――遥か遠い昔、とある世界の四つの国では、ひとりのお姫様を巡って戦いが起こっていました。
争っていたのは、四つ国の王子様たち。
彼らは美しいお姫様を自分の結婚相手にするために必死でした。
なかなか終わらない争いによって、民は苦しみ、国は衰退していくばかり。
困ったお姫様は、戦いを止めるためにひとりの王子様を選ぶことにしました。
その王子様は……――
「いてっ……!」
痛みと共に目を覚ました。
どうやらベッドサイドに置いていた絵本が頭に落ちてきたらしい。
なぜ、落ちてきたんだろう。
きちんと置いたはずなのに……。
その絵本の表紙には、美しいお姫様とかっこいい王子様が幸せそうに見つめ合っている絵が描かれていた。
幼い頃から何度も読んでいるから、ボロボロで黄ばみがある。
状態は悪いけど、人生の宝物と言っていいほど大切な絵本だ。
最後の数ページが破れていて、この物語がどんな結末だったのか忘れてしまったけど……。
仕事が終わったら、カフェに行って読もう。
久しぶりに一杯数百円するコーヒーを飲んで贅沢をしたい。
いつも持ち歩いているトートバックに絵本を入れて、会社に行く。
しかし、そのせいで昼休みに同僚たちに声を掛けられる。
「あら。今日のかけらちゃんは、珍しいものを持ち歩いているわね」
やってきたのは二十代後半のふたりの女性だ。
トートバッグに空になったお弁当を入れている時に絵本が見えたのだろう。
面倒だけど、取り出して見せる。
「絵本です。帰りにカフェで読もうと思って」
「カフェで読書!?
いつの間に意識高い系になったの?
その絵本、見せてよ!」
「あっ!」
同僚の女性に絵本を強引に奪われた時、ビリッと紙が破れる音がした。
そして、絵本が真っ二つになって床に落ちる。
「うわっ、破けちゃった。
……でも仕方ないわよね。ボロボロだったんだから。
そんな古い本を会社に持ってくる方が悪いわ」
「…………」
「ボロボロといえばさ、かけらちゃんって、めっちゃ古いアパートに住んでるよね」
私は社会人になってからひとり暮らしをしている。
給料が低いから、少しでも節約するために古いアパートを選んだ。
「マジ!? だから、その絵本がほこりっぽくて、カビ臭かったのね。
あとでしっかり手を洗わないと」
「王子様とお姫様が出てくる絵本かぁ……。
二十二歳になっても夢見てるの痛すぎ」
「そうね。貧乏くさくて汚いかけらちゃんを好きになる王子様なんて現れないから。
夢を見ないほうがいいわよ。
カビが移ると嫌だから、その本はポリ袋に入れて密封して持って帰ってね」
床に落ちている絵本を見て、ズキッとするほど胸が苦しくなる。
私にとって大切なものなのに……。
真っ二つになってしまった絵本を拾って、トートバッグの中に入れた。
家に帰ったら透明なテープで補修しよう……。
悲しい気持ちに浸っている間もなく昼休みが終わった。
製品がゆっくりと流れているレーンの前に立ち、ダンボールを準備する。
私は製造会社に勤めていて、大きな工場で働いている。
配属された場所は、女性が多いから恋が芽生えるような出会いなんてない。
「花山さん」
名前を呼ばれて振り向くと、課長が手招きをしていた。
彼は、うちの職場で唯一の男性だ。
挨拶しか話したことがないのに何の用事だろう。
課長はその場で用件を話さず、備品が置いてある狭い部屋に私を案内する。
背が高くて、スタイルがよくて、爽やかなイケメン。
職場の女性から人気で、告白した人が何人かいるとか。
ふたりきりになるのは初めてだから緊張する。
「急に呼び出してすみません。
伝えたいことがあったんですよ」
「なんですか?」
「実は、花山さんのことがずっと気になっていたんです」
「えっ……」
「ここに来るたびに見てしまうんですよ」
まさか、これって告白……?
