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Ave, o Maria, piena di grazia,

il Signore è con te.

 Tu sei benedetta fra le donne

e benedetto è il frutto del tuo seno, Gesù.

Santa Maria, Madre di Dio,

prega per noi peccatori,

adesso e nell’ora della nostra morte.

Amen.

 

 小さな教会の、規模に見合った小さな礼拝堂の中に熱心な祈りの声が響く。

 その声の主はここにやって来てからと言う日々、幾度となくその祈りを唱えているために祈りの言葉を我が物としているが、彼女の胸を締め付けるような問題は日々起こり、その祈りを妨げることも多々あった。

 その中でも祈りを忘れずに繰り返す彼女の前、小さなマリア像がただ優しく彼女をはじめ、この礼拝堂を訪れる人々を見守り続けていた。

「――神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も、死を迎える時もお祈りください。アーメン」

 祈りを最後まで唱えた彼女は、マリア像を見上げてほうと溜息を吐き、最近痛みを訴え始めた身体で何とか立ち上がり、礼拝堂の中をぐるりと見回す。

 小さな古い教会だが、彼女がここを先代から受け継いだ時と比べれば建物はともかく、この教会を訪れる人も増え、行事ごとにも人が来てくれるようになり、少しずつ暮らし向きは改善していた。

 それは彼女たちの暮らしが豊かになったと言うことでは無く、教会に付設している児童福祉施設で暮らす子ども達の日々の食事が一品増えたり、月ごとに纏めて行う誕生日に食べるケーキが少しだけ立派なものになるというささやかなものだったが、それでも子ども達を喜ばせることが出来ていた。

 今日もまた週末に行う誕生日会で配るお菓子作りをしなければと笑みを浮かべた彼女は、礼拝堂のドアが静かに開いたことに気付いて顔を向け、太陽の光を背負ってゆっくりと歩いてくる人影に目を凝らすが、窓から入る光だけが光源の礼拝堂内では手を伸ばせば届く距離にまで近付かないと人の顔は分からなかった。

 その為、その人影が間近にまでやって来たとき、ようやく誰が来たのかが判別出来、彼女の顔に懐かしそうな笑みが浮かび上がる。

「――久しぶりです、マンマ」

「本当に、久しぶりだこと。前は毎日のように顔を出していたのに」

「申し訳ありません」

 彼女が久しぶりの来訪を咎めるよりは喜ぶ色を前面に出して人影を長椅子に誘うと、彼女より遙かに背の高いその影が彼女の手を優しく取って長いすに並んで腰を下ろす。

「最近はどうしているの? 元気にしているの?」

「……色々ありまして、今はローマにいます」

「ローマに? 前はドイツにいたと聞いたけれど戻ってきていたの?」

「はい。ドイツで、本当に……本当に、今まで生きてきた中で最高の時間を、最高の友人と過ごせました」

 一言一言を噛み締めるように呟く横顔を見つめながら頷いた彼女は、ただ、その時間を奪われたことが悔しいと拳を握るその顔に今度は頭を左右に振る。

「悲しいこと、辛いことがあったのね」

「……はい」

「かわいそうに。でも、神は乗り越えられない試練を与えたりはしません。あなたになら乗り越えられる試練だからお与えになるのです」

 神の愛は本当に深いものなのですと祈りながら呟く彼女に影が一つ頷き、その試練にこれから立ち向かおうと思っていますがその前にご挨拶をと思いましたと告げつつ彼女の横顔を見つめると、彼女も影と向かい合うように座り直し、今度は正面に座る影のために祈り始める。

「どうぞあなたがその試練を無事に乗り切れますように……」

「……ありがとうございます、マンマ」

 彼女の祈りに短く礼を言った影は、再度礼拝堂のドアが開き小さな足音が近付いてきたことに気付くと、長いすの上で身を捩って入ってきた人を確認しようとするが、扉の間から差し込む光が他の窓から差し込むものと比べれば眩く、またその影が黒いことから誰であるかを察し、彼女に向けたものとはまた違う笑みを浮かべて立ち上がる。

