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拷問され痛めつけられた身元不明の死体がフランクフルト郊外の川で発見された前日、その川を少し上った村はずれにうち捨てられた小さな工場があり、誰も訪れる事がなくなったそこに一台のセダンがゆっくりと入ってくる。
そのセダンは人々の記憶に残らないほど特徴のない車だったが、助手席から降り立ったのは一度見れば決して忘れることが出来ないほどの美形の男で、夕日に照らされて光るブロンドを煩わしげに掻き上げて周囲を一度だけ見回した後、運転手を顧みることなく鉄の扉を軋み音を立てながら押し開いて中に入る。
この工場は村の発展を考えた人々が海外からの資本を受け入れて作った食肉加工工場だったが、資本を提供した会社が投資した以上の利益を上げることが出来ないと判断し撤退してしまったため、数年で廃業を余儀なくされたのだ。
稼働しなくなった工場は誰も借りることもなくそのまま年月が経ち、機材等だけが残され錆び付いたまま今に至っていた。
そんな工場跡地に場違いな男が彼方此方が割れているコンクリートの上をゆったりと歩き、加工する肉を保存していた大きな冷蔵庫の前に向かう。
冷蔵庫はとうの昔にその役目を終えているためにただの巨大な箱と化しているが、分厚い扉の為に遮音性に優れていた。
男の白い、肉体労働などしたことがない手が扉を開け、冷蔵庫内の様子を伺うように顔を巡らせるが、眠そうな声にどうしたと問われて一つ肩を竦める。
「……ジェラートはマンマが売っていたものが良いな」
「フィレンツェが恋しくなったか?」
ことさらそんな言い方をするところを見ると拠点としていたローマではなく生まれ育ったあの児童福祉施設のあるフィレンツェに帰りたくなったかと、その児童福祉施設で出会ってからいつでもどこに行くときでも傍にいる黒髪の幼馴染みが伸びをして眠気を追い払うように瞬きを繰り返すが、そんな彼に穏やかな顔で荷物について話がついたことを伝えると、一瞬で眠気が覚めたようにパイプ椅子に後ろ向きに座り直し、金髪碧眼の王子様と称されたこともある男を見上げる。
「買い手が見つかったのか?」
「俺の光をこちらの世界に閉じ込めた男から得た金など欲しくない」
お前が日の当たる世界から身を隠さなければならなくなった切っ掛けを作った男だから商品として扱うのは許せない、なので誰かに払い下げようと思うと、己の思いつきが最高だと言わんばかりの笑顔で両手を広げる男と同じ顔で頷くが、脳裏に決して忘れられない人懐こい笑顔を思い浮かべると一つ身体を震わせる。
「ルーチェ?」
「……ルーク、それ、良いな」
「そうか?」
「ああ」
同じようにパイプ椅子を運んできて向かい合って腰を下ろす金髪の幼馴染み、ルクレツィオに嬉しそうな顔で笑いかけたジルベルトはどうしてそんな楽しいことを思いつくんだと肩を揺らすが、脳裏にはこの街を逃げるように飛び出すまでの日々が蘇っていた。
気の良い仲間と毎日面白おかしく働いていた懐かしい日々はあの事件で不意に終わりを迎えてしまい、組織のトップとして君臨していた幼馴染みの元に文字通り逃げ帰ることになったのだが、逃げ帰るという行為も腹が立つが何よりも腹立たしいのは幼馴染み以外に初めて出来た親友と呼べる男との別離を余儀なくさせられたことだった。
あの時、その親友の姉が事件発覚の切っ掛けを作らなければ、彼が人身売買に荷担している-どころかその組織の中枢人物-である事が発覚せずに今も夢のような時間の中にいられたのだ。
その夢から目覚めさせ、幼馴染みの言葉を借りれば闇の中に閉じこもらなければならなくなったことへの復讐は、結果的にその親友を悲哀の底に沈めることになったとしても成さなければならないことだった。
幼馴染みの元に向かうために飛び乗ったICEで感じていた屈辱はこの復讐を成し遂げることでしか昇華できなかった。
復讐のターゲットは三人で、事件の切っ掛けを作ったシスターという神に仕える身でありながら人身売買に荷担していたゾフィーという女はその時に嬲り殺しにしているために残る二人が今回のターゲットで、そのうち一人はフランクフルトで刑事をしながらもFKKの運営の一端を任せていたロスラーという男だった。
先の事件の時、ロスラーはジルベルトの立ち位置を理解していたためにまだ生かしておいても大丈夫だろうとの判断からロスラーの逃亡を密かに手助けしていたのだ。
だがそのロスラーが二年という短期間のうちにフランクフルトに戻ったことを先日知り、組織についての情報を手土産に警察と司法取引でもされてしまえばルクレツィオと二人で支え合いながら大きくしてきた組織に危機が訪れてしまう危惧から、彼もまだまだ事件から日が浅いうちにドイツに戻る決意をしたのだ。
