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最近自分で自分がわからなくなることが増えた
自分なのに自分の意思じゃない何かに動かされてる気がして
自分が本当に自分なのかわからない
どれが本当の自分なのかわからない
発狂しそうなくらい、一生もどかしくてモヤモヤしてる
真の自分の姿を鷲掴みにできたらどれほどすっきりするか
本当の自分ってどこにいるんだろね
この世に生まれた時点で本当の自分なんてどこにもいないんだろな
何をもって本当の自分というんだろね
周りの干渉を含んでいいのかな
でも何もないまっさらな世界に行ったところで本当の自分には出会えないだろうな
だって何もすることがないじゃない?
出力できないのよ
「何もない」はあるけどね
じゃあどうしたら本当の自分が見られるの?
そもそも本当の自分ってどれくらいの規模なの?
何をもってして本当の自分になるの?
何を見たら本当の自分を見たと言えるの?
干渉し合う性質のうちの一部かもしれないのに
どこでも同じ法則が成り立つとは限らないのに
そしてそれが本当の自分とどうやって証明するの?
自分自身すら知らないのだから
だから本当の自分なんてどこにもいないのよ
わたしって何者なの?
どこから来たの?
宇宙って、この世って、何?
どうして「何か」が生まれたの?
無から有ができたの?
本当のわたしはどこにいるの?
どこにしまわれているの?
どこに存在しているの?
どんな感覚領域に属する「何か」なの?
本当の自分って何が作り出すの?
遺伝子をもとに出力されるの?
それならばまっさらな世界でも見られるの?
つまり自分という「何か」のことを本当の自分というの?
だけど遺伝子から出力するとしてそれがそのまま現れるの?
いくつかの『本当の自分』は出力されずに目に見えないかもしれないじゃない
それにさ、本当の自分はきっと一つの決まった形じゃないでしょ?
場所によって、状況によって変わるでしょ?
それくらい曖昧なものなんだ、本当の自分なんて
じゃあさ、本当の自分でいたいなんて苦しむのはもうやめようよ
どこにもいないの、そんなものは
どうあがいたって君は君の思う「本当の自分」にはなれないよ
「本当の自分」を出せない原因と思うものを全て取り払ったとしても、なれない
自分でも気付かない領域で必ず何かしらの影響を受けているから
結局この世界に生きている限り周りの干渉は避けられない
完全に「素の自分」でいられる環境なんて存在しないと思う
本当の自分はこうなのにって苦しくなるのは、その場に合った自分が出力されたのに違う場面の自分を持ち出して抗議してるからだよ
それか、今の状況に納得できないから「本当の自分」なるものを作り出してその不可解な現象を説明しようとしてるんだよ
本当の学力や、本当の技能レベルが測れないのと同じようなこと
テストで振るわなかったとき、いつもはこれくらい取れるのに、たまたまだって、思ってしまうよね
単純にわからなかったり、ど忘れしたり、解答欄がずれたり、やり方は合ってるのに計算ミスしたり、勘が当たったり、文字が判別不能だったり
同じスコアでも中身は同じじゃない
簡単な問題をたくさん解くのと
超難題を1問解くので
得られる点数が同じでいいのか
みんなわかってる
でもこうするしかないこともわかってる
その人の「本当の能力」を一つも違わずはかり取ることはほぼ不可能
だから「運も実力のうち」とか「本番に強い」とかいう言葉で補うしかない
本当の体重とかでさえも知り得ないのかも
だって、その「何か」に単位をつけて、測る方法をもって出力してるに過ぎないから
体重計の乗り方次第で出力される数値なんて簡単に変動してしまう
自分は真ん中に真っ直ぐ乗れていると思っても、本当にそうかは証明できない
重心の位置は見えないもの
概念だから
じゃあ「本当の○○」自体存在しないの?
そうかもね、今この目で見ている世界すら絶対じゃないんだから
『本当』に限りなく近い修飾物だから
そもそも、「本当の○○」が何を指しているのかでさえ抽象的で掴みどころがないよね
もしも、もしもさ、『本当の自分』を何の代謝や修飾もなく差し出されたとして、それはたぶん五感では解読不能な「何か」だよ
日本語で書かれてない、だって言葉で表そうとする時点で「そのもの」ではなくなるから
それに、今日の「本当の自分」と明日の「本当の自分」は同じものとは限らない
人は成長していくからね
周りの状況も、同じ瞬間なんてないんだから
もし『本当の自分』を切り出せたとして、一瞬で色褪せてしまうよ
人は元はみんな同じなのかも
それぞれがその場の状況に合わせてスイッチをオンオフしたり感度を上げたりして自分を操ってるに過ぎないのかもね
『本当の自分』って、そのスイッチの集合体なのかな
じゃあ人類みんな同じ『本当の自分』を有してるの?
それはあまり本当らしくないよね
こんなにも多様性が生まれてるわけだから
だとしたらやっぱり「本当の自分」には周りの干渉が絶対必要と言えるね
その操縦の癖とか傾向みたいなものがいわゆる「性格」ってやつなのかな
何のスイッチが発現するかも成長過程の違いとかできっと変わってくるよね
まあ、本当の自分とやらが見つかるまで色々やってみたらいいじゃない
色々な経験が、操縦の幅を、制御の幅を広げて自分を変えていってくれるはず
いやなんかよくわからんことばっかり並べてるけど
本当はわかってるよ
深く考えず感覚的に捉えればいいってこと
「普段はこんな感じ」が「本当の自分」ってやつだよね
「気の許せる人といるときの自然体の自分」「素の自分」「取り繕ってない自分」「ありのままの自分」のことだよね
もしくは「自分の意思とは裏腹に」みたいな文脈で使われる「意思」とか「内心」「本心」「心の奥底にある気持ち」のことだよね
君は「優しい性格」フィルターのかかり方が人より強いんだよ、きっと
自然体の自分は、自分の意思は、もちろん自分だけど
それを制御するのもまた自分
人は初めから制御する力を持っているわけじゃない
子供の頃の自分の行動で後悔してること、たくさんあるでしょ?
