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『そこは心配しなくていい。俺が後見人としてつく予定だから、キミは今まで通りこの屋敷に住めばいい』
『今まで通り?』
それは召使として、ということかと表情を険しくしたら、慌てたように手を振られた。
『勘違いしないでくれ。無論、侍女としてじゃない。ライオール侯爵令嬢として、丁重に扱うつもりだ』
悪くない条件だと思った。なぜ北の辺境という土地柄に加え、しかも侯爵家の三男坊――跡取りでもない男の不祥事を揉み消すために、ランディリックたちがそこまでするのかは分からない。
そこまで考えて、
(もしかしてセレン・アルディス・ノアール様は……従姉の婚約者なのかもしれない)
そう思い至ったダフネである。
ならば全てが得心が行く気がして――。
(お義姉様、私のお古をあてがわれるのね。いい気味!)
実際にはセレンと関係などもっていないダフネだったけれど、真実などこの際どうだっていい。
要は、この場にいる男たちが、〝そう思っていること〟が重要なのだ。
ダフネは内心でリリアンナに勝ったと思いながらも、表情には出さなかった。
こういう場で感情を見せたら碌なことにならない。
それはダフネがここ数年間で骨身に沁みて学んだことだった。
気持ちを落ち着けながらティーカップへ手を伸ばすと、ダフネはウィリアムの隣に座るセレンへと、そっと視線を向ける。
相変わらず整った顔立ち。
柔らかい物腰。
立ち居振る舞いにも、育ちの良さがにじんでいる。
(ホント、私が初めてを捧げた男として悪くないわ)
表沙汰には出来なくなってしまったけれど、きっとそのことはダフネにとって切り札になる。
侯爵家の三男坊――という点だけは、少し引っかかるけれど、結婚をリリアンナに譲って、裏で彼女のことを嘲笑いながら情事を重ねる相手としては丁度いいかもしれない。
母エダが、伯爵家の次男に嫁いでどれほど不幸だったか。
その愚痴を、耳が痛くなるほど聞かされて育ったダフネとしては、彼は嫁ぐ相手としては物足りないし、そこはあの忌々しい従姉に譲った方が気持ち的にも優位に立てる気がした。
(顔立ちもいいし、本当見れば見るほど愛人向きね)
身のこなしは優雅だし、何よりセレンは――真実はどうあれ自分に負い目がある。
それをチラつかせれば、ダフネの言いなりになるほかないはずだ。
自分が自由にできる、従姉の夫候補。隣に置くのに、これほど自尊心をくすぐられる相手はいない。
――何より。
セレンは、ダフネよりもリリアンナの方へ気持ちがある。
それが気に入らない。
(幸せにはさせないわ、リリアンナお義姉様)
奪うほどの価値はない男。
けれど、二人の恋路の邪魔はしたい。
そんなことを考えていると、扉の向こうから足音が聞こえてきた。
迷いのない靴音。
部屋の空気が、わずかに引き締まる。
ウィリアムが視線を上げ、セレンも自然と姿勢を正した。
その中にあって、ダフネだけはあえてゆったりと構えてティーカップ片手に平常心を装う。
(来たわね)
「ライオール侯爵様が、いらっしゃいました」
執事の案内で扉が開き、ランディリック・グラハム・ライオールが姿を現した。
銀色の美しい髪色。感情を読ませない表情。
紫水晶の静かな視線。
ダフネは、軽く顎を引いた。
それは遠慮でも畏怖でもない。
身内になる者としての、形式的な礼だった。
(この人が、私の後ろ盾になる男)
そう思った瞬間、胸の奥に小さな高揚が生まれる。
――ここから先は、条件の話。
どう考えても優位に立っているのは、自分なのだから、交渉だって有利に進められるはず。
ダフネには勝者としてのゆとりがあった。
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