「ここにいたのか」

「ああ。久しぶりにマンマと話をしていた」

「あなたも久しぶりですね」

「ご無沙汰していました。こちらになかなか戻ってくることが出来ずにいて申し訳ありません」

「二人でローマにいるのですか?」

「はい」

 立ち上がった影に釣られるように彼女も立ち上がり、同じ背丈の二人の前で手を組んで短く祈った彼女の脳裏にこの教会の裏庭で毎日走り回っていた二人の子どもの顔が蘇る。

「……随分と立派になって」

 その言葉に二人が顔を見合わせたようだったが、マンマはお変わりなくいつも優しく暖かいと笑みを浮かべて彼女の手を取ると恭しいキスを手の甲に交互にする。

「そろそろローマに向かう時間なので失礼します」

「また顔を見せに来るのですよ」

「はい」

 後から入ってきた影の言葉に彼女が寂しそうな顔をするがそれを振り切って笑みを浮かべ、二人の手を交互に取った後、再会を約束して短く祈る。

「……二人とも、ローマでも元気に過ごすのですよ」

「ありがとうございます」

「マンマもお元気で」

 その言葉に二人が深く頷いた後礼拝堂内をぐるりと見回し感慨深げに吐息を一つ零すが、互いの腰を拳で軽く叩き合ったかと思うと、ゆったりとした足取りで開け放ったままの扉に向けて歩いて行く。

 二人の影が伸びる床を見つめていた彼女は、別の扉が開いて同じ志を持つシスターに呼ばれたことに気付き、身体ごと振り返って笑みを浮かべる。

「マザー・アガタ、誰か来ていたのですか?」

「ええ。昔ここにいた子ども達が来てくれていたのですよ」

 懐かしい顔で二人が出て行った扉を見やった彼女はどなたでしょうかと問われて一瞬考え込むように頬に手を宛がうが、最近は年のせいなのか中々名前が思い出せないと苦笑する。

「歳を重ねるとはこういうことなのですね」

「マザー、そうなられては困りますので頭を使うことをしましょう」

 迎えに来たシスターの半ば本気の言葉に苦笑し礼拝堂内を先程の二人の様に見回した彼女は、二人が出て行った後開け放たれているままの扉を閉めるために再度歩き出し扉をそっと閉めるが、その時、何かを閃いたように顔を上げ、振り返りながら思い出しましたと笑みを浮かべる。

 その笑みは扉の隙間から入り込んでいた日差しのように明るいものだったが、影をもはっきりと浮かび上がらせたようで、シスターが眩しそうに目を細める。

「ルーチェとオンブラ、周りからはそう呼ばれていました」

「光と影、ですか?」

 随分と意味深い名だとシスターが目を丸くするが、その名が表すように二人は何をするにも一緒にいたこと、当時施設にいた他の子ども達の中では突出した存在だったことを思い出し、当時のことがつい昨日のように思い出せると小さな笑い声を立てるが、ルーチェとオンブラなどと言う名前は愛称か何かかと問われて頷く。

「そうそう。ルーチェとオンブラは先代が名付けたものでした」

「マザーの前にいらっしゃった方ですね。出生届には何と?」

 当然の問いに彼女も答えようとするが、あら、また忘れてしまったわ、本当に年を取るとイヤだと笑い、シスターも穏やかに笑った後、来客があることを思い出したと目を丸める。

「私も物忘れが激しくなってきたようです」

「これも神が与えたもう試練かしらね」

「おお、神よ」

 二人が聖母像に短く祈り客を待たせるのは良くないことを思い出して足早に礼拝堂を出て行こうとするが、シスターが入って来たドアを潜った時、脳裏で出番を待っていたように二つの名前が口からこぼれ落ちる。

「……ルクレツィオとジルベルト」

「え?」

「あの二人はルクレツィオとジルベルト。そうそう。ルークとジルと呼んでいたわ」

 ああ、本当に懐かしいと笑みを浮かべる彼女にシスターも頷くが、本来の用事を今度こそ思い出したのか早く戻りましょうと彼女の背中に手を宛がって客がいる部屋に向かう。

 意味深い形容詞ではなくルークとジルと呼んでいた子ども達が立派に成長した姿を見ることが出来て本当に嬉しいとシスターに何度も語りかけた彼女は、扉を閉めたときの眩しさに目を細めていたためその影に潜むものへと目を向けることは無かったが、それと同様二人に纏わる黒い噂を耳にすることはなかった。

