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リューデシアと剣を交えた日の夕暮れ時のこと、ソラマリアはレモニカと共に灯台へと足を向けた。見張り台でもあるので拒まれるかと思ったが、そもそも見張りは誰もいなかった。要塞に比べると典雅な趣がある。煉瓦造りながら基礎は波打つような造形で、灯見には電紋の如き幾何学的な彫刻が施されている。そして灯室には立派な火盆があるが明かりは灯されていなかった。
西の彼方へと沈み行く昼と東の彼方から登り来る夜が混じり合う、驚異が野原からやって来て、神秘が空から降りてくる不思議が最も活動豊かな時間帯だ。
「船とやらはいつ来るのかしら?」海を眺めながらレモニカは問う。
不滅公ラーガがこの地に要塞を建てた理由だ。船を待つのが目的であり、船が来たなら全ての封印を譲ってくれるのだという。
「さて、来るのでしょうか?」
「お兄さまが嘘をついていると?」
「いいえ、正々堂々としたお方です。しかし、たとえば事故があったのかもしれません。北極海は大層な荒海だと聞きます」
「そうね」レモニカは赤と紫の混ざりあった夕景を眺め、景色の感想でも述べるように言葉を紡ぐ。「……今の内に言っておくけれど、ユカリさまがお兄さまから封印を奪うとお決めになったら、わたくしはユカリさまに付くわ」
「私はレモニカ様をお守りするだけです」
「まだ何も聞いていないのだけれど」
「何とお尋ねになるつもりでしたか?」
「……ヴェガネラの子は他に二人いるのよ? そして貴女もまたお母さまの娘」
「ヴェガネラ王妃と私の生きる道は違います」
「騎士として? 義姉として?」
「どちらでも構いませんが、私自身は、ただソラマリアとしてそう決めたのです。これからも貴女の旅を支えると」
「そう、ありがとう。後悔させない旅路になると良いのだけど」
「まずは解呪、ですね。解呪を果たした後のことはお考えなのですか?」
「二つの道があるわね。ユカリさまの魔導書探しを手伝うか、大王国に帰り、祖国に尽くすか。もしくはどちらも。魔導書探しは解呪より先に果たされる可能性もあるけれどね。どちらにしても、今のわたくしに出来ることなんて無きに等しいのだけれど。誰にも口外しないでね」
「もちろん。約束します」
全ては絵空事に近い先の話だ。肝心の解呪すらほとんど目途が立っていない。唯一の希望すら魔導書という危うい存在なのだ。それも魔導書を憑代にした解呪の魔術は上手くいかなかった以上、解呪について極まった魔導書がある可能性に賭けるしかない。
「すみません。聞いてしまいました」と誰かが言った。
ソラマリアはレモニカを抱き寄せ、剣を抜く。
「どこだ? 姿を現せ」
「刈る者と申します」そう言って二人の背後で火盆が人の形に姿を変えた。
頭は蜂、そして革鎧に身を包んだ戦士の姿だ。
「たしか庭師の使い魔だったか。なぜこんなところに?」ソラマリアの問いは鋭かったが、剣は収められた。
「私に出来ることはないというので。私だって生垣とか、防御に使えると思うのですが。ここで見張りをすることに」
「どうなさいますか?」ソラマリアはレモニカに問いかける。
「どうにもならないわ。秘密を明かすように【命令】されたら隠し事は出来ない」とレモニカは思案しながら答える。
「【命令】されない限りは口外しませんよ。興味ないですし、私はどの派閥でもないので」
「ご自身の行く末はどうお考えなのですか?」とレモニカの方は興味を引かれた様子で刈る者に尋ねる。
行く末というのは魔導書を封印すれば心を持つ使い魔たちにとって死と同然かもしれない、ということについてだ。
「いいえ、何も。私の愛した人は既に失われ、ただその愛だけを抱えて存在しているのです。今ここが行く末なのですよ」
百人いれば百通りの人生がある。それは使い魔にとっても同じことだ。
「では刈る者さん、一つ頼まれごとを聞いてくれませんか?」
レモニカの願いに沿って、要塞と灯台の間に庭が築かれた。エルモールの避竜宮の庭に出来るだけ似せて作られたそれは、季節に似つかわしくない花壇、清らかな噴水、静かな四阿が設えられている。
ソラマリアはレモニカに手を引かれ、まるでお忍びであるかのように四阿に入り、優雅に長椅子に腰かける。
「憧れだったの。おね、じゃなくて、お兄さまの密談。何か話したいことはない?」
「さっきほとんど話してしまいました。結果的に密談ではありませんでしたが」
「それもそうね。うーん。何かなかったかしら?」
「密談という訳ではありませんが、一つ宣言しておこうと思います」
「え? 何かしら?」レモニカは期待に目を輝かせてソラマリアを見つめる。
ソラマリアは立ち上がるとレモニカの前に跪き、剣を脇において主の手を取る。そして手の甲に額を乗せて宣言する。
「我が名はソラマリア。ミーチオンに生まれ、シグニカに育ち、ライゼンに仇なし、雷神にして王妃ヴェガネラの慈悲の下、改悛せし者。血の繋がらぬ義姉として、また第一の騎士として終生レモニカ様のおそばにてお守りすることを誓います」
この儀式はごっこ遊びのようなものだ。しかしソラマリアの性格を考えれば、想いは本物であり、決して嘘や冗談ではないはずだ。レモニカは神聖な儀式に臨む時と同様に感情を抑え、言葉を紡ぐ。
「わたくしも、きっと、きっと、貴女に相応しい人間になることを誓うわ」
日が沈み、灯台の火が灯り、魔法の気配が消え、北風が思い出したように吹き、一夜の夢のように花壇が枯れ果てるまで二人は四阿で時を過ごした。