「いやぁ、コレどうするよ」
パンダが棘くんの背中を擦りながら言う。棘くんはパンダに抱きつきこちらを一切見ようとしない。普段は顔の半分を覆っているネックウォーマーは、今は頭まですっぽりと覆い隠していた。 そして私はというと、真希ちゃんと五条先生によって教室の床の上で正座させられていた。
「棘のやつ見事に勘違いしてたな」 「真希やめてあげなって。で、解釈違いってどういうこと?」 「もう正直に全部話した方がいいぞ…」
私の頭をコンコン、と軽く叩きながら楽しそうに笑う真希ちゃんと、私のほっぺをツンツンとつつく五条先生。そんな二人の言葉を聞いて、唯一事情を知っているパンダが呆れたように言う。
「どこから話せばいいんだこれ…。というか話したら引かれない…?」 「俺が引かなかったから大丈夫だろ」
いや、パンダお前イラストの件くだりでちょっと引いてたじゃん。私が棘くんのイラスト五十枚も描いてるって聞いて顔引き攣ってたじゃん。あの顔で引いてないとか私信じねぇからな。
それにしても本当にどこから話そう。私が棘くんを推していることと、推し事の一環として描いていたイラストの一つをスマホの壁紙に設定していたことは話すとして。謝罪しようとする前はオタクであることも話そうとしてたけど、やっぱりそれはバレたくないなぁ。だってそれがバレたら皆が想像してる以上のクソデカ感情抱いてんのバレるし。オタクの愛は凄まじいからな、たぶん引かれる。パンダは何かバレても大丈夫かなって思ったから全部話したけど。真希ちゃんと乙骨くんもまだいいとして、棘くん本人と一番厄介そうな五条先生に知られるのは嫌だ。部屋とか見られたら終わる。絶対からかわれる。 うん、オタクなことだけ隠して話そう!
「えっと、まず私が棘くんに会いに教室に来た理由なんだけど」 「あぁ、パンダが謝罪しに行ったとか言ってたな」 「うん、謝りに行った。その、今朝、不愉快な思いさせちゃったかな〜って思って…」 「何したんだよお前」 「き、危害は加えてないよ!?ただ、その…スマホの壁紙見られて…」
真希ちゃんの言葉に慌てて誤解が生まれないように言葉を付け加える。まぁスマホの壁紙見られたぐらいでなんで謝りに行くんだって感じだろうけど。現にパンダと棘くん以外は首を傾げてるし。 それを見て、私はスカートのポケットからスマホを取り出し電源を入れて、三人に画面を見せた。もうしんどい。部屋に戻りてぇ。昨日買った漫画の新刊読みたい。
「……なるほどな、こりゃ見られたら焦るわ」 「絵上手いんだね!初めて知ったよ」 「これを見られたのね。だから棘は機嫌良かったんだ」
反応は三者三様。…なんだけど、五条先生の言葉がちょっと聞き捨てならねぇな?機嫌良かったって、棘くんが?なんで?
「機嫌良かったの…?」 「うん、嬉しそうだったよ。周りに花が飛んでた」 「好きな子が自分と似たようなことやってりゃあな」 「似たようなこと……?」 「っ、おかか!!」
真希ちゃんの言葉に今度は私が首を傾げると、それまで黙りを決め込んでいた棘くんがネックウォーマーをいつもの位置まで下げ、否定の言葉を叫んだ。
「いいだろ別に。偶然とは言えコイツのスマホの壁紙見たんだ。棘がスマホの壁紙に何の画像を使ってるのか教えてやってもいいだろ?オアイコってやつだよ」 「…、おか、か」 「なんでだ?知られたらまずいのか?」 「……〜っ、明太子!高菜、こんぶ!」 「嫌われねぇから安心しろって。で、言っていい?」 「………………………………しゃ、け」
真希ちゃんめちゃくちゃ悪い顔してる…。すごい楽しそうなんだけど。というかここまで頑なに拒否る棘くん初めて見た。風景写真とかを壁紙にしてそうなイメージがあるんだけど、そんなにも知られたくなさそうにしてるってことは違うってことだよね。何の写真だろう?パンダ?
しかし、真希ちゃんから聞かされたのは予想外のものだった。
「私も前に偶然見ちまったんだけどな。棘のスマホの壁紙、───お前の写真だよ」
「へぇ、そうなんd……………………………え?」
五条先生の「楽しくなってきた」という言葉が教室内に静かに響いた。
真希ちゃんから聞かされたことが上手く理解出来ず、呆然としてしまう。
棘くんが、私の写真を、スマホの壁紙に?え?ちょ、待って…は???