 そのため、二人が関わった事件について国内外のマスコミから取材を受けたときもあの二人はそんな子どもでは無かったと最後の最後まで二人を庇い続けるのだが、当の本人達はそんな彼女の思いを知ってか知らずか、真っ当な稼ぎではなかなか手に入れられない高級車で故郷から走り去っていた。

 フィレンツェの歴史ある建物の間を通り慣れているのか迷うこと無く進む高級車の後部シートで長い足を組んだ金髪碧眼の男が、隣で車窓をぼんやりと見ている黒髪の男にどうしたと呼びかける。

「……マンマ、老けたな」

「そうだな」

 俺たちがあの児童福祉施設にいた頃は当然ながらもっと若かったが、互いの道を歩み続けた結果を目の当たりにして思わず感慨深げに呟くが、あんなにも穏やかにものを話す人じゃなかったと碧眼が笑みに彩られると、横目で彼を見た男が小さく吐息を零して頭を一つ振り、金髪にそっと手を差し入れる。

「今回はドイツだから俺は行けないが、早く帰って来いよ」

「……」

「どうした?」

 黒髪の男の問いかけに無言で首を左右に振った後、癖なのか爪を噛んで舌打ちをする。

「何を苛立っているんだ?」

「苛立ちもするさ。俺の光を陰らせた奴らに復讐したいね」

 碧眼にさっきとはまったく違う冷淡な色を浮かべて舌打ちをする横顔に小さく苦笑した男は、確かに復讐したいがドイツに出向くのはまだ危険だから時機を窺っているだけだと答え、記憶の中にあるものとは色合いが違うブロンドを撫でて目を細める。

「ルーク、そうカリカリするな」

「……ジェラートを食べないか、ルーチェ?」

 男の言葉に気分転換を図るかのような言葉を返したルークと呼ばれた金髪の男は、ルーチェはお前だろうと外見から連想されるイメージを伝えられていつものように首を左右に振る。

「俺にとっての光はお前だ、ジル」

 児童福祉施設で知り合った時にお前の背後に眩いばかりの光を見たが、俺はその光を持つことは出来ないしその光の中でこそ自由に出来るんだと全幅の信頼を置くというよりは疑う事を知らない顔で囁くと、ジルと呼ばれた男がブロンドにキスをする。

「ピスタッキオとリモーネだったらどっちが食べたい?」

「俺はリモーネでルーチェがピスタッキオとクレーマだな」

「増えてる」

「良いだろう?」

 ジェラートをシングルで食べるつもりだったのにいつの間にかダブルになっていると笑うと、碧眼が子どものような笑みを浮かべて舌を出す。

 その笑みが別のブロンドを持つ子どものような浮かべる男を思い出させ、僅かに眉を寄せた男は、マンダリーネも追加しようと笑うと結局二人揃ってダブルを食べる事になると笑い合う。

 後部シートで楽しげに笑いながらジェラートの話をしていた二人だったが、助手席にいた雑誌に載っているようなファッションの青年が控え目に呼びかけてきたため、同時にそちらへと顔を向ける。

「……申し訳ありません、ルクレツィオ様、ジルベルト様」

「どうした?」

「……積荷がどうも目を付けられているようです」

 二人が楽しそうに話しているのを妨げて申し訳ないとルームミラーの中で詫びる青年に鷹揚に頷いた二人だったが、ドイツでの取引をする予定だった積荷に警察が勘付いたこと、ロスラーが忠告を無視してフランクフルトに戻ったようですとも答えられると、ジルベルトの目が今まで見た事がない様な色を浮かべる。

「フランクフルトに戻っただと?」

「はい。FKKを任せている男から連絡がありました」

 以前、フランクフルトのFKK-売春宿に東欧諸国で誘拐同然に連れ去った若い男女を送り込んでいたが、一人の少女の死がフランクフルトの組織を壊滅させる事件へと発展したことがあった。

