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それはふと香った。
舜太にはあまり嗅ぎなれない香りだった。
「仁ちゃん、香水変えたん?」
「ん?香水?いや、最近変えてないけど。」
そういって服の袖口を軽くまくって自分の手首の香りを確かめる仕草に釘付けになる。
長袖を好む仁人の久しぶりにチラリと見えたそこは、いつにも増して白く細く感じた。
「なんやろ?まぁ、臭くはないからええか!」
そう言って笑うと「うわ、うぜー」と嫌な顔をされた。
本当はあまり仁人には似合ってない香りだと感じたのだが、香りものにこだわりがある仁人にとってその発言は自身のマイナスプロモーションになるだろうと考えて言葉を飲み込んだ。
翌日、再び顔を合わせた仁人からは、いつも通りのさわやかな中に洗練された香りがして、あ、自分の好きな仁人の香りだ。と舜太は仁人に気付かれないようにそっと鼻を近づけた。
それからほんの数日の間、各々の仕事で会えない日々が続き、音楽番組の収録で久しぶりに会った時、仁人からまたあの似合わない香りがした。
隣に座って、何でもない振りをしながら鼻に全神経を集中させて考える。
かすかにいつもの香りも混じっているような気もする。
そこに少しスモーキーで湿ったような香り。
(なんやろ…、たばこ?)
舜太は隣に座る仁人を見つめながら仁人が煙草を吸っている姿を想像する。
ベランダに一人、背を丸めて佇み、夜空に向かって吐き出される煙が一瞬広がって暗闇に溶けていく。
あの薄暗い部屋で煌々と灯るのは、仁人が唇を寄せる度、赤く光る煙草の先だけで…。
(なんや、かっこええかも…)
「…舜太?」
「はい!」
思いがけず仁人に声を掛けられて大きな声が出てしまい、やべっ!と周りを見回す。
メンバーやスタッフさんから笑いが起きて、舜太も笑って誤魔化した。
「もう出番だけど…、なに?考え事?相談乗ろうか?」
小さい声で自分だけに向けられる言葉に、相変わらずの過保護っぷりを感じて嬉しくなった。
「なんもないで!」笑顔で返すと、訝し気に「そう?ならいいけど…」と言葉を残して仁人は先に待機場所を後にする。
あなたが煙草を吸う姿を想像していました、なんて本人には口が裂けても言えない。
だが、そこでふと疑問がよぎった。
そもそも、人一倍努力家でプロ意識も高く、健康志向の仁人が体に害を成す煙草を好んで吸うなんてことがありえるのだろうか?
いや、煙草を否定したいわけではないのだが…。
現実的なことを考えた時、その可能性が極めて低いこともまた舜太を混乱させた。
気持ちを切り替えて臨んだ本番は、滞りなく終了し、安堵して楽屋に戻る。
途中、以前共演した芸人さんに声を掛けられた舜太は、他のメンバーより一人遅れて戻ることになってしまった。
次の現場入りが想定していた時間より遅れていることに焦り、急いで着替えようとパーテーションの向こうに行くと、そこには着替え途中の仁人が入っていた。
「うわっ、ごめん仁ちゃん!」
「お、前!バカ!ちゃんと確認しろ!」
「ほんまごめん!急いでてん!」
すでに着替えを終え帰ろうとしていた太智が「なになに~?ラッキースケベですか~?」なんてハプニングを笑い飛ばしてくれて、舜太も同調して笑うが今見てしまった光景に内心はそれどころではなかった。
仁人のきめ細やかな白い肌に、一瞬見ただけでも分かるほど無数に散る赤い痕。
(あれって、…キスマーク、やんな?)
戸惑いを隠せない舜太の様子に柔太朗が「舜、次気をつければいいよ。」とフォローしてくれて「ありがと。」と返す。
メンバーにも普段からなかなか見せてはくれない仁人の素肌を見られたことに関しては、確かにちょっとラッキーだと思った。
だが、キスマークは想定外過ぎる。
(仁ちゃん、付き合うてる人おったんや…)
少しして私服を着こんだ仁人が出てきた。
明らかに怒った顔をしている。
落ち込んだような顔の舜太に、仁人は反省の色を見たのか、それ以上強く非難することはなかった。
「…急いでんでしょ?早く着替えてきなさいよ。」
「…はぁい。」
のそのそ着替えに行こうとするとスタッフさんから「曽野さーん!着替え済みましたかー?」と確認が入り、急いでいたことを思い出す。
慌てて着替えを終え、出てくる頃にはもう楽屋に仁人の姿はなく、改めて謝ることは叶わなかった。
仕事が落ち着いたタイミングを狙って急いで、その日のうちに個人メッセージを入れる。
少しでも仁人に与えてしまった不快な記憶を上書きして欲しくて必死だった。
【今日はごめんなさい】
我ながら子供みたいな謝り方だなと舜太は思った。しばらくして、
【次からは気をつけなさい。】
と、返事がきた。
結局はなんだかんだ許してくれることに口元が緩む。
【彼女おったんやね】
そう打ち込んで文章を消す。ダメだ。やっぱり聞けない。
仮に本当にいたとしてもこんな形では知りなくない。
【反省】と打ち直して適当なスタンプを送信した。
数日後、呼ばれたバラエティ収録で舜太は仁人と二人になった。
いつものように先に来ていた仁人が「おはよう」とあいさつをしてくれる。
「この間はごめんなさい!」
舜太が開口一番謝ると、仁人は一瞬考えて、閃いた顔をする。
「…あぁ。え!?あれ、まだ気にしてんの?」
仁人は「めっちゃ反省してるやん!」と笑いながら、それ以上追求することはせず、改めて今日の台本に目を通しだした。
色々考えても、やっぱり仁人に彼女がいるのかとキスマークのことを聞きたい舜太は、言いかけてはやめ、仁人との次の会話を探す。