ロスラーの身柄が警察の手に渡る前に何とか捕まえて数日前にここの工場跡地に監禁し、警察に情報提供などしていないかを吐かせていたのだが、二人が危惧したようにあと少し遅ければロスラーはフランクフルトの元同僚に連絡を取り、保護を求めて駆け込むところだったことが判明したのだ。
間一髪だったと安堵の笑みを浮かべながら元々は肉を天井から吊すためのフックにロスラーを吊り下げ、その背中をバタフライナイフで斬りつける幼馴染みにここで殺すなとだけ伝えたのが昨日の話だった。
だが、ジルベルトにはあと一人だけどうしても許せない男がいた。
それは、あの事件で直接の関わりがないくせに首を突っ込んだ挙げ句ロスラーが組織の一員である事を暴露するだけではなく、彼自身も逃走しなければならなくなった直接の切っ掛けを作ったウーヴェだった。
ジルベルトの目が昏く光ったのを見たルクレツィオはそっと手を伸ばして黒髪を掻き上げ、どうした俺の光と歌うように囁くと、リオンの傍にいられなくなったことが本当に悔しい、その責任だけは取って貰うとくぐもった声で呟くが、ルクレツィオが目を細めてああ、そうだ、お前の悔しさは俺のものだ、お前を苦しめるやつには同じ目に遭って貰おう、だからあの男にも苦しんで貰おうとジルベルトを安心させるように囁く。
「……リオンがまさか男と付き合うようになるなんてな」
今回の事件があったから復讐することにしたが、実は密かにそれ以前からウーヴェのことはあまり快く思っていなかったジルベルトは、何故そう思うようになったのかを今更のように口にすると、近くで向かい合って座るルクレツィオが微苦笑しつつ肩を竦める。
「ルーチェはゲイが嫌いだからな」
「ゲイやレズなんかどこかの無人島にでも閉じ込めてしまえば良い」
そこで生産性のない行為に励んで絶滅すれば良いんだと笑うジルベルトにルクレツィオは今度は無言で肩を竦めるが、それを見たジルベルトが微苦笑を浮かべつつ白皙の頬に手を宛がう。
「……お前は別だ、ルーク」
ルクレツィオの頬に手を宛がいながら眩しい笑顔でゲイであってもお前はお前だからと告白するジルベルトの頭に手を回して椅子越しに抱き寄せたルクレツィオは、俺の光、いつもその笑顔で俺を照らしてくれと歯が浮きそうな言葉を真摯な口調で返し、小さく互いに笑い合って背中を一つ叩く。
児童福祉施設で出逢ったとき、互いに目を合わせた瞬間に言葉では表せない思いを互いに感じ取って以来、何をするにも二人は一緒だった。
悪戯ばかりを繰り返しシスターらに叱られるときも、逆に珍しく掃除などの手伝いを積極的に行って褒められるときも二人は一緒だった。
ジルベルトが児童福祉施設の隣にある教会に礼拝に通う少女と初めてキスをした時もルクレツィオは傍にいて、ルクレツィオが村の実力者に気に入られて養子に迎えたいとの話が出た時は、二人一緒でなければ絶対に嫌だと言い張り、二人揃って児童福祉施設から引き取られることになったのだ。
その時以来ずっと一緒の二人だが、二人を引き取った実力者が小児愛好者だったため、ルクレツィオは毎晩のように相手をさせられていた。
何よりも大切な掛け替えのない友人が己の父よりもずっと年上の男の相手を毎晩させられ、疲労困憊の体で部屋に戻ってくるのを幼い無力なジルベルトはただ見守ることしか出来ず、己の力のなさを呪い、いつか必ずルクレツィオを助け出すとの強い思いを胸に勉強にも励みケンカの腕前も上げていったのだ。
その一方でルクレツィオはジルベルトとは違った意味で己の身体を武器にする術を身につけ、義務教育を終える頃には屋敷の中で二人に意見できる存在は片手ほどしかおらず、屋敷の主-二人が敬意を込めてジジイと呼ぶ男-から人身売買の組織の後継者と名指しされ期待されるようになったのだ。
組織の中でルクレツィオは外見の優雅さとは裏腹な冷酷さを見せ、取引に失敗をしたり組織に危機を招きかねない言動をするものを発見すれば容赦なく文字通り切り捨てて組織を恐怖で縛り上げていたが、ルクレツィオの凶暴さはジルベルトに対し反感の意思を示しただけの者にも向けられ、またジルベルトもそれを制止することがなかったため、二人が学校を卒業した頃には逆らうものなど誰もいなくなっていた。
組織を二人で動かすようになって少したった頃、イタリアだけでなくドイツにも組織の支部を作る話が持ち上がり、引退していたが後見人として二人を見守っていた男がジルベルトにその組織の責任者になるように命じたのだ。
その命令に猛然と反対をしたルクレツィオを冷静に説得したジルベルトは、それでも離れたくないと抱きつく幼馴染みの背中を撫でつつ、定期的に帰ってくる、面白い奴を見つければ紹介する、お前が望むように明るい世界でお前の役に立つから行かせてくれと笑い、ようやくドイツに旅立たせてもらえたのだ。