 その時、フランクフルトを任せていたロスラーという男がいたのだが、事件の発覚後、ジルベルトと同じようにドイツを離れていると思っていた男が戻っていたと知らされ、ジルベルトが身に纏う空気が一気に険しさを増す。

「フランクフルトでの足取りは?」

 そんなジルベルトの様子を横目で見たルクレツィオは彼が口を開く前に疑問を投げかけ、さすがに市内やFKKがあった辺りにはいないが郊外の小さな村にいる事を教えられて今回の取引をそのまま進めるのも危険だから様子を見ると告げ、ロスラーについてはルーチェと一緒に対策を考えるから居場所だけは把握しておけと命じると、苛立たしそうに舌打ちをする幼馴染みの腿にそっと手を置いて気分を鎮めろと言外に告げる。

「そろそろロスラーも邪魔になってきたか」

「そうだな。いつ処理をする?」

 二人がやや躊躇ったように呟く言葉に助手席と運転席にいた二人の青年が何を躊躇っているのだろうと視線を交わし合うが、今話題に上ったロスラーへの処遇をどうするのかではなくいつどこで処理をするのかで悩んでいると気付くと、ステアリグを握る手が自然と汗ばんでしまう。

 運転席と助手席が重苦しい気配に包まれる車内だったが、後部シートでは何事も無かったようにジェラートの話で盛り上がり始め、一体どうするつもりだと不安を感じた時、ジルベルトが窓の外へと顔を向けながらぽつりと呟く。

「戻るか」

「……良いのか?」

「ああ。……ロスラーを放っておけないだろう?」

 このまま放置しておけば警察がロスラーの居場所をかぎつけてこちらに辿り着くかも知れないと肩を竦めたジルベルトは、じっと横顔に視線を注ぐ幼馴染みと横目で目を合わせると、外見は大きく違うが根底にあるものが同じだと教える笑みを口元にたたえる。

「それに……お前の言うようにあいつらにも復讐をしないとな」

 フランクフルトの組織を壊滅させた事件、あの時死んだシスターの手帳を預かったとやって来た一人の医者がいたが、その彼のおかげでドイツを離れなければならなくなったことを思い出すと同時に、毎日を面白おかしく過ごしていた友とも別れなければならなくなったことも思い出され自然と拳を握ってしまう。

「どうする?」

「そうだな……変わり種が欲しい客がいる。売りつけるか」

 その前にこちらの気が晴れるように手助けして貰うつもりだがと笑うジルベルトにルクレツィオも同種類の笑みを浮かべ、傷物が欲しい客だから喜んで言い値を払うだろうとも笑うと、ジルベルトが口角を嫌な角度に持ち上げる。

「……おお、気の毒なドク。俺たちが行くまでせいぜいお前の太陽と楽しんでおけ。お前を売りつける客は五体満足な人間を虐めるのが唯一の愉しみだからな」

 低い呟きにルクレツィオが楽しそうに肩を揺らし、生まれつきベッドから出られない人間は五体満足な人間に屈折した愛情を注ぐがそれに耐えられると良いなとも笑うと、ジルベルトの手がルクレツィオの金髪の中に差し入れられ、髪を撫でられると自然と笑みを浮かべてしまう。

「ジェラートを買って帰ろうか、ルーチェ」

「ああ、そうだな。アナナスも追加したいな」

 もう一種類追加したいと笑うジルベルトにルクレツィオも同意の笑みを浮かべたあと、助手席の男に馴染みのジェラート屋に向かうこと、お前達も一緒に食べろと笑いかけると満足そうにシートにもたれ掛かる。

「正直今回の取引は乗り気じゃなかったけどお前が一緒に行くのなら最高のものになりそうだ」

「そうだな……待ってろよ、ドク。もうすぐ会いに行くからな」

 そしてその時にはお前を悲しませてしまうかも知れないが許してくれ、その代わりお前の大好きな男にとっておきのプレゼントを贈るから是非とも喜んで受け取って欲しいと、己の思いつきが最高だと言いたげな顔で笑うジルベルトにルクレツィオも楽しくなってきたのか、鼻歌を歌い始める。