課長は真剣な顔で距離を縮めてきて、私をじっと見つめてくる。
恥ずかしい……。
「ネームプレートがいつも右に曲がっているんですよね。
不良品かもしれないので、新しい物を注文しておきますから」
「あっ……。はい……」
どうやら私の顔ではなく、ネームプレートを見ていたようだ。
告白だと勘違いした自分が馬鹿だった……。
肩を落としながら仕事の続きをしてると、昼休みに声を掛けてきた同僚の女性たちがやって来る。
「課長に呼び出されていたみたいだけど……。
告白でもされたの?」
「いいえ。注意されただけですから……」
ふたりの同僚の女性は、顔を見合わせてくすくすと笑った。
「課長って、今度は他の部署の子にも手を出したらしいよ。付き合い始めたとか。
だから、かけらちゃんを浮気相手にでもするのかと思った」
「他の部署の子に手を出したってマジ?」
「つい最近、彼女と別れたのに早いよね。
これで課長が職場恋愛をするのは何度目かな。盛りすぎていて笑っちゃう」
呼び出された時、一瞬だけドキッとした。
でも課長のことが好きではないからどうでもいい。
毎日、嫌な話をされてうんざりする。
自分の名前に花がついてるのに、花なんてない日々。
素敵な男性と出会って、恋をしたいのに……。
「ねぇ、聞いてる? かけらちゃん」
「なっ……、なんですか……」
「今の話、聞こえていたでしょ?
黙ってないで混ざりなよ。同じ職場で働く仲間なんだからさ」
「そうよ。せっかく混ぜてあげてるっていうのに。
もしかして、うちらの話がくだらないとでも思ってるわけ?」
「えっ……。あっ……、そういうわけでは……」
心の中では、くだらないと思ってるけど……。
「あたしたちの話を聞いて、自分の意見を言わないよね。
静かで“いい子”っていう感じ?」
「真面目だし、本当にいい子だよね」
“いい子”だと言われたけど、褒められている気がしない。
毎日こんな感じに嫌味を言われるから、ここにいたくないとさえ思う。
そして、本当は話を聞きながら、自分の意見も言いたい。
いつからそれができなくなってしまったんだろう。
学生時代はこんなことで悩むことがなかったから、この会社に就職してからかもしれない。
退職するという選択肢もあるけど、貯金がないから難しいけど……。
相手の都合に合わせるいい子でいたくないと思っているのに、何の行動もできない。
ありのままの自分を出して生きたいのに……――
「いい子のかけらちゃんねぇ……。
それって、名前に関係してない?」
「なるほど! “かけら”だから、人として欠けているところがあるってことね」
「消極的なところもそうだよね」
ひどい……。
悪口を言うなら、私がいないところで話して欲しかった。
苛立ちと悲しい感情が一気に押し寄せてきて、ギリッと噛み締めから拳を作る。
言い返したいけど、余計な揉め事を起こしたくない。
なんとかネガティブな感情を抑えて仕事に戻る。
「そういえば、かけらちゃんに頼もうと思っていたことがあった!
二階の資材置き場からダンボールを取ってきてくれない?
一番大きいやつだからすぐに分かると思う」
名前を馬鹿にしたあとに、面倒な作業まで押し付けてくる。なんて人だ。
同僚の女を睨みつけてから、ダンボールを取りに行く。
資材置場に行くためには、足場が不安定の階段を通らないといけない。
登るのも、降りるのも一苦労で、誰もが嫌がる場所だった。
階段を駆け上がり、ダンボールが置いてある場所へ向かう。
そこに着いてから知ったけど、頼まれたのは大きなダンボールだった。
長さが六十センチ、横幅と深さが四十五センチ。
前に運んだ時に、どのくらいの大きさなのか教えてもらった。嫌だったからよく覚えている。
なんとか持つことができるけど、足元が全く見えない。
「早く持ってきて!」
「これでも早く歩いてますよ……。きゃっ……!」
急いで階段を降りようとした時、誤って階段を踏み外してしまった。
ダンボールと共に勢いよく転げて、固い床に叩きつけられるように落ちる。
一瞬だったから詳しく分からない。
そして、強い痛みを感じてから、体が動かなくなった。意識も朦朧としている。
「かけらちゃん!? かけらちゃん……!」
私を馬鹿にした同僚たちが近くにいて、必死に声を掛けてくる。
無事かどうか確かめるように、トントンっと肩も叩いて……。
「しっかりして!」
すぐに動いてみせるから、これからはもう傷つくような事を言わないで……。
はっきりとそう言ってやりたい。
でも、強い睡魔に襲われているように目を開けていられなくなっていく。
私の人生……。
終わるのが……、早かったな……。
大人になってから嫌なことばかりで……。
恋をしたくてもできなかった……。
自分らしく生きて、愛する人と一緒に過ごして……。
あの絵本のお姫様と王子様のように幸せになりたかった……――
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