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救済機構の僧兵たちは東から、昇る朝日と共にやって来た。それは曙光を背負いし堂々たる進軍で、奇襲する気などさらさらないようだ。使い魔の所持割合でいえばユカリたちと大王国は合わせて半数以上所持しているのに対し、残りは機構とエニ派で割れている。ただし兵数は機構側に分がある。千人に満たない大王国に対し、五倍程の兵力は仮初の要塞以上の威圧感を伴っていた。踏み鳴らしている訳でもない足音が波のように迫ってくる。背後の海の波音にも負けていない。
グリュエーは胸壁の狭間から、手に負えない失火を眺めるような面持ちで軍勢を見渡す。
ノンネットはまだ聖女になっていないのか。聖女でも止められなかったのか。考えても分からず、ただ記憶の中にあるノンネットとの約束を反芻する。とはいえ、聖女になったからといって昨日の今日で救済機構を変えられるはずもない。
救済機構の軍勢の中から一人が進み出る。使者らしい。使い魔であるらしく、黒い僧衣の胸元に分かりやすく封印を貼り付けている。
見た目は特異なところのない中肉中背の男だが、これから重大な交渉を持ち掛けようという様子ではない。まるで散歩でもするような軽快な足取りで、陽気な笑みを浮かべ、鼻歌混じりにやってきた。それだけ見れば魔性の如き不気味さは感じられないが、その立場まで分かっていると不自然な存在感があった。
「えーっと、機構の要求は一つ、らしいです!」と使い魔は朗々と、しかし軽薄な声色で宣った。「護女エーミの解放だけだってさ! 望むならばこちらの魔導書を全て譲ってもいいとのことだよ! 破格だね!」
思わぬ要求にグリュエーは飛び上がればいいやら、身を竦ませればいいやら分からなかった。これまでずっと救済機構の方針はグリュエーを聖女にしたいことであり、しかしノンネットに代替わりさせることでもって諦めたのだ、とグリュエーは思っていた。まさかノンネットの次の代になることを求めているとは思えない。
大王国の戦士たちも、謎かけの答えではなく問い自体が理解できない時のように混乱している。そのほとんどはグリュエーのことも救済機構との因縁についてもまるで知らないのだ。ただ一人の少女が何枚もの魔導書と交換条件で釣り合うなどと、信じ難いことだ。
大胆な交渉材料を持参してきた機構の使者の下へ魔法少女ユカリがどこからか飛んできた。皆が見上げ、太陽に目を眇める。魔導書で変身した時に比べると不安定なことにグリュエーは気づいた。今のユカリは決して強力な存在ではないはずだが、その身に浴びる視線には魔導書に対するものと変わらない畏怖が込められている。
最早大陸の東西に知らない者のいない悪名を背負う魔法少女が両軍の中間地点に降り立つ。跨っていた杖を片手に使者と対峙する。当然ユカリが大王国を代表する訳がない。勝手に出向いたのだ。救済機構の使者の使い魔もそのことは分かっているようだが、ユカリを歓迎するように笑みを見せ、手を差し伸べる。ユカリもまた同じように手を差し伸ばし、しかし使者の手を握ることなく、使い魔の封印を剥がし取ってしまった。
貼られていた僧侶は何者だったのか、自由を取り戻しても機構の元へ戻らず、逃げるように走り去った。
これに対し、神聖な儀式が中断されたかのように両陣営から非難の声が上がる。使者は交渉者であり、最後の理性と歩み寄りだ。無碍にするのは戦いを生業とする戦士と言えども最大の侮蔑として忌避する。
「うるさい!」と振り返ったユカリが怒鳴る。「交渉の余地なんてない! グリュエーは渡さない!」
やり方はともかく、ユカリならばそう決めるだろうとグリュエーにも分かっていた。そしてグリュエーを引き渡さないとしても、ここから逃げる選択はしないだろうことも。ユカリの優しさはいつも自分本位だ。
「で、あっちも分かってたと思うよ。ユカリの性格なんてもう大体把握されてる」とベルニージュは指摘する。
仕組まれた、とまで言うと語弊があるが、まんまと乗せられたということだ。思い返せば胸元に封印を貼るなどわざとらしいところもあった。
「そういうつもりだって分かってても私のやることは変わらない」とユカリは断言する。
歩いて要塞に戻ってきたユカリのもとにグリュエー、ベルニージュ、レモニカ、ソラマリアが集っていた。広場には既に戦士たちが集っているので、端の方へ退散する。戦士たちの視線は痛かったが、何も言ってはこなかった。どちらにしても彼らも戦いは望むところなのだ。
「それはそれとして争い合っている隙に残りの魔導書も奪いに行こうよ」とユカリが提案する。
「ユカリは駄目だけどね」とベルニージュが拒む。「少なくとも魔法少女の魔導書が無いうちは」
「なんで? 魔導書の気配が分からないと見つけるのも大変でしょ?」
「本当に分かる?」とベルニージュが尋ねると、ユカリは悪戯がばれた子供のように目を逸らす。「沢山あると正確な位置が分からなくなるって何度もユカリに聞いたよ」
「じゃあグリュエーとベルニージュだね」とグリュエーがベルニージュの腕につかまって言った。
「いや、何を言ってるの。グリュエーを要求してるんだよ?」そう言ってユカリはグリュエーを引き戻すように肩を掴む。
「だからだよ。殺される心配はないからね。レモニカは集団の入り混じるところになんていけないし、ならソラマリアもさすがに戦場でレモニカから離れられないでしょ? まさかベルニージュを一人で行かせる訳じゃないよね?」グリュエーは思いつくままに考えなしに一息に言ったが、ユカリは言い返せないようだった。
「駄目だって言っても魂を分割して送り込みそうだもんね」とユカリが言うとグリュエーは頷く。
「それも良いね」
ユカリは苦そうに顔を歪める。