CASE 四郎
黒猫城に到着し、城の中に足を踏み入れた。
人気のないファンシーな装いの城の中は、かなり居心地が悪い。
入り口付近の壁に黒猫城全体のマップが貼られていた。
近くにより、マップで建物の作りを見て行く。
これを見る限り、4階の展望台から俺を撃って来た可能性が高い。
展望台に行くには、長い螺旋階段を登らないといけないらしい。
重い足を引き摺りながら、ゆっくり階段を登る。
何で、俺はこんな事してまで動くんだろうか。
モモの為?
ボスの為?
自分の為?
何やってんだろうな、本当に。
モモが俺を引き止めるのは予想がついていた。
モモがボスの事を悪く言う事も予想が出来た。
口の中に溜まった血を吐き出し、トカレフTT-33に装弾する。
目的の4階まで後少し、階段を上がれば展望台のフロアに到着だ。
近くの物陰に身を潜み、銃口を向けながら展望台に視線を向ける。
あの銃はバレットMRADか。
* バレットMRAD
米国特殊作戦司令部(US SOCOM)が2019年に特殊部隊用のスナイパー用に採用されたバレット社のボルトアクション式ライフル*
バレットMRADを持っている黒髪のショートの女は、黒のキャミワンピースを着ていた。
気配を消しながら女の背後から近付く。
俺が歩いているにも関わらず、女は下を向いて何かしていた。
女の足元には小さな血溜まりが出来ていて、カチカチ
ッと変な音がしている。
カッターナイフの刃を出し、何度も自身の手首を切付けた。
何してるんだ、この女は。
こんな所でリストカットをしている場合か?
カチャッと女の頭に銃口を突き付け、言葉を吐こうとした時だった。
女の方が先に口を開いたのだ。
「お兄さん?」
「は?」
「その声、その香水の匂いはお兄さんでしょ…?嘘、
本当に?」
「さっきから何を言ってるんだ?お前」
べらべら喋る女を気持ち悪く感じてしまった。
この女、どこかで会った事のあるような口振りで話してるな。
「もしかして、覚えてない?」
クルッと振り返り、女の顔が見えた。
綺麗な顔立ちをした女は、どこかで見た覚えがあった。
だが、それがどこだったか…。
「…?」
「私だよ、ほらいつかクラブで…」
その言葉を聞いて、クラブでの任務をした時の事を思い出す。
だけど、あの時は金髪じゃなかったか?
まぁ、長かった髪を切り黒に染めただけか。
だが、この女は前と違う所が”1つ”だけあった。
「クラブ…。あ、あぁ…、あの時の女か」
「ふふっ、相変わらず口が悪いなぁ。そんな所が好きになったんだけど…。何で、銃を向けたままなの?」
女は向けられたままの銃口を見て、眉を下げる。
「お前の右目、クリソベリルキャッツアイだろ。双葉ってガキの瞳だった筈だ」
そう言うと、女は悲しげに右目に触れる。
「お前、椿恭弥の殺し屋組織に入ったんだろ。だから、この場にお前が居る訳だ」
「私は…っ、貴方の為に入ったんだよ!!」
ドゴンッ!!
女が叫ぶと、黒猫城全体が大きく揺れ始めた。
「私は貴方の為にっ、した事なのに!!疑うなんて酷いよ!!」
ドコドコドコドコドコ!!
揺れに耐えきれず、床に思いっきり体を打ち付けられる。
その姿を見た女がハッとし、俺に近付いて来たのだ。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」
「謝るぐらいなら揺れを止めろ」
「う、うんっ」
俺の言葉を聞いた女は、揺れを止める。
感情のコントロールが出来ないのか、この女は…。
「私、椿恭弥に変な薬を打たれってっ。おかしくなりそうなのを止めるのにっ。こうしてっ、痛みを与えてるのっ」
女は泣きながらリストカットした部分を突き出す。
「やめてって言ってるのに、何度も何度も注射を刺すのっ」
「…」
「だけどっ、貴方の役に立ちたくて我慢してるのっ。
目をくり抜かれても我慢したのっ」
「俺の為って?」
俺の言葉を聞いた女は、自分語りを始めた。
どうやら俺の事が好きでボスに会いに行き、殺し屋にさせてくれと頼んだらしい。
晶を教育係にして軽々を積ませ、のちに椿会が殺し屋を募集していた所を応募したらしい。
椿恭弥に気に入られて合格し、弥助の名として生きる事になったとの事。
女の話を聞いて腑に落ちない部分があった。
椿恭弥は気に入った相手だとしても、徹底的に調べ上げられる筈だ。
女が椿恭弥の殺し屋になったのは、半月前。
ボスの存在や晶の事が知られていてもおかしくない。
椿恭弥が何かしらのアクションを起こしてくるだろう。
なのに何故、椿恭弥は動いてこなかった。
あえてこの女を泳がせている?
その可能性は高いが…、女は口が軽い。
今も自分の事や椿恭弥の事をペラペラ喋っている。
「椿恭弥はある子供を探してるのっ。その子を見つけて殺すんだって」
「子供?誰の事だ」
「兵頭拓也と白雪って人達の子供…」
「…」
兵頭拓也…、ボスの息子の名前が上がり驚いた。
その子供は間違いなく”モモ”の事だ。
椿恭弥はモモを探し出し、殺すつもりだ。
あの時、椿恭弥はモモと知らずにオークション会場に訪れていた筈。
今もモモの事がバレてないのは、ボスが情報を漏らさないようにしていたからだ。
いや、違う。
情報が掴めていないのは確かな筈だ。
椿恭弥はあえてこの女に話した。
娘をまだ探しているとボスの耳に入るようにする為に。
「椿恭弥は私に色々と話してるのっ。貴方の望む情報
を探ってみるっ。何が良い…?あ、次に誰を殺すかとか?」
「余計な事すんな」
「えっ?」
「椿恭弥がお前を信用してるって、本気で思ってんのか」
そう言った瞬間、女の目が座り表情を変えた。
椿恭弥が何故、この女を弥助に選んだのか分かった気がした。
「何で、そんな事言うの?四郎」
女の異常な程の執着心、束縛心を見抜いたからだ。
「私はこんなになっても、四郎の事を思ってるのに…。何で、突き放すような事を言うの?」
スッと包丁を鞄から取り出し、ふらつきながら立ち上がった。
「ねぇ?そんなに一緒にいる子供が大事?」
黙ってトカレフTT-33を構え、女から距離を取る。
「あんな子供のどこが良いの?Jewelry Pupilだから?私だって、Jewelry Pupilを持っているのに?何が違うの?」
パシュッ!!!
女の足元に向かって銃弾を放ち、歩みを止めた。
「何で?何で、私に撃ったの?ねぇ、何もしてないのに」
「動くな、今のお前は薬で頭がイカれてんだよ。そんな女と話す事はねーよ」
「私にそんな事言うの?冷たいけど優しい貴方は、どこに行ったの?そうか、あのガキがおかしくさせたんだ。そうなんでしょ?だから、そんな事言うんでしょ?」
「人の話聞いてんのか」
女はおもむろに鞄を掴み、中身を出すように乱暴ににする。
ガチャンッ、ガチャンッ、ガチャンッ!!!
鞄の中から出て来たのは大量の包丁だった。
ガタガタガタガタガタガタ!!!
包丁が音を立て揺れ出し、宙に浮き女の側に集まる。
ズキンッと軽い痛みの頭痛がし、数秒後に起きる出来事が過ぎった。
包丁が一斉に俺に飛ばされ、女が走って来る。
そして、俺が逃げれないように黒猫城を揺らす。
「痛くしたら目を覚ましてくれる?」
女が手を振り上げると、包丁が一斉に飛ばされた。
パシッ!!
