです。でも、王太子殿下のお誘いをお受けしなくても本当によろしいのですか?」
「そうね、よくないと思いますわ。殿下もですけれど、私も少し意地になってるのかもしれませんわね」
「はぁ」
そんなことを話しながら庭園の花々に触れ、散歩を楽しんだ。そうしていつものコースを歩いていると、不意に向こうに絶対にいるはずのない人物が立っているのに気づいた。
アリエルが立ち止まり驚いてアンナの腕を引くと、アンナは驚いてアリエルに訊く。
「どうされたのですか?」
「どうもこうも、向こうに王太子殿下が立ってらっしゃるのよ!」
「えぇ? 王太子殿下が、ですか?」
アンナはそう言って前方を見つめる。
「そう、早く向こうに気づかれないうちに隠れますわよ!」
アリエルはそう言うとアンナの腕を引いて垣根の向こうへ体を隠し、エルヴェが通りすぎるのを待った。
なぜここに殿下がいるのだろうか?
そう疑問に思いながら息を殺してエルヴェが通りすぎるのを待っていると、肩を指先でつつかれる感触がした。まさかと思いながらアリエルがゆっくり振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべたエルヴェが立っていた。
「やっと会えたね」
アリエルはなんとか作り笑顔をして返すと、気を取り直して仕方なしにカーテシーをして返した。
「こんにちは、王太子殿下」
「かしこまった挨拶はいらない。ずっと君に会いたかった。さぁ、顔をあげて」
そう言われてアリエルは八年間恋い焦がれ、そして自分を信じてくれずに破滅へ向かうのをただ冷酷に蔑んだその瞳を見つめかえした。
「アリエル、私と少し話をしないか?」
「はい、王太子殿下の仰せのままに」
アリエルがそう答えると、エルヴェはアリエルの手を取って近くのガゼボまでエスコートした。アリエルはもう逃げられないのだとがっかりしながら、エルヴェの背中を見つめた。
連れてこられたガゼボにはクッションやお茶が用意されており、エルヴェがアリエルがここに来るのを知っていて用意させていたのだろうことがうかがえる。
文句を言うためだけにここまでするなんて、と アリエルは冷めた目でエルヴェを見つめたが、エルヴェはアリエルと目が合うと優しく微笑んだ。
「さぁ、座って」
「はい、仰せのままに」
そう答えてアリエルが座るとエルヴェが隣に座ったので、アリエルは直ぐに立ち上がると無表情で言った。
「王太子殿下の隣に私のような下賎の者が座るなんて、恐れ多きことにございます」
するとエルヴェも立ち上がる。
「君が立つと言うなら、私も立たねばならないな」
アリエルはそこでエルヴェの前に跪くと地面に額がつきそうなほど頭を下げた。
「仰せのままに。本日はどのようなご用件でいらせられたのでしょうか?」
エルヴェは慌ててアリエルの前に膝をつくと、アリエルの肩に手を置く。
「アリエル……、お願いだ、頭をあげてくれ。座って話をしよう」
アリエルはここまでされてなぜエルヴェが怒らずにいるのだろうかと不思議に思いながら答える。
「はい。仰せのままに」