「九月だっけ?二人でクレープ食べに行ったの。その時に撮ったっぽい写真」
「えっ、あの、は、いつの間に…?」
「棘お前あれ隠し撮りかよ」
「〜〜〜っ、高菜ァ!」
赤くなった顔を隠すようにパンダの腹に顔を埋める棘くん。何その行動可愛い。たぶんさっきの「高菜」は「バカァ!」とかそんな感じかな。照れてる推しが可愛すぎて尊い。
それに棘くんも隠し撮りとかするんだ…。まぁ私もその時隠し撮りしたんですけどね!ほっぺたにクリーム付いてるのに気付かずにモグモグ食べてる棘くんが可愛くてつい。シャッター音?そんなものは消しているに決まってるだろ。ちなみにその写真、今朝までスマホの壁紙にしてたんだよね。見られたのがそっちじゃなくて良かった。良かった、のか…?
「お互いの画像を壁紙にしてるのってそれもはや恋人のすることじゃ……?」
「それに加えてデート行くのも抱き締めるのも頭撫でるのも完全に恋人がやることだよな」
「これで付き合ってないとか君らマジで言ってる?」
めっちゃ言うじゃん君ら。でもそうだよな。普通好きな子以外にそんなことしないよな。今までの棘くんの行動、推しからのファンサとして受け入れてたけど、よくよく考えてみると棘くん推しって公言してないのにファンサされてんのおかしいんだよな。いや、よくよく考えなくても分かるわ。
「今までの棘くんの行動を何の違和感も抱かずに受け入れていた私is何…?」
「それ俺ら全員思ってることだから」
「付き合ってると思ってたのに付き合ってないって聞かされた瞬間ビックリしたよね」
「距離感が完全に付き合ってる奴らのそれだった」
「里香ちゃんも二人の関係性に驚いてたよ」
もしかして十二月の初め頃に里香ちゃんに「アンタ…バカ……?」って聞かれたのそれか!?乙骨くんもそのセリフ聞いて「あはは…」って苦笑いしてたのが当時は全く意味が分からなかったけどそういうことかよ!
皆の言葉に頭を抱える。思い返してみると確かに距離感おかしいところもあるけど!でも別に両思いには見えなくない!?推しに話しかけられたらオタクとして喜ぶのは当たり前だから棘くんといる時は笑顔でいることがほとんど。お出掛けは大体「○○に行きたいけど一人だと行きづらいから一緒に来て欲しい」って誘われて、推しの役に立てるなら!と喜んで行った。断る理由もなかったし。あと抱き締められたのはたぶんアレかな、前日に「ハグでストレスが軽減されるらしいよ〜」みたいな話したからだな。
お出掛けに誘われたら絶対に断らないし、何なら割と気合い入れて化粧もオシャレもしてたな。だって推しと出掛けるんだぞ。気合い入るじゃん。そしてそれは傍から見たら完全に好きな人に可愛く見られたいから全力でオシャレする女の子ですね、はい。
おまけに抱き締められた時にビックリはしたものの拒否はせずに五分くらいそのままだった。やってることがカレカノ。どこからどう見ても両思いですありがとうございました。マジでなんで付き合ってねぇんだこの二人。片方は私だけども!推しと何してんの私。冷静に考えるとかなり恥ずかしくなってきた。今まで「棘くんは優しいから」とか「推しからのファンサ」で片付けてたの?鈍いにも程があるだろ。
うわぁ、と小さく唸り、赤くなってしまった顔を隠すようにごめん寝状態になる。そんな私の肩を叩き、五条先生がケラケラと笑う。
「で、だいぶ話逸れたから戻すけど。そのイラストを描くに至った経緯とか解釈違いとやらについて聞かせてもらいたいな」
「…そのまま忘れてくれてればよかったものを」
「あんだけデカい声で『解釈違いです!』って叫んでおいて忘れるのは無理でしょ。…んふふっ」
先程の私のクソデカボイスの解釈違いです!を思い出したのか、五条先生が肩を震わせて笑う。そんなに笑えるか?あれ。いいや、もうあの人は放っておこう。
頭を上げ、まだ少し熱を持っている顔を冷ますように手をパタパタと仰ぎながら何と説明するかを考える。うん、パンダにしたような説明をちょっと変えて話せばいいか。
そして五人からの視線を浴びながら、私は口を開いた。
「まず大前提として私が棘くん推しなのを理解してもらいたいんですけど」