物理的に距離が開いたからといって二人の心の距離が開いたわけではなく、組織に関する情報をいち早く入手できることから刑事になったジルベルトは、暇が出来れば時差や時間など関係なくルクレツィオに連絡を取り、一つの心を共有する幼馴染みと今後について飽きることなく話し合っていたのだった。
そんな表と裏の顔を持つようになったジルベルトが刑事をしている中で出逢ったのがリオンだった。
子どものようなと称されることの多い笑みを浮かべ、子供じみた言動も多い男だが、滅多に見せることのない心の奥底に、ジルベルトが幼い頃に自覚しルクレツィオも抱えている澱んだ沼で時折弾ける気泡のような暗い感情を内包していることに気付いたのだ。
孤児という共通項からそれを見抜いたジルベルトがリオンに声を掛け、時間が出来たからと飲みに出かけたときルクレツィオと初めて出会ったときのように直感で分かり合えることに互いが気付き、それ以来意気投合していたのだ。
そのリオンが、彼が毛嫌いする-などという言葉では生易しいほど嫌っている-ゲイになったと知った時の衝撃は今でも時折夢に見るほどだった。
自ら引き受けたとはいえ二重生活を送る上で感じるストレスを発散させてくれる貴重な友人、その友人を己が毛嫌いするゲイへと引きずり込んだウーヴェに対する恨みは日々募っていき、顔を合わせる機会があっても上手く理由を作ってそれを躱してきたジルベルトだが、ふつふつと憎しみを募らせる相手が己を闇の中に追いやることになったのは、神がジルベルトに彼に対する復讐をする絶好の機会を与えてくれたようなものだと笑うとルクレツィオも同じ笑顔で大きく頷く。
「お前は神に愛されているからな」
「それはお前だろう、ルーク」
俺を光だ何だと呼ぶが誰が見ても神の寵愛を受けて光に包まれているのはお前だと笑うと、ルクレツィオの目に不満の色が浮かび上がる。
「俺が光に見えるのは掃き溜めの底にいるからだ。その中にいても沈まないお前こそが光なんだ」
組織という掃き溜めのトップに立っているが、こんな身なりでなければ俺はきっとジジイに見出されることも無くあの児童福祉施設で古くさい聖書を相手に生きていかなければならなかったと笑う幼馴染みの頭を今度はジルベルトが抱き寄せてブロンドに口付ける。
「お前がいたから……俺はジジイに引き取られても頑張ることが出来た。……ジル、お前のおかげだ」
お前がいなければそもそもあの小児愛好者の元に行ったとしても一日で逃げ帰ってきただろう、お前がいたからあの時あの場所で踏ん張ることが出来たのだと、互いに支え合っていたことを告白し同じ思いだと頷き合った二人は、さあ、この国に残してしまった汚点を拭き取りに行こうと額を重ね合って笑い合う。
「光に汚点なんかあってはならないからな」
「そうだな」
楽しげに笑い合う二人だったが、少し離れた床に置いた大きめの箱から微かな呻き声が聞こえた瞬間、笑みを掻き消して冷酷な目で見つめ合う。
「……それよりも先に片付けなければならない荷物がある」
「そうだったな。まだ生きてるのか?」
「死なせてしまえば捨てるのに手間が掛かる」
だからまだ生きている間にどこかの川にでも捨てに行くつもりだがお前が帰ってくるのを待っていたと、この後の一仕事を思えばただただ煩わしいと言いたげに前髪を掻き上げたジルベルトは、大きめの木箱へと視線を向け、バラして捨てる手間を思えば生かしておいた方が楽だろうと口の端を持ち上げる。
「確かに」
血が流れるとお前の手が汚れる、血で汚れるのは俺だけで良いと笑ったルクレツィオに頭を一つ振るが、それもそろそろ限界だから今夜にでも捨てに行くかと不要になったものを捨てる気軽さで呟き、ルクレツィオも同意を示したため長い足を伸ばして箱を軽く蹴る。
「……良かったな、今夜でその苦しみから解放されるぞ」
もう辛いから殺してくれと言っていたがお前を殺すのはお前自身だと冷淡な声で告げて笑うと、箱の中から呻き声が小さく上がる。
「あいつみたいに嬲り殺しにされた方が良かったか?」
あの事件で下手を打ったあの女とお前だが、あの女はレイプさせた後にサンドバッグにした、お前の最後はどうだろうなぁとその瞬間を思えば一瞬だけでも快感を覚えてしまうと笑うジルベルトの声に呻き声が少しだけ大きくなる。
「水が欲しいと言っていたな」
「そうだったな」
フランクフルトにやって来てすぐに発見してここに連れ込んだ時から水が欲しいと懇願していたことを思い出し、ならばどれほど飲んでも飲み足りない場所に連れて行ってやると頷くと、小刻みに震えだした箱をもう一度蹴り飛ばす。
「……地獄に落ちたらあの女とせいぜい仲良くやれよ」
お前が来るのを手ぐすね引いて待っているかも知れないぞとも告げて箱に冷酷な笑みを投げかけたジルベルトは、文字通り息も絶え絶えになっている箱の中の男に一切の興味を無くした顔で欠伸をし、ルクレツィオが買ってきたビールを飲んだら一眠りしようと笑うのだった。