 その鼻歌をジルベルトはドイツで暮らしていた日々の中幾度となく聞いたことがあり、ドクが現れなければ今も愉快な仲間達と一緒に働いていられたのにと、己がドイツを離れなければならなくなった原因の彼に逆恨みを募らせる。

「……俺の太陽、か」

「どうした、ルーチェ。光から太陽に昇格するのか?」

「……俺の太陽はお前だ、ルーク」

 お前は俺を光と呼ぶが本当に光のように眩しいのはお前だと目を細めて囁くジルベルトにルクレツィオの碧眼が丸くなるが、幼馴染みからの手放しの褒め言葉に他意も何もない笑みを浮かべてジルベルトの頬を指の背で撫でる。

「ドイツにはいつ行く?」

「そうだな……月が変わってすぐはどうだ?」

「そうか……アッディーオ、ロスラー」

 ジルベルトの言葉にルクレツィオが歌うように呟き、その言葉からロスラーがこの世と決別するのが月が変わってすぐであること、その間ローマでの活動について色々と準備をしなければならないことを助手席の男が察し、組織の中でも重要な二人がドイツに出向くまでの間不自由がないようにしようと決めるのだった。

 

「……ハーッチッ!」

「ゲズントハイト、リーオ」

「ダー」

 盛大なくしゃみの後にぐずぐずと鼻を鳴らした恋人を呆れた顔で見たのは、今日も今日とて互いの領分で必死になって働いた後、労いのキスを交わして心身を満足させるための食事を終えてリビングで寛いでいたウーヴェだった。

 いきなりくしゃみが出たと鼻を啜った後に魔法のブランケットと呼ぶそれを身体に巻き付け、まるで蓑虫か何かのようにカウチソファの上をずるずると這いずったリオンは、オーヴェぇ、くしゃみが出るからチョコを食べると言い放ってウーヴェを絶句させる。

「チョコを食べることとくしゃみが出ることの相関性が見いだせないから却下」

「オーヴェのケチ!」

「……明日買いに行こうと思っていたがチョコは要らないんだな? そうなんだな、リーオ?」

 リオンの言葉にウーヴェが冷淡に返すと、うぅ、オーヴェのイジワルトイフェルくそったれと定番の文句が口から流れだす。

「誰がトイフェルだ」

「オーヴェ!」

 よく恋人を悪魔と言えるなと横目で睨まれても蚊に刺されたほどの痛みを感じない顔でリオンがそっぽを向く。

「……な、オーヴェ」

「何だ」

「うん。月変わってから急に寒くなったと思わねぇ?」

 さすがに悪魔は言い過ぎたと思ったのかそれとも今のやり取りは悪魔でもウーヴェとの会話を楽しもうとするだけのものだったのか、雑誌へと目を向けるウーヴェの横に身体全体で躙り寄ってきたリオンは、寒くなったと思わないかと問いかけつつ端正な顔を見上げ、言葉ではなくどんな時も優しい手が髪に添えられたことに気付き笑みを浮かべる。

「ホットチョコ飲みてぇ」

「……明日のチョコは我慢出来るな?」

 あまりにもチョコをとうるさい為に根負けしたウーヴェが溜息をつきつつリオンの髪を撫でて明日我慢できるのなら今からホットチョコを作ろうと笑うと、明日は明日の風が吹くと嘯かれ、優しいとリオンが称する手で青い石のピアスが填まる耳朶をぐいと引っ張る。

「いでー!!」

「う・る・さ・い」

 せっかくホットチョコを作ろうと思ったのにとリオンを睨んだウーヴェは、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいお願い許してオーヴェと捲し立てられて溜息一つで力を抜く。

「まったく」

「ごめーん、オーヴェ!」

 もぞもぞと起き上がりカウチソファに座り込んで泣きべそを掻くフリをしたリオンは、付けっぱなしだったテレビに何気なく顔を向けてそのまま動きを止めてしまう。

 映し出されているのは国内のどこかののどかな村の風景だったが、村の外れを流れる小川のほとりに人が集まり、その人達を整理する制服警官が映し出されているのを見た瞬間、さっきの軽口を叩いた人間とは思えない真剣な顔で画面に見入ってしまう。

