テラーノベル
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◆ ◆ ◆
【異世界・王都/警備局医療棟・門周辺】
地面の円が、まだ生きていた。
青白いプログラム文字列が、
虫の群れみたいに地表を這い回り、時々ふっと“跳ねる”。
円の中心から伸びた片腕が、石畳を掻いた。
爪が削る音は金属みたいに硬くて、耳の奥に残る。
その先に――頭。
カイトの顔。だけど目は白目のない真っ黒。
「……あれぇ。ボクたち、こんなに外って冷たかったっけ」
声が重なって聞こえる。
子どもの調子なのに、老いた声が混じる。笑い方だけが軽い。
アデルは剣を水平に構え、門前に立った。
結界の膜は、何枚も重なって揺れている。揺れるのに、割れない。
「代用(サロゲート)。ここから先は通さない」
「通す、通さないって……ねえ。ボク、器を借りてるだけだよ?」
サロゲートが首を傾げた。
「借りてるのに、返す場所がないの。だから戻るの。戻らないと、散らばっちゃう」
リオはマスクの奥で息を整え、掌を前へ出す。
鎖を出すときの、あの集中の顔。
「散らばるなら、散らばせない。……無理やり戻すのは、もっとだめだ」
サロゲートは笑った。
「正しい、ってむずかしいねえ。ボクたち、正しいこと、あんまり覚えてない」
足元の円が一段明るくなり、文字列が“逆流”する。
腕がもう一本、ずるり、と出ようとして――結界の膜にぶつかった。
ドン、と鈍い音。
膜がしなる。石畳の上の光が歪む。
アデルが低く息を吐いた。
「来る」
リオが一歩踏み出す。
「〈捕縛・第二級〉――『鎖よ、縫え』!」
光の鎖が走り、サロゲートの上半身に巻きつく。
肩、胸、腕。逃げ道を減らすように“縫い止める”。
だが――鎖の表面に、青白い文字列がにじんだ。
鎖そのものが書き換えられていくみたいに、形がほどけ始める。
「わ、これ好き。懐かしい。……でもね」
サロゲートが嬉しそうに言う。
「ボクたち、ひとりじゃないんだ。
ほら、文字がいっぱい。みんな、ここにいる」
リオの背中が冷える。
(ほどける……!)
イヤーカフからノノの声が飛ぶ。リオとアデルに、いつもの早さで。
『円の外周、三つ“節”がある。数字の密度が濃いところ』
『そこ押さえられたら、戻り方、鈍る。
リオ、正面の節。アデル、右。隊員、左いける?』
「いけます!」と隊員が即答し、槍を地面に突き立てるように構える。
アデルが剣先を地面に向けた。
剣先から淡い光が滴り、石畳に線が引かれる。
「〈結界杭・第二級〉――光よ、地に刺さって」
パッ、と光の杭が立つ。一本、二本、三本。
円の“右”の節を囲むように、光が地面を縫った。
隊員も同じように声を合わせる。
「〈結界杭・第三級〉――『留めろ』!」
左の節に小さな杭が打ち込まれ、文字列の流れが一瞬だけ詰まった。
まるで血管が押さえられたみたいに、円の脈が乱れる。
サロゲートが「あれ?」と笑みを薄くする。
「……いじわる」
その瞬間、胸の焼け跡の板と紋が熱を持ち、炎が噴いた。
火は派手じゃない。狙いが鋭い。結界の“継ぎ目”へ刺してくる。
「〈焼痕標・第二級〉――『ここだよ』」
炎が床を走り、光の杭の根元に焼け跡みたいな印を残す。
印が増えるほど、座標が“固定”されていく。引っ張る力が強くなる。
アデルがすぐに重ねた。
「〈大結界・第一級〉――光よ、“壁”をもう一枚」
膜が増え、門前の空間が分厚くなる。
炎が膜に触れて、じゅ、と音を立てて消えた。
リオは正面の節へ視線を固定し、掌を強く握る。
「……今、止める」
「〈捕縛・第二級〉――『締めろ』!」
鎖が一気に締まり、サロゲートの上半身を“円の中心”へ引き戻す。
サロゲートの顔が一瞬だけ歪む。笑っているのに、目が黒いまま揺れた。
「……やだ。まだ外、見たいのに」
だが円の文字列が詰まり始めている。
杭に押さえられ、流れが乱れ、戻る力が自分を引っ張る。
サロゲートの片腕が、石畳を掴んだ。
指が石を削り、爪が欠けるほど力を入れる。
「貸してる器、返したくないよ。……ボクたち、まだ遊べるもん」
リオが歯を食いしばる。
「遊びじゃない」
アデルが一歩前へ出て、剣を下げた。声は低くて、でも冷静だ。
「戻るなら、全部戻れ。欠けたまま来るな」
サロゲートがくすっと笑う。
「欠けてるほうが、楽しいのに」
そして、最後にもう一度だけ炎が跳ねた。
杭の一本に当たり、光がひとつ、バチンと弾ける。
隊員が息を呑む。
「結界が――」
アデルは眉ひとつ動かさず、剣先を床に押し当てた。
「大丈夫。私が持つ」
光の膜が、ぐっと厚くなる。
杭が一本欠けても、壁は崩れない。
リオが鎖を引いた。
サロゲートの上半身が、ずるり、と円の中へ戻っていく。
「またねえ」
混じった声が、少し遠くなる。
「ボクたち、戻り方、覚えちゃったから」
最後に、黒い瞳だけがこちらを見た。
そして――引きずり込まれる。
円の光が一拍だけ弱まった。
文字列の流れも、いったん落ち着く。
……落ち着いた、はずだった。
円の縁から、煤みたいな“黒い欠片”が、ぬるりと滑り出した。
欠片の端々に、青白い文字列が絡んでいる。薄く、でもしつこい。
欠片は結界の膜の隙間を探すみたいに、医療棟側へにじむ。
リオが気づいて息を止める。
「……残りが」
アデルが小さく舌打ちしそうになって、こらえた。
「ノノ」
イヤーカフ越しに、ノノの声が一瞬だけ硬くなる。
『それ、戻り損ねの破片。……追ってくる。気をつけて』
◆ ◆ ◆
【異世界・王都/警備局医療棟・病室】
ハレルは胸元の主鍵を押さえた。
熱が、さっきとは違う。熱いのに、冷たい。矛盾した感覚。
サキもスマホを握りしめる。
画面は暗いのに、掌の中がじわじわ熱い。
ベッドの上のユナの呼吸が、ほんの少しだけ強くなる。
指先が、かすかに動いた――ように見えた。
「……今、動いた?」
サキが小声で言う。
ハレルは頷きかけて、窓の外の光を見た。
門のほうの青白い脈が、いったん弱まっている。
「リオたちが……押し返した」
そのとき、サキのスマホが震えた。
通知。たった一行。
《扉を開けるな》
短い。説明もない。
でも、心臓が跳ねる。“知ってる誰か”の言い方だった。
サキが息を吸い、ハレルを見る。
「……また、来た」
ハレルはうなずく。
「今は、ここを守る」
病室に残った隊員が、扉のほうへ身体を向ける。
「来ても、通しません」
窓の外で、青白い光がまた一瞬だけ“跳ねた”。
小さな欠片が、こちらへ向かっている気がした。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/石造建物・内部/金属扉前】
扉の隙間から漏れる青白い文字列の光は、霧みたいに薄い。
でも、見ているだけで目の奥が痛くなる。
城ヶ峰が指を二本立てた。
左右に散れ、という合図。
特殊部隊が無言で動き、銃口を扉へ向ける。
木崎はカメラを構えるが、シャッターを切る音すら怖くて、指が止まる。
日下部はノートパソコンを抱えたまま、扉の紋を見つめていた。
顔色はまだ悪い。なのに目だけが妙に冴えている。
「……この感じ」
日下部が呟く。
「クロスゲート社のサーバ室で、似た空気を嗅いだことがある。
……コードの匂いと、焦げた匂いが混ざってる」
城ヶ峰が低く言う。
「開ける」
特殊部隊員が工具でロック部を押さえ、ゆっくり扉を引いた。
ギ……と、金属が鳴る。
その音が、やけに遠くに聞こえる。ここだけ音の距離が狂っている。
隙間が開き、青白い光が床へ流れ出した。
――床に、円。
薄い円が描かれ、その上を文字列が走っている。
まるで“足元に置かれた罠”みたいに。
「踏むな」
城ヶ峰が即座に止める。
全員が息を詰めたまま、円の外側だけを見て前へ覗く。
奥は、研究施設だった。
太いケーブルの束。端末の残骸。樹脂が溶けて固まった塊。
壁には魔術の紋みたいな線が増え、途中から“文字列”に見える。
日下部が唇を噛む。
「……ここだ。俺が感じてた“根っこ”」
その時、通路の奥で――
コツ、コツ、と足音がした。
革靴が床を叩く音。
まるで、普通の会社員が廊下を歩いてくるみたいなリズム。
全員が固まる。
城ヶ峰が指を立てる。息を殺せ。
暗闇の奥から、黒い影が現れた。
サラリーマンの輪郭。スーツの形。
でも全身が黒い煤みたいな影に覆われ、端々に青白い文字列が見える。
顔は見えない。
それなのに、口だけが“普通”に動いた気がした。
「いやぁ……今日は、残業っすね」
声は、世間話の声だった。
そのギャップが、背筋を凍らせる。
黒い影が、ゆっくりこちらへ向かってくる。
円の上の文字列が、わずかに反応した。
城ヶ峰は動かない。
誰も動けない。
息を止める。
心臓の音だけが、うるさい。
黒い影は、ふっと歩幅を変えた。
円を避けるように、こちらを“探す”ように――通路を横切っていく。
そして、通り過ぎながら、ぽつりと言った。
「……体、欲しいなあ」
背中が冷え切る。
影は奥へ消えた。足音だけが遠ざかる。
日下部が、肩を震わせながら小さく吐息を漏らす。
「……今のが、残留物」
木崎がやっと声を出す。
「ふざけんな……普通にしゃべるなよ……」
城ヶ峰は目を細め、扉の向こうの円を見る。
そして、低く言った。
「進む。……踏まずに、越える方法を考えろ」
青白い文字列が、床の円の上で、また一段速く走り始めた。
まるで“次”が来るのを待っているみたいに。
◆ ◆ ◆
医療棟の門では、欠けた破片がこちらを嗅いでいる。
現実側の扉の先では、円が“罠”として息をしている。
二つの世界の文字列が、同じ匂いで繋がり始めていた。
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