そう言うと「おし?」と単語の意味を理解出来ていない様子のパンダ以外の四人。あ、そこからか。
「元々はアイドルに対して使われていた言葉です。『推しメンバー』を略した『推しメン』が更に略されたものですね。今ではアイドルだけではなく漫画やアニメキャラにも使われるようになっていますが。推薦するという意味の推すという言葉が転じて、他の人にもオススメするほど好きな人のことを『推し』と言います」
なるべく分かりやすく説明したが、上手く伝わっただろうか。と四人を見ると「なるほど」と呟いているから理解出来たようだ。
「それで、その押しを応援することを『推し事』と呼ぶんですけど、まぁ簡単に言えばライブ行ったりグッズ買ったりファンアート描いたりとかですね。棘くんはアイドルってわけじゃないので出来ることはイラスト描くぐらいなんですけど」
「それであのイラストね」
「二人で出掛けた後とか任務が被った後とか描きたくなるんですよねぇ」
推しの可愛かったところやカッコよかったところを描き殴ってるだけなんだけどね。B5サイズのコピー用紙五十枚分も。ちなみにちゃんと両面に満遍なくね。片面だけとか余白があるの勿体ないから。あ、でもお絵描きアプリでも十枚くらい描いてたな。じゃあ六十枚か。今は一月で、四月から推し事してるから…平均で月に六〜七枚描いてるのか。思ったより描いてた。そりゃパンダも引くわ。
「その様子だと、描いてるのあのイラストだけじゃなさそうだね」
「あれ以外にあと六十枚あります」
「俺が聞いた時より増えてんだが?」
「パンダに教えたのはコピー用紙に描いたアナログ絵の枚数。それにプラスしてスマホのお絵描きアプリで描いたデジタル絵もあることを思い出した」
「後で見せて欲しーなー、なんて」
「嫌です」
デジタル絵ならまだ見せられるけど、妄想いっぱいだから恥ずかしいし、アナログ絵なんて描いたイラストに矢印引っ張って「この時の表情好きすぎてしんどい無理死んだ」とか「呪印まじでえっちすぎん?」とか書いてあんだぞ。そんなものを担任に見せられるかよ。クソデカ感情込めすぎててある意味呪物だからな、あれ。込められてるのは負の感情じゃないけど。
「それで、解釈違いの件については、そのぉ…」
「なんだよ、ハッキリ言えよ」
「はいすみません!ド偏見で申し訳ないんだけど、棘くんって見た目ゆるふわ系の庇護欲が湧く小動物みたいな可愛らしい女の子が好きなんだろうなぁって勝手に思ってたからです!」
「なんでちょっと具体的なんだよ」
「あっはは!ド偏見にも程があるね」
私とは正反対のめちゃくちゃ可愛らしい女の子好きそうじゃん。ド偏見で申し訳ないけど。本当に申し訳ないけど。
「でも、合ってるっちゃ合ってるかもね」
笑いながら乙骨くんがそう言った。え?は?本気で言ってらっしゃる?どこからどう見ても私とは正反対じゃん!しかし、「それはねぇわ」と思ったのは私だけのようで。
「ゆるふわ系では無いけど、こん中じゃ一番小さいし、ちょこまかと動く時あるから小動物みたいってのは合ってるな」
「たまに任務で危険を顧みずに危なっかしいことするから『守らなきゃ』とは思う」
「身内の贔屓目を除いても可愛いに分類される顔立ちだと思うよ。特に笑ってる時」
「しゃけしゃけ」
…?うん、え?私が毎朝鏡で見る顔と、皆から見えてる私の顔もしかして違ったりする?おかしいな、化粧するのは棘くんとお出掛けする時ぐらいなんだけど。
「皆、目ェ腐ってる…?」
「失礼にも程があるだろ」
思わずそう呟くと、真希ちゃんにペシン、と頭を叩かれた。割と手加減してくれてたみたいだけど痛い。
叩かれた箇所を摩っていると、五条先生がニヤニヤ笑う。
「皆の話を聞くに解釈違いじゃなくなったっぽいけど」
「そうだとしても、私が棘くんに対して思ってる『好き』は恋愛感情じゃないので」
「本当に?」
「えっ、」
「君のその気持ちは、本当に恋愛感情じゃない?」
五条先生の言葉に、何故か「はい」と即答することが出来なかった。何でだろう。だって、私が棘くんに抱いてるこの気持ちは、歴代推したちに対して抱いていたものと同じで。そこに本気の恋愛感情なんてものは存在しなくて。今回だってそのはずだ。だって私はガチ恋勢じゃないから。……本当に?