「リーオ、ホットチョコはどうする?」

 結局根負けしてホットチョコを作ろうとキッチンに向かったウーヴェがどのチョコを使うか確かめるためにリオンに呼びかけるが、まったく返事がないためにリビングのドアから顔を出してどうしたと問いかける。

 その問いにも返事をしないために何かあったのかとウーヴェがリオンの傍に向かったとき、テレビから緊張しているような女性キャスターの声が流れて耳に飛び込んでくる。

『……ここが、身元不明の男性の死体が発見された現場です』

 キャスターの声にウーヴェがリオンの横顔を見下ろすと、蒼い瞳が滅多に見ないほど真剣な色を帯びていて、ホットチョコの出番はなさそうだなと内心で呟きつつリオンの横に腰を下ろすと、無意識の動きなのかブランケットを握っていた手が自然とウーヴェの腰に回される。

『身元不明の男性の死体が発見されてから三日が経とうとしていますが、依然として身元は判明しておらず、地元警察では似顔絵を公開して情報提供を求めています』

 この似顔絵に心当たりのある方は警察までご一報下さいとのキャスターの声にやるせない溜息を零したリオンは、平和だと思っているしまたそうなのだが人が死なない日は一日としてないんだなと呟き、ウーヴェの肩に頬を宛がうように首を傾げる。

「……そうだな」

 悲しい現実だなとリオンのやるせなさに同調するように呟いた後、くすんだ金髪を撫でて気持ちを切り替えろと態度で示すと、両腕が腰に回されて抱きしめられ、そのままカウチソファに押し倒されてしまう。

「こらっ!」

「……ホットチョコちょーだい、オーヴェ」

 諦めたわけではなかったのかと呟きつつリオンの背を一度撫でたウーヴェは、ホットチョコを飲みたければ起きてくれと笑うとリオンもようやく笑みを浮かべて起き上がる。

「ダンケ、オーヴェ」

「ああ」

 二人揃ってリビングからキッチンへと向かい、ホットチョコを珍しくウーヴェも飲むと笑った為リオンの顔の笑みが深くなる。

「ホットチョコを飲んだらさ、ベッドで仲良くしようぜ」

 キッチンとリビングの間の廊下からベッドルームのドアを見たリオンが誘いの言葉を囁くと、今日はそんな気持ちにならないとにべもなく断りつつもチョコにブランデーを入れても良いのなら誘いに乗りましょうと笑うと、不満の声が耳元で小さく響く。

「ホントーに酒が好きなんだからな、俺のダーリンは! 結婚したら酒の量は俺が決めるからな!」

「なんだそれは。頑張って働いているんだ、好きに飲ませてくれても良いだろう?」

「良いけどオーヴェは量を加減しないからダメ」

 そのやり取りは酒をチョコレートに置き換えた時にリオンがウーヴェに言われ続けているものになるのだが、幸か不幸かどちらもそれに気付いておらず、酒はある程度ならば心身のリラックスをもたらすものだから良いとウーヴェが返すと、そのある程度が一般的な量を超えているんだとリオンが口を尖らせる。

 互いの嗜好に対する不満をぶちまけつつも互いの腰に回した手はそのままで、至近で不満を訴えながらキッチンに向かった二人は、その後も酒とチョコの分量について呆れるような言い合いを続けるのだった。

 そんな二人が出て行ったリビングのテレビでは女性キャスターがインタビューを行っている警察関係者の中に難しい顔をした見知った男がいたのだが、二人はそれに気付かず、周囲からすればいい加減にしろと怒鳴りたくなるような言い合いを続けているのだった。

 

 テレビで流れた事件が後に二人とその周囲を巻き込んだ事件へと発展することになるのだが、人である二人がそのことに気付けるはずもなく、いつもと変わらない二人でいるだけなのに何故か賑やかになる夜を過ごし、雲の合間から顔を出す月がこの後の悲劇をただ見守るように細く白く光っているのだった。



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