当たり障りなくどのように切り出したものかと考えすぎて思うように言葉が出てこない。
それに、隠し事のあまり得意な方ではない舜太は、すぐ顔に出てしまう。
「なに?なんか言いたげだね。」
「…う、うん。」
「なによ?」
「えっと…、あ!あの!終わったらご飯行かへん?」
「え?今日?」
「仁ちゃんこの前、相談乗ってくれるって言うたやん!」
「いや、言ったけどさ…。」
「お願い!」
「はぁ~、分かったよ。店そっちで決めてね。」
「ありがとう!仁ちゃん!」
思いがけず勢いで手に入れた仁人との二人の時間に嬉しくなって抱き着く。
口では「放しなさいよ」と言いながらも、全力で剝がそうとされないのをいいことに、こっそり香りを確かめた。
今はあの煙草のような香りは混じっていなくてなぜかほっとした。
その日の夜、約束通り舜太は仁人と共にご飯を食べに来ていた。
相談という名目なので、なるべくプライベートに配慮されているお店を選んで、テーブル越しに向かい合う。
ひとしきり、会話や食事を楽しんだところで、仁人の方が切り出した。
「それで?相談ってどんな?」
「あ…えっと、相談っていうか、正確には聞きたいことなんやけど…、」
「ん?俺に?なによ?」
大きな瞳が舜太を見つめている。
食べる手を止めて箸を置き、これから聞かれるであろうことを想像もしていないキラキラした瞳に、舜太は一瞬気が引ける。
でも、意を決して訊ねた。
「あのさ…!仁ちゃんって、付き合ってる人がおるんちゃうかなー、って思ってて…」
「…は?なんで?」
「いやっ、まぁ、何となくというか、見てしまったというか…」
「…何をよ?」
「えっ?」
「だから。何を、見たのよ。」
問い詰めてくる仁人は笑っていなくて、むしろ少し威圧的だった。
「あ、の、仁ちゃんがつけてた…、キスマークを、…見ました。」
沈黙ののち、仁人が大きなため息をついた。
「はぁ~、あん時か。だからここんとこお前、ずっとバツが悪そうな顔、俺にしてたわけね。」
「…気づいてたん?」
「そりゃぁね。いや、まぁ、それに関しては、俺の方こそごめん。変なの見せて。」
「いやっ、あん時は、俺が確かめもせず急に入ったからで…、」
「…だな。うん、前言撤回。俺悪くないわ。」
そう言って笑い飛ばす仁人にはぐらかされた気がして、改めて聞き直した。
「熱烈な彼女さん、…なんやね。」
「あー、まぁ、…彼女、ではないんだけど。」
「付き合ってるわけじゃないってこと?」
「付き合ってはいる。そっちじゃなくて…、」
「そっち?どっち??」
仁人はしばらく黙っていたが、静かにこう言った。
「…男と、付き合ってる。」
「え、そうなん?」
意外だった。
仁人の恋愛対象は女性だとばかり思っていた。
嫌がってばかりいるが、いざとなれば、女性をときめかせるのだってそつがないし、相手の女性を想定したシチュエーションだってお手の物だし。
「自分から触れて回ることは今後もないけど、今、隠すのはなんか…違うなって。」
「そうだったんや。」
「…ごめん。」
「何が?」
「グループのリーダーが男と付き合ってるとか、やりづらいよなって思って。」
「そんなことないって!話してくれてありがとう。」
純粋にそう思ったから、正直に伝えただけなのに、一瞬大きな目を見開いて、仁人は手で顔を覆いながら項垂れた。
「お前、ほんとすごいわ。普通引くよ?こんなん急に言われたら。」
「そうかなぁ?むしろ話してもらえて光栄やし。」
「そうなん?」
「だって隠すことだってできたのに、話すことを選んでくれたってことやろ?」
「まぁ…、そうね。」
「ありがたいやん。」
「…はぁ、お前の相談聞くはずが、自分の話をすることになるとは…」
頭を抱えている仁人だったが、思いの外深刻そうでもなく、少し晴れやかな顔をしているようにも見えた。
「他に知ってる人はおるん?このこと。」
「ん~、自分からカミングアウトした人はいないかなぁ…。」
「メンバーとか、家族とかにも?」
「タイミングがなかったし。」
「そっか…。あっ!」
突然出た舜太の大きな声に、大げさに驚く素振りをする仁人を笑いながら名案を伝えた。
「じゃあさ!これから俺に恋愛相談してよ!仁ちゃんが今まで言えんかったこと、これからは俺が聞けるやん!」
「え~…、いや、いいわ…。」
「なんで!?第三者の意見も大事やって!」
「いや、結局は自分だから。」
「そらそうやけど、恋愛って相手がおってのことやん?自分だけのことならそれでもええけど、別角度の意見も大事やって!」
「…もっともなこと言うなよ。」
「まあ、何か悩んだらの話やから!ね!仁ちゃん!」
そう言って、納得していない様子の仁人を窘めて相談役としてのポストを手に入れた舜太は、その後、そのことを大いに後悔することになるのだった。
コメント
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わあ……すごく良いお話でしたね。仁人から舜太へのカミングアウトのシーン、すごくじんと来ました。隠すこともできたのに「話すことを選んでくれた」って舜太が言ったところ、ああいう優しさって本当に大きいなって思います。香りや仕草の描写も細やかで、二人の距離感が少しずつ変わっていく様子にドキドキしながら読みました。続きがすごく気になります!
#さのその
やまたに
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