「今まで棘のことをその『推し』だと認識してたから、本当の気持ちが分からなくなってるんじゃない?」
「そん、なこと…は、」
「ない」って、なんで言えないんだ?言葉が上手く出てこない。まるで喉の奥で何かが引っかかってるみたいだ。
「一度、自分の気持ちと向き合ってみたら?」
五条先生は真面目な顔でそう言った後、パッと笑顔になって立ち上がる。
「棘と憂太はこの後それぞれ任務入ってるよね。そろそろ向かった方がいいんじゃない?真希たちは自習ね〜」
「僕もこの後任務だからじゃあね〜」と言うと、五条先生は教室から出て行く。それに続くように、乙骨くんと棘くんも何とも言えない顔をしながら教室から出て行った。
一気に三人いなくなった教室は、シーンと静まり返っていた。パンダはどこか気まずそうで、真希ちゃんは「あのバカ」と呟いた後、椅子に座って黙り込んでしまった。
私も、床から立ち上がれずにその場に座り込んだまま考えていた。先生に言われた言葉が、ぐるぐると頭の中を回る。なんで、こんなにも動揺してるんだ。まるで先生の言う通り、私が自分の本当の気持ちに気付いてないみたいじゃないか。自分のことなんだから自分の気持ちに気付かないなんてことあるわけない。……本当にそうだろうか。
やっと動けたのはそれから暫くしてからで、席に着いて先生に言われた通りに自習しようと課題を開くも、全く集中することが出来なかった。
食堂で夕食を取りお風呂に入った後、そそくさと部屋に戻る。部屋に入るまでの間、誰にも会わなかったことにホッとし、息を吐く。
あの後もずっと五条先生に言われたことが頭から離れなかった。なんだよ、私の本当の気持ちって。ベッドに倒れ込み、ぐるぐると考える。だが、ただモヤモヤするだけで何も思いつかない。
そもそも今まで恋したことないのに恋愛感情がどんなものかなんて分かるわけが無い。これ、一人で考えるとか無理じゃない?誰かに相談した方がきっと答えも出やすいのではないだろうか。そう考えスマホを手に取ってトークアプリを開き、恋愛のスペシャリスト()である乙骨くんに連絡を入れる。彼からなら参考になりそうなことが聞ける気がする。嫁もいるし。
「でも乙骨くんさっき先生と話してるの見かけたし、返事くるの少し後かな…」
それまで何かしようかと考えるも、今日は漫画を読む気にも絵を描く気にもなれない。ベッドに仰向けになりボーッと天井を見つめていると、「ピロンッ」と通知音が聞こえた。スマホを見ると、乙骨くんからだ。
《相談したいことって、五条先生に言われたことでしょ?僕でよければ聞くよ》
「あは、バレてる」
ま、あんな話した後に相談したことがあるんだけど、って連絡来たらそう思うよな。
「『やっぱ分かっちゃうか』と…。うーん、明日の午後は実習もあるし、影響が出ないようになるべく早めに解決したいんだけど」
とは言ってみるが、たぶん無理だなぁ。そんな簡単に答えが出るならこんなバカみたいに悩んでないし。
はぁ、と溜息をつくと同時に再び通知音が聞こえる。
《相談、電話でもいい?》
「…?何処かで話そうとかじゃなくて?別に構わないけど…」
「いいよ」と返信すると、すぐに既読が付く。そして画面が切り替わり、電話がかかってくる。指で緑のボタンを押し、乙骨くんからの電話に出る。
「もしもし」
『もしもし。いやぁ、ごめんね。文字打つよりもこっちのが早いかなって』
「確かにそうだね」
『うん。で、相談乗るとは言ったものの何て言えばいいかな…』
そこで一旦言葉を区切り、うーん、と唸る彼。私も「相談に乗って欲しい」と連絡したものの何と切り出すかを考えていなかった。お互いにうんうん唸ること数十秒、先に沈黙を破ったのは乙骨くんだった。
『そうだな、狗巻くんの好きなとこ聞いてもいい?』
「え?」
『推し、なんだっけ。どういうとこが好きで推してるのかなぁって』
「推し語りし始めたら長くなるけどよろしいので??」
『全然いいよ!いくらでも聞くし』
「うわ、めちゃくちゃありがたい」
棘くんに対するクソデカ感情はイラストにぶつけるかSNSの鍵付きアカウントで叫んでたからな。ほぼ毎日「推しが今日も可愛かった」とか「可愛くてカッコいいとか何????」って投稿してたらフォロワー(リア友)に「今までで一番のクソデカ感情抱え込んでて笑うんだけど」とコメントされた。それな、某風紀委員長や十番隊隊長に対してよりも愛が重い。
推しについて話し始めたら本当に長くなるから乙骨くんには申し訳ないけど付き合ってもらおう。聞きたいって言ったのあっちだし?
「んーっとね、まず……───」
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