黒猫城の近くまで来ていたモモは、後ろから誰かに手を掴まれた。
「っ!?」
「捕まえたよ、モモちゃん」
モモの手を掴んだ人物は三郎だった。
「さ、ぶろう…?」
「こんな所まで来て、足手纏いになる気?」
「離して、三郎」
「おい、三郎っ」
二郎が慌てて割って入ろうするも、三郎が許す訳がなかった。
「二郎は黒猫城に行って。Jewelry Pupilの女が居るから、四郎の援護に行って来て」
「…、分かった」
そう言って、二郎は黒猫城の中に入って行った。
「離してよ、三郎。殺すよ、本当に殺すよ」
「はぁ?何、怒ってんの?モモちゃんに怒られる筋合いはないけど?」
モモと三郎に嫌な空気が流れる。
「俺の方が怒ってんだけど、状況分かってるの」
「分かってるよ」
「へぇ、分かってるのに追い掛けできたんだ?」
「何が言いたいの」
三郎の小馬鹿にしているような口調に、モモは腹を立てながら睨み付ける。
「四郎の足を引っ張るなって言ってんだよ」
「私が四郎の邪魔だって言いたいんだ。三郎は私の事が嫌いだもんね。だから、いつも私に意地悪してくるもんね」
モモはそう言って、勝ち誇った表情を見せた。
三郎への当て付けのように言葉を放つ。
「嫌いだね、四郎の邪魔してんだから。モモちゃんは四郎を助けに来たんじゃないでしょ。謝って許してほしいだけでしょ」
「だったら何?」
深い溜息を吐いた後、三郎がグッとモモの胸ぐらを掴む。
「状況を考えてから行動しろよ、ガキ」
「っ!?」
モモは三郎の真顔を見た事がなかった。
いつも誰にでもニコニコしてる三郎しか見ていなかった。
そんな三郎が本気で怒っているのだと、モモはすぐに理解したのだ。
モモは初めて、三郎に対して怖いと思った。
「四郎の今の体の状況を見てないの?負傷してる四郎の側に行って、何が出来るんだよ。逆に邪魔になるの
が分からないかな」
「そ、それはっ…。わ、私の血を飲めば傷が治るもん!!」
モモは震える唇を噛み締めながら声を絞り出す。
「何度も言われてんだろ、モモちゃんの血を飲まない理由をさ」
「だ、だってっ」
「ボスの命令もあるけど、四郎自身がモモちゃんの体
に傷を付けたくないんだよ。何で、そんな事もわからないんだ」
三郎の言葉を聞いたモモは、言葉を失った。
「四郎の事が大事なら、四郎の役に立つように動いて。今、モモちゃんがしなきゃいけなかった事は?なんだった?」
優しい口調で話しながら、三郎は胸ぐらを離す。
モモの目線に合わせるように腰を下ろし、ジッと見つめる。
「美雨ちゃん達と一緒にっ、いなきゃいけなかった…っ」
モモは泣きながら、三郎の問いに答える。
モモ自身も三郎が自分に対して、変に子供扱いしない事は分かっていた。
今もモモを子供扱いではなく、大人と話すように対応されていた事に気付いていたのだ。
そして、三郎の四郎への理解度の高さを知った。
「だよね?四郎は多くは語らない。だけど、行動で示してくれるよね」
「うんっ、うんっ」
「四郎がモモちゃんを邪気に扱ったりしてないよね?1人の女の子として扱ってくれてたよね?」
三郎のこの言葉を聞いて、モモは再び涙を流す。
「モモちゃん!!」
モモの背後から九条美雨と辰巳零士が走ってくるのが見えた。
「良かった、何もなくてっ」
九条美雨はそう言って、力強くモモを抱き締める。
「あ、辰巳さん。良かった、タイミングが合って」
三郎はあらかじめ辰巳零士に連絡を入れていた。
モモと三郎が話をしている間に、辰巳零士達と合流するまでの間を繋いでいたのだ。
「お前から連絡来てから大急ぎで来たんだよ…」
「モモちゃんの事、改めてお願いします」
「了解」
辰巳零士にモモの事を頼み、三郎は黒猫城に向かおう
と背を向ける。
「今度こそ、大人しくしててよね」
「うん、分かった」
モモは素直に返事をし、走り行く三郎の後ろ姿を眺めた。
「モモちゃん、三郎も仲良くなったのか?」
「ううん…。三郎が羨ましくなったの」
「羨ましい?」
「四郎の事、1番に理解してるから」
その言葉を聞いた辰巳零士は、モモの頭を軽く撫で
る。
「大丈夫、モモちゃんも四郎の事が分かるようになるよ。俺とお嬢も時間が掛かったんだからね」
「そうだよ、モモちゃん!!それにね?四郎お兄ちゃん、モモちゃんを見る目がね?すっごーく優しいんだよ」
「え?」
九条美雨は、驚くモモを見ながら話を続けた。
「モモちゃんが話してる時とか、アトラクション?とか
見てる時とかね?すっごーく優しい目をしてたよ」
「四郎が…?私の事をそんな目で見てたんだ…」
「四郎お兄ちゃんもモモちゃんの事が好きなんだね」
自分の顔を手で隠しながら、モモはその場でしゃがみ込む。
「私、自分の事ばっかり考えてた。恥ずかしい…」
「モモちゃん…」
「四郎の事が好きなのに、四郎の邪魔になるような事した」
パリーンッ!!!
