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上野文
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#シェイプシフター
柊遊馬
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#白い結婚
夕凪ゆな
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第330話 奪われた身体
【どこでもない層/境界】
白い光が、境界全体へ広がった。
榊原梓が自分で作った帰還の線。
その外側へ食いついていたラストの反応が、光に押されるように大きく揺れる。
『待て!』
だが、梓は止まらなかった。
『来ないで』
声はもう、先ほどまでの弱いものではない。
『これは、私が帰る道だから』
ラストが再び線へ近づこうとする。
けれど。
今度は触れられない。
梓が現実側へ近づくほど、境界に残っていた白い線そのものが後ろから消え始めていた。
ラストの声に焦りが混じる。
『消すな!』
『それがなくなったら――』
白峰律が、その言葉を遮った。
「最初から、あなたのものではありません」
『うるせえ!』
「榊原さんがここに残るための道でも、あなたを運ぶための道でもない」
白峰は、現実世界へ向かう光を見つめる。
「彼女が自分の身体へ戻るために、自分で選んだ道です」
ラストが境界へ手を伸ばすように反応を強めた。
だが。
届かない。
『覚えればいい……』
『形だけでも……』
『あと少しあれば――』
帰還線がさらに消える。
ラストの声が遠ざかる。
『ふざけんな……!』
最後に残った白い線も
梓の意識と共に、現実世界側へ抜けていった。
そして。
消えた。
◆ ◆ ◆
【現実世界/警察関連医療施設】
「来る!」
ハレルの声と同時に、主鍵が強く光った。
処置室のモニターが一斉に変化する。
心拍。
脳波。
呼吸。
神経反応。
それまで別々に動いていた数字が、大きく揺れた。
「心拍上昇!」
「血圧変動!」
「脳波、急激に上がっています!」
医師たちが動く。
ユナはガラスの向こうから、一歩も動けなかった。
リオも。
サキも。
匠も。
ただ、眠る梓を見ている。
ハレルの胸元から伸びていた白い光が、カプセルの中へ吸い込まれるように細くなっていく。
「父さん……」
ハレルが息を呑む。
「線がなくなる」
匠は主鍵を見る。
「追うな」
「でも――」
「それでいい」
ハレルが父を見る。
匠は、カプセルの中の梓から目を離さない。
「帰る場所に着いたなら、道はもういらない」
その言葉と同時に。
主鍵の光が。
消えた。
◆ ◆ ◆
静かだった。
一瞬。
機械の音しか聞こえない。
誰も喋らない。
ユナの顔から血の気が引く。
「……先輩?」
モニターを見る。
心拍はある。
呼吸もある。
だがそれだけなら
今までと同じだ。
「反応は?」
匠が医師へ聞く。
「待ってください」
医師が脳波を確認する。
数秒。
長い。
「……あります」
ユナが顔を上げる。
「何が?」
「刺激に対する反応です」
医師が梓の右手へ微弱な刺激を入れる。
指が。僅かに動いた。
それまでの無意識な筋反応とは違う。
避けるような動き。
「もう一度」
刺激。
今度は。
指が明確に曲がった。
ユナがガラスへ近づく。
「先輩……」
医師が声をかける。
「榊原さん」
反応なし。
もう一度。
「榊原梓さん。聞こえますか」
数秒。
閉じた瞼が。
僅かに震えた。
ユナが息を止める。
そして。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
目が開いた。
◆ ◆ ◆
最初に見えたものは。
光だった。
白い。
眩しい。
目を開けただけで疲れる。
息が。
苦しい。
喉が乾いている。
身体が。
重い。
重すぎる。
指。
腕。
胸。
脚。
全部ある。
なのに。
全部が自分のものではないように遠い。
声を出そうとする。
出ない。
喉の奥で。
空気だけが漏れた。
「無理に喋らないでください」
知らない声。
医師。
その向こう。
ガラス。
人。
ぼやけている。
目がうまく合わない。
それでも。
一人だけ。
分かった。
ガラスの向こうで泣いている。
『……ユナ……』
声にしようとした。
だが。
口から出たのは。
掠れた息だけ。
ユナはそれでも気づいた。
「先輩?」
梓の唇がもう一度動く。
「……ユ……」
音になった。
小さい。
ほとんど聞こえない。
それでも。
ユナの顔が崩れた。
「はい」
涙を拭いながら。
笑おうとする。
「います」
梓の目が。
僅かに動く。
ユナを見る。
「……ナ……ちゃん……」
その声を聞いた瞬間。
ユナは。
何も言えなくなった。
両手で口元を押さえる。
何度も頷いた。
◆ ◆ ◆
梓は。
すぐに眠った。
正確には。
意識を維持できなかった。
長期間使われていなかった身体。
戻ったばかりの意識。
神経の接続も。
感覚も。
全てが不安定だった。
医師は、全員を一度処置室から遠ざけた。
廊下。
ユナは椅子へ座ったまま
まだ泣いている。
リオが隣に立つ。
「戻ったな」
ユナが頷く。
「うん」
声が震える。
「先輩だった」
「名前呼んだしな」
「うん」
少し笑う。
「ちゃん付けまで……」
リオも僅かに笑った。
サキは、少し離れたところでハレルを見る。
「お兄ちゃん、鍵は?」
ハレルは胸元を見る。
主鍵はもう光っていない。
「普通に戻った」
匠も確認する。
「梓さんとの境界接続は、ほぼ消えてる」
「じゃあ成功?」
サキが聞く。
匠はすぐには頷かなかった。
「帰還はした」
「違うの?」
「ここからが長い」
長期間眠っていた身体。
筋肉。
神経。
呼吸。
食事。
そして。
記憶。
「目を覚ましたから、明日から普通に生活できるわけじゃない」
ハレルが聞く。
「記憶も?」
「分からない」
梓がユナを認識した。
名前も呼んだ。
だが。
どこまで覚えているのか。
境界にいた時の記憶がどこまで残るのか。
過去と現在が、どう繋がるのか。
まだ。
何も分からない。
それでも一つだけ確かなことがある。
榊原梓は。
自分で戻ると決め。
自分の身体へ戻った。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
榊原梓の光はもうなかった。
深層Cの観測領域にも白いコア反応は出ていない。
《境界残留反応・消失》
《現実世界側生体反応・継続》
《帰還処理・完了》
白峰律はその表示を長く見つめていた。
カシウスが言う。
「成功した」
白峰は首を振った。
「違います」
「何がだ」
「私たちが成功させたんじゃない」
カシウスが見る。
白峰は梓がいた場所を見る。
「榊原さんが帰ったんです」
「同じことだ」
「違います」
今度ははっきり否定した。
「そこを同じにするから、あなたは人間を部品にする」
カシウスは何も答えない。
白峰はもう一度
空になった場所を見る。
あの日。
自分が送り出した。
榊原梓。
危険を十分に伝えず。
選択を奪い。
帰る方法もない場所へ送ってしまった。
その人が。
今。
白峰に戻されたのではなく。
自分で帰った。
「……よかった」
白峰は。
誰にも聞かせるつもりのない声で呟いた。
◆ ◆ ◆
境界のさらに外。
ラストは一人。
消えた経路を見ていた。
もう。
何もