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工藤が運転する車の後部座席に、結と暖人とは並んで座った。暖人は少し緊張した面持ちで、膝の上に置いたリックサックにつけられた白い猫のぬいぐるみを握り締めている。以前夏夫が話してくれた母親の形見だろうか。
「あの受賞式の帰り、翠さんはとても悲しそうでした」
しばらく窓の外を眺めていた暖人が、話し始めた。
「僕が一緒に行こうって言わなければ、翠さんは悲しくならなかった」
「そうじゃない。暖人さんのせいじゃないわ」
結は暖人の手を握って首を振った。
受賞式の会場に突如現れたフリーライターを名乗る男が、翠と暖人に浴びせた卑劣な言葉の数々。傷ついたはずだとわかっていたのに、翠の顔を見ないでその場から去ってしまった結。
あのとき翠は何を思っていたのだろう。
やはりこっちを見ないでと思っていただろうか。それともこっちを見て、いつもみたいになんか言いなさいよと思っていただろうか。
翠のことを何もわかっていないのだと思い知らされて、この数日結の胸は苦しくなるばかりだった。
「僕はバカだから」
暖人が呟く。
夏夫が以前話してくれた小学生の頃の出来事を思い出して、結は思わず大きな声を出してしまった。
「何を言うの。それは違うわ」
ちょうど信号待ちで止まった工藤も、バックミラーを見上げる。
ゆっくり首を動かして、暖人はじっと結の顔を見る。
お願い、聞いて。
暖人の眼差しに、そう言われているみたいだった。
「僕にはわからないことがいっぱいあって、できないことがいっぱいあって。笑う人がいて、怒る人がいて。でも慣れているからいいんです。翠さんの方がもっとつらいです」
誰に何を言われようが構わない、いちいち気になどしない。その覚悟を持って、自分の信念を貫くように翠は生きている。こんなことで負けるような人じゃない。
暖人だって傷つき悲しかったはずなのに、翠の心配をして助けを求めに来てくれた。助けを求める手段なら電話でもよかった。電話という手段を暖人が使えなかったのではないと結は思う。時間とバス代をかけて来てくれたところに、暖人の深い思いやりを感じた。翠の顔もないで立ち去った結より暖人の方がもっと大人で、もっと人の痛みがわかる人だと思う。
ミラー越しに、暖人を見ていた工藤もまた思っていた。
「会いたい」
そのひと言だけで、暖人は結に恋愛感情を抱き始めているのではないかと思い、偏見も差別もしていないと口では言いながら、心の中では暖人のような人との恋愛は困ると勝手に不安を覚えた。歳と共に経験を積んで、たくさんの人を見て学んできたつもりでいたが、随分身勝手で情けないじじいになったものだと工藤は己を恥じた。
コメント
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第26話、読ませていただきました。暖人がリュックの猫のぬいぐるみを握りしめてるところ、すごく胸にきたよ……。結が「会いたい」って言えなかった後悔と、それでも暖人が翠さんを想って助けを求めてきた優しさ。そして工藤さんの自己嫌悪のところ、人間らしくて切なかった。みんなちゃんと傷ついてて、でもちゃんと考えてて。朝陽さんの書く登場人物の心の動き、本当に繊細で好きです。続きが気になる…!🌙