その瞬間、黒猫城の窓ガラスが音を立てて割れる。
窓ガラスの破片と赤い血飛沫が飛んでいるのが見えた。
「お嬢、モモちゃん!!」
辰巳零士はモモと九条美雨の手を引き、抱き寄せる。
2人に窓ガラスの破片が刺さらないようにする為に。
「四郎達が派手にやり合ってんな。急いでここを離れよう」
「四郎…」
モモは辰巳零士の腕の中から静かな黒猫城を眺めた。
黒猫城内ー
飛ばされた包丁を避けながら、木下穂乃果に向かって走り出す。
ズキンッ!!
固定した足に激痛が走り、四郎は床に膝が付いてしまった。
「可哀想、怪我してるんだね?だけど、悪い夢から覚めてもらう為には…、仕方ないよね?」
そう言って、木下穂乃果は指をクイッと曲げる。
すると包丁は方向転換し、四郎の元に飛んで行く。
パシュッ、パシュッ、パシュッ!!
キンキンキンッ!!
背後から二郎がFive-seveNを構え、包丁に向かって引き金を引いた。
弾丸に当たった包丁は方向を変えられ、窓ガラスの方に飛ばされた。
二郎はそのまま、木下穂乃果に向かって引き金を引く。
パリーンッ!!
ブシャッ!!
放たれた弾丸は木下穂乃果の肩に命中し、血飛沫が上がる。
「四郎、平気じゃないよね」
「二郎、来たか」
「遅くなってごめん。ここは僕に任せといて」
カチャッ。
二郎はそう言って四郎の前に立ち、Five-seveNに弾丸を装弾する。
「痛いなぁ、何で撃つかなぁ?」
「君には悪いけど、四郎に危害を加えるのはやめて貰おうか」
「危害?私が?あははは!!」
「何がおかしい所があった?」
木下穂乃果が笑い出したので、二郎は思わず尋ねてしまった。
「四郎は私の教祖様だよ?そんな人を殺そうとしないよ」
「教祖様って…」
「今の四郎はおかしいもの。あの子供の所為でおかしくなっちゃったの。だから、夢から起きて貰わないとダメでしょ?四郎が子供1人に優しくするのは、許せないんだよ」
「成る程、四郎の熱狂的ファンな訳だ。酷な事を言うけど、君は…」
「お前か四郎に怪我させたのは」
二郎の言葉と三郎の言葉が重なった。
木下穂乃果の背後の窓ガラスから、三郎は侵入して来たのだ。
「えっ?」
「三郎!?」
二郎と木下穂乃果の驚いた声が重なる。
「糞女」
ガシッ!!
そのまま木下穂乃果の髪を乱暴に掴み、村正の刃を首元に向ける。
「痛っ」
「死ね」
シュッと村正の刃を引こうとした時だった。
木下穂乃果が一瞬で、四郎の背後に移動していたのだ。
「「なっ!?」」
三郎と二郎は、目の前で起きた行動に理解が追いつかなかった。
カチャッと、トカレフTT-33の銃口を木下穂乃果に向ける。
「その女の右目…、僕と同じようにJewelry Pupilか。今のもJewelry Wordsを使ったんだ」
三郎は瞬時に理解し、木下穂乃果を警戒を始める。
「弱ってる四郎、可愛い」
そう言って、木下穂乃果は四郎の肩に触れ抱き付く。
「触るな」
パシュッ!!
ブシャッ!!
