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◆ ◆ ◆
【異世界・王都/警備局医療棟・廊下】
戻り損ねの破片――。
門のほうに残った気配が、背中に刺さったまま消えない。
アデルは足を止めず、医療棟の廊下を駆けた。
「病室へ。先に確認する」
リオも走る。マスクの奥の息が熱い。
さっきまで門前の結界を張って、捕縛を押し返して、
破片の行方を気にして――それでも結局、ここへ戻ってきてしまう。
(姉さん……)
扉の前に残した“守り役”の隊員が、振り返って頷いた。
「中、無事です。……でも、空気が少し変わってます」
ハレルとサキも病室の中にいる。
二人の顔が見えた瞬間、リオの胸の奥が少しだけほどけた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都/警備局医療棟・病室】
ユナは、ベッドの上で変わらず眠っている。
けれど“変わらず”の中に、ほんのわずかな違いがあった。
呼吸が、さっきよりも深い。
胸が上下するたび、空気が生き返っていくみたいに見える。
リオはベッドの横に近づき、ためらってから手を伸ばした。
指先が、ユナの手の甲に触れる。
冷たい――はずなのに。
触れた瞬間、熱が返ってきた。小さな熱。
「……っ」
ユナの指が、ほんの少しだけ動いた。
握り返す、まではいかない。けれど、確かに“反応”だった。
次の瞬間。
ユナのまぶたが、かすかに開く。
ほんの隙間。
そこから覗いた瞳は、まだ焦点が合っていない。遠い。
でも――そこに“戻ろうとしている意思”がある。
ユナの唇が動いた。
音になりかけて、息に混ざる。
「……り……」
リオの喉が鳴った。
呼吸が詰まって、視界が一瞬だけ滲む。
「……姉さん」
言った途端、涙が落ちた。
止めようとしても止まらない。頬を伝って、マスクの端へ吸われていく。
ハレルが息を吐く。
「……よかった」
サキが両手で口を押さえた。目が赤い。
「ほんとに……ほんとに、戻ってきてる……」
アデルは言葉を探して、短く頷いた。
「……今は、それで十分」
束の間。
病室の空気が、急に“硬く”なった。
床の白いタイルの上に、青白い光がにじむ。
細い線。円。重なる記号。
プログラムの文字列みたいな光が、規則正しく走り始めた。
ハレルが反射で一歩前に出る。
「……これ、あの時の――」
サロゲートとレアを飲み込んだ、あの魔法陣。
“全員下がれ”の直後に出た、あの輪。
アデルがすぐに剣を持ち上げる。
リオも涙のまま顔を上げ、構え直す。
サキはユナから手を離さずに、でも身を引いた。
「敵……?」
ハレルの声が掠れる。
違う。
この魔法陣は、敵の匂いじゃない。
でも、安心できる匂いでもない。
橋の匂い。境界の匂い。――“つなぐ”匂い。
光が濃くなり、円の中心が膨らんだ。
水面から何かが浮くみたいに、輪郭がせり上がる。
最初は、髪。
銀灰色の髪が、白い光の中で揺れた。
次に、肩。腕。衣装の裾。
薄い白の衣装に、細い刺繍が走っている。祈りみたいな文様。
けれど宗教の“印”だけは、どこにもない。意図して外した空白。
そして――顔。
青い瞳が開いた瞬間、病室の空気が少しだけ“現実に寄った”。
遠近感が戻り、音が戻る。
息が、ちゃんと肺に入る。
「……セラ」
ハレルが名を落とした。
声が震えたのは、恐怖じゃない。
“戻ってきた”という事実に、身体が追いついていない。
セラはゆっくりと視線を動かし、リオの涙と、ユナの指先の動きを見た。
それから、ハレルの主鍵と、サキのスマホを見て――静かに息を吐く。
「……間に合いましたね」
その言い方は、いつものセラだった。
橋渡しの声。案内役の声。
怖がってる人を前へ運ぶ声。
アデルが低く言う。
「今、何が起きてる?」
セラは答えようとして――
その前に、床の文字列が一瞬だけ乱れた。
まるで“別の場所”でも同じ文字列が走っているみたいに。
遠くのどこかの、白い床。白い扉。
そんな映像が頭の端に刺さる。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/石造建物・内部/深部通路】
進むほどに、施設の匂いが強くなる。