きっと今も完璧じゃないけど、成長する中で、自分の力で自分なりに、時には周りの教えを受けて、制御する力を身につけてきた
周りからどう見られているかを考えられるように成長してきた
だから、自分を抑える自分も自分由来
自分を抑えてるときはむしろ自分を全面に出してるときなのかもね
自分自身が育てた拮抗する自分の働きが強いという自分らしさを
君は今本当の自分とやらを出せずにすっきりしない、もどかしい毎日を過ごしてるだろうけど、それは君の優しさの結果だから
うん、とっても君らしいよ
出せてるじゃん、自分
逆なんだよ
自分が本当の自分でいるからこそなんだ
「いつもいい人のふりして苦しい」じゃなくて、「これが私の育て上げた理性だ!いい人フィルターだ!どうだよくできてるだろう!とても丈夫なんだ!見るがいい!ハッハッハ!」ってむしろ自慢して見せびらかすぐらいの気持ちでいるといいよ
なんでそんなことを言うの?
こんなに悩まなくても、めんどくさい自分なんて捨てれば即解決だ
何でそんな押し殺せみたいなこと言うんだよと思うかもしれないが、君だからだ
世間一般では、「いい人でいなくていいんだよ」って言われる
「誰にでもいい顔をする」「どんな頼みも引き受ける」それが辛いならやめればいいと
嫌いな人は避ければいいと
嫌な環境は抜け出せばいいと
辛かったら休めばいいのだと
確かにそれは正しい
けど残念ながらこの対処法は君には合わない
「いい人でいること」がアイデンティティとなっている君にとっては、この行為はむしろより大きなストレスになる
辛いなら「いい人な自分」を手放せばいいと言っているのに、死んでも離すまいとしてるのは君の方だ
時によって手放すのが正解なこともあると思うが、基本的には手放さないを選ぶ方が君には合っている
でも本当に辛いときは無理しないでね
ここでひとつ、修飾された(した)自分って、場合によっては「本当の自分」と言えなくはないんだよね
例えば、決して人の悪口を言わずどんな人にも笑顔で接する人がいたとする
その人は一見誰にでも優しい穏やかな人に見えるかもしれないが、それを外に出さないだけでもちろん苦手に感じている人はいるだろう
その負の感情は発散されることなくその人の中に溜まり続けた
その人は「気にしない」ができない人だった
ブレーキが優れているが故の「穏やかさ」だったのだ
ある日何かがきっかけでその結界は崩壊し、その人はついに人の悪口をしてしまった
その人はそれを「本当の自分」と捉えるだろうか
本質的にはそうかもしれない
でも、ずっとそれを抑えてきたその人はこう思うはずだ
「こんなの自分じゃない」と
なぜなら、「穏やかでいる」ことこそがその人のアイデンティティであり通常の自分でありその人らしさだから
今さら『本当の自分』が出てきたところで、その人にとっての「本当の自分」はすでに成り代わっている
「本当の自分」の逆転だ
君は自分から優等生でいるのか周りからの期待に応えようと優等生でいるのか
今は、後者なんじゃない?
優等生とはいえないけど自分の人生を謳歌してこっちになんか見向きもしない人たちに嫉妬してる
そうでしょ?
でも、君はその殻を破る勇気を持ち合わせていない
もし持ち合わせていたとしても、その殻の中から出てきたものを「本当の自分」と呼べるのか
あまりにいつもの自分から逸脱していると、「本当の自分」のはずが「自分じゃない」と受け取られてしまうようなこともあるんじゃないだろうか
結局言いたいことはさ、
こんな曖昧なものに固執し過ぎなくてもいいんじゃない?ってこと
今まさにその状況にあるわけだけど
今度から、本当の自分とやらとの乖離に苦しむことがあったらこう思ってみたらどう?
「今の自分は今の状況に当てはまる自分が出力されただけなんだ」って
「条件が違ったら違う自分が出力されるのは当たり前なんだ」って
そう、例えば普段よく喋るけど電車とかでは静かにするのと同じだよ
何も難しいことじゃない
気楽に行こうよ
ありのままの自分でいればいいんだ
自分が自分でいる限り、自分じゃない瞬間なんてない
初対面の人にどんどん話しかけられる自分も
大人しくて口数が少ない自分も
にこやかでやわらかな話し方をする自分も
笑いながらハイテンションで話す自分も
新しいことに挑戦するのが怖い自分も
口先では勇気に溢れている自分も
甘えたがりでいつまでも子供っぽい自分も
大人っぽくて仕事ができる自分も
出世して親孝行したいと思う自分も
楽をしたいと思ってしまう自分も
誰にでも優しく穏やかな自分も
些細なことでイライラしてしまう自分も
丁寧で完璧主義な自分も
大雑把で適当な自分も
全部、自分
本当の自分の定義はわからないけどさ、
きっと全部本当の自分なんだよ
「こんなの自分じゃない」って思う自分に出くわしても、それはまだ見たことのない新しい自分かもしれないし、ずっと心の奥底で眠ってた自分が現れたのかもしれない
それは紛れもなく自分から出力された自分で、自分じゃないはずないんだ
なんか話が脱線しすぎたかもしれないけど、少しでも自分を肯定することができてたら嬉しいな
またいつか壊れてしまう自分へ
「今日の自分」より