四郎は容赦なく木下穂乃果の体に弾丸を撃ち込む。
だが、木下穂乃果は撃たれても離れようとしなかった。
「白雪って女、椿恭弥の家で監禁されてるよ」
四郎の耳元で、コソッと木下穂乃果が呟く。
「私、薬でおかしくなってるみたい。だから、次に会った時は正気じゃないかも。そうなったら…、容赦なく殺してくれる?」
そう言って、木下穂乃果は四郎の体から腕を離す。
四郎を見つめる木下穂乃果の表情は、年相応の女の顔をしていた。
少し悲しげで、儚い瞳を浮かべている。
四郎は木下穂乃果の言葉を聞き、トカレフTT-33を下ろしたのだ。
「正気の時に会えて良かった。抱き締めさせてくれたよね?撃たれけど、嬉しかったな」
「…」
「そろそろ行って。椿会の連中がここに来るから」
「その女が言ってる事、信用するの?四郎」
四郎と木下穂乃果の会話に三郎が割って入る。
「行くぞ、三郎」
「本当に行くつもり?ここで、この子を殺しといた方が…」
四郎の言葉を聞いた二郎が慌てて、言葉を付け加えた。
「二郎、四郎がこう言ってるんだから大丈夫だよ。その女、素人みたいだしね」
「はぁ、分かった。お前等の意見を飲むよ」
二郎は呆れながらも三郎と四郎の意見に同意した。
「四郎、俺の腕を掴んで。歩ける?」
四郎は黙って三郎の腕を掴んで立ち上がり、体を預ける。
二郎と三郎は木下穂乃果に目を向けずに、黒猫城を後にした5分後の事だった。
カツカツカツ。
再び静まり返った黒猫城の展望台に足音が響く。
バレットMRADを抱き締めたまま木下穂乃果は、しゃがみ込んでいた。
そんな木下穂乃果の前に、黒いスーツを着た椿恭弥が黙って見下ろす。
「弥助、初の仕事はどうだった?」
「…殺しに来たんでしょ」
「そう思う?」
「使えない奴は殺す。そうやって、今までやって来たんでしょ」
木下穂乃果はそう言って、顔を見上げる。
「初めての仕事なんだから、こんなものでしょ。それに、君は俺好みに育てる予定だ」
「育てる…?」
優しい微笑みを浮かべたまま、椿恭弥は木下穂乃果の目線に合わせるように腰を下ろす。
「兵頭雪哉に少し釘は刺せたでしょ。それだけでも、今回は良しとしよう。弥助、俺の言う事を聞くなら可愛がってあげるよ」
そう言って、椿恭弥は木下穂乃果の腕に注射針を刺す。
木下穂乃果は黙ったまま、椿恭弥の行動を受け入れた。
知らず知らずのうちに木下穂乃果は、椿恭弥に飼い慣らされ始めていた。
椿恭弥は飴と鞭の使い所を熟知し、上手く使い分けている。
木下穂乃果の情緒不安定な部分すらも、使いこなそう
としていたのだ。
優しい手付きで木下穂乃果の頬を指でなぞる。
「本当に?」
「君のお父さんやお母さんみたいにしないよ。可愛がって欲しかったんだろ?本当は」
椿恭弥は嘉助に木下穂乃果の素性を調査させていた。
調査結果を聞いた椿恭弥は、木下穂乃果が両親からの愛情を受けていない事を知る。
嘉助が偽の情報を織り込んだ調査結果を椿恭弥は信じていた。
偽の調査結果には、木下穂乃果は家出少女とだけ書かれていた。
「うん」
「俺の言う事だけを聞いていれば良い。良い子で居れば、君を愛してあげるよ」
薬で頭が回らない木下穂乃果は、椿恭弥の言葉が胸を締め付ける。
その感情は恋愛感情と似たような物に変わって行く。
椿恭弥はその様子すらも、手に取るように分かってい
た。
「言う事…聞く。聞くからっ、褒めてくれるように頑張るからっ…」
「うん、次の仕事も決まってる。今は傷の手当てが先だね。可哀想に、こんなに怪我して」
「うぅ…っ、痛かったよぉぉ…」
「よしよし、大丈夫だよ。すぐに手当てしてあげる」
そう言って、椿恭弥は泣き出す木下穂乃果を抱き締めた。
2人の後ろ姿を嘉助は怪訝な眼差しを向けた。