古い石の湿気じゃない。機械の熱。コードの焦げ。薬品の残り香。
太いケーブルが床を這い、壁に刺さり、天井に絡む。
端末の残骸が転がり、樹脂の塊が溶けて固まったまま、何かの形を保っている。
城ヶ峰は銃口を下げない。
木崎はカメラを回しながらも、口が乾いて何度も唾を飲む。
日下部はノートパソコンを抱え、目だけで周囲を追っていた。
そして、通路の先に――異様に綺麗な扉が現れた。
他が崩れているのに、その扉だけは新品みたいに白い。
汚れがない。埃もない。
まるで、ここだけ“今も使われている”みたいだった。
城ヶ峰が合図を出す。
特殊部隊が扉の左右へ付き、無音で頷く。
――開く。
白い光が、ふわりと漏れた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/石造建物・白い研究施設】
床が白い。
壁も白い。天井も白い。
汚れも影も薄くて、距離感が狂う。
その白の上に、うっすらと文字列が走っている。
プログラムのコードみたいで、魔術の紋みたいでもある。
読めないのに、“意味だけ”が目に刺さる。
部屋の壁際に、円柱の大きなカプセルが並んでいた。
中には成人の遺体が二体。別々のカプセルに、静かに浮いている。
腐っていない。
腐敗臭もない。
でも死んでいるのは分かる。肌の色、胸の動かなさ、目の閉じ方。
木崎が顔を引きつらせる。
「……洒落になんねえ」
日下部は固まったまま、息だけを吐いた。
「……保存。維持。……器の在庫」
声がかすれる。
そして、そのカプセル群の真ん中。
ひとつだけ形の違う、小さなドーム型のカプセルがあった。
中にあるのは――白いコア。
小さくて、硬質な白。
光っているわけじゃない。
でも、目を離すと頭の奥が“引っ張られる”。
「……あれは」
木崎が呟く。
「あの時、レアに奪われたはずの」
城ヶ峰が一歩踏み出しかけた、その時。
部屋の隅。影の溜まる場所から、ずずず……と布が擦れる音。
黒いローブが一体、滑るように現れた。
顔は見えない。
見えないのに、“こちらを見ている”感じだけがはっきりある。
黒ローブが口を開いた。
声は落ち着いている。感情が薄い。人の声に似ているのに、温度がない。
「カシウス様は今、非常に忙しい」
銃口が一斉に向く。
発砲。乾いた音が白い部屋に響く。
だが――弾は効かない。
当たった音すらしない。
黒ローブの布が揺れるだけで、何も起きない。
黒ローブは続ける。
「この世界でここだけではない。至る所で、準備が進んでいる」
城ヶ峰の声が低く落ちる。
「……何の準備だ」
黒ローブは、白い床の文字列の上に立ったまま答えた。
「異世界転移の準備だ。世界は、もう“単独”ではいられない」
日下部の指がノートパソコンを強く握る。
木崎はカメラを向けたまま、震える声で言った。
「……冗談だろ」
黒ローブは、冗談を笑わない。
ただ淡々と、“事実”みたいに言った。
「そして――鍵は、集まっている」
その視線が、ドーム型カプセルの白いコアへ落ちた。
次に、こちらへ。
まるで“奪い返す前提”の目だった。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都/警備局医療棟・病室】
セラが、床の魔法陣から完全に立ち上がった。
足が床に触れ、光が少しだけ薄くなる。
「……二つの場所で、同じ文字列が走っています」
セラが言う。
「そして、その文字列は……“呼び戻す”ためのものです」
リオは涙を拭う暇もなく、ユナの手を握ったまま、声を絞った。
「呼び戻すって、何を」
セラの青い瞳が、静かに揺れた。
「消えたもの。欠けたもの。……そして、まだ“こちら”に馴染んでいないもの」
サキがスマホを見下ろす。
画面は静かだ。けれど掌が熱い。
ハレルは主鍵を握った。
胸の奥で、嫌な予感が形になる。
(来る)
(また、次が来る)
ユナの指が、もう一度だけ動いた。
小さな声が、今度は少しだけはっきりする。
「……りょう……」
リオが泣き笑いみたいな顔になって、頷いた。
「いる。ここにいる」
その優しい瞬間の上に、セラの声が重なる。
「――急ぎましょう。まだ、終わっていません」
白い魔法陣の光が、病室の床で、ゆっくりと脈を打った。