「お父様!」
馬車に乗り込むと、私は抗議の声を上げた。勿論、お父様に横抱きにされたままの状態で。
エリアスは残念ながら、今日は伯爵邸へは連れて帰れないため、教会で別れた。
孤児といっても犬猫と違い、すぐに引き取ることはできない。養子縁組の場合でも手続きに時間がかかるが、今回は就職である。しかも、住み込みの。
よって、我がカルヴェ家の準備の方に時間がかかってしまう。だから、お父様を説得するには、今から始めなければ間に合わないのだ。
「何だい」
切迫した私とは逆に、お父様はいつもと同じ穏やかな口調で返した。そのせいで、拍子抜けしてしまい、すぐに言葉が出てこなかった。
マリアンヌの記憶の中でも、お父様はとても優しく、家族に甘い人だった。お母様をとても愛し、そんな彼女に良く似た娘を溺愛した。そんな人が、六年後に亡くなってしまうなんて、信じたくない。
それにはエリアスが絶対に必要、なんだけど……。
「えっと、エリアスのことで、その……」
彼は将来、侯爵になる人物です。だからその道を潰してはいけません! とは言えず、開けた口をそっと閉じた。
「彼のこと、嫌いかい?」
「え?」
「反対って顔をしていたじゃないか」
「あ、えっと、嫌いではありません」
ビックリした。一瞬、エリアスが告白した時の光景を思い出しちゃった。すぐに返事を求められなかったから、保留みたいな形になったけど。
あのままの関係で、私の護衛になるの!?
「なら、問題はないね」
大有りです!
「私はね、マリアンヌ。イレーヌが亡くなってから、お前に護衛を付けようと思っていたんだ」
「どうしてですか?」
イレーヌって確か、お母様の名前。護衛を付ける話も含めて、どうしてここでお母様の名前が出るの?
けれど、お父様は優しく微笑んで、私の頭を撫でただけだった。
「その話はまた今度にしよう。今日は色々あったからね。マリアンヌも疲れただろう」
「でも……」
エリアスの件が、と思うが、それ以上口にできなかった。お父様の撫でる手と、揺れる馬車がリズミカルに動くせいで、私の瞼は次第に重くなっていったからだ。
「おやすみ、マリアンヌ」
お父様の言葉がトドメのように、私は眠りに落ちた。
***
翌日、私は寝坊をした。普段ならメイドが起こしに来てくれるので、前世のようなずぼらな生活にならずに済んでいたのに。
どうして! ううん。そもそも、馬車の中で寝た後の記憶がない! もしかして、私、あのまま今朝まで、ずっと寝ていたのー!
ベッドの上で呆然としていると、部屋の扉が開いた。まだ私が眠っていると思ったのかもしれない。ノックもせずに、メイドが入って来た。
「あっ、お嬢様。お目覚めになられましたか」
「うん。今、何時? 日が高いように見えるけど」
「はい。ただいま、十一時ごろです。旦那様が今日はゆっくりしてほしい、とのことだったので大丈夫ですよ」
やられた。いやいや、お父様に限って、そんな意図はないと思う。ただ単に昨日誘拐騒動があったから、気を遣われたのよ。
なら、今からでも説得しに行かなきゃ! そう思ってベッドから降りようと体を捻った瞬間、
「痛っ」
背中に痛みを感じた。
「ダメですよ、お嬢様。背中を打撲しているんですから」
そうだった。ごろつきに殴られたんだった。目が覚めた後、エリアスとお父様に抱き上げられていたから、ここまで痛みを感じなかったのかもしれない。
うう。だから、馬車の中でも下ろしてくれなかったのね。
「それから、今日一日はベッドから下ろすな、とも言われていますので、大人しくしていてください」
「お父様が? それともお医者様が?」
「下ろすな、は旦那様が。大人しく、はお医者様です」
「両方じゃない」
ということは、この部屋から出られないってこと? お父様を説得しに行きたいのに……。
「……旦那様も、奥様を亡くされたばかりなので、心配なんですよ。お嬢様まで何かあったらと。勿論、私たちも同じ気持ちです」
「ごめんなさい、ニナ。軽率な行動を取ってしまって」
私は専属メイドの名前を呼んで謝った。もし逆の立場だったら、と考えたら、きっと同じ行動をしていたと思ったからだ。
「いいえ。お嬢様が無事なら、それでいいんですよ、私たちは」
マリアンヌには他に兄弟がいない。お父様には叔父様という弟がいるが、今回をきっかけに、関係性は良好とはいかなくなっただろう。
それでも、一つだけ我儘を言わせて!
「ねぇ、ニナ。お父様に会いに行ってはダメ?」
「旦那様に、ですか。そうですね。これから、お嬢様が目を覚ましたことをお伝えしに行くので、聞いてみますね」
「ありがとう!」
「その前に、お食事を用意しますので、お待ちいただけますか」
「うん」
ニナは私の返事に満足気に微笑んだ。それを見て、私はさらに決心を固めた。
悲劇を起こさないのは、自分のためだったけど。お父様やニナたちのためにも、頑張って阻止しなくちゃ。
エリアスのことは……本当にどうしよう……。
部屋を出て行くニナを見送った私は、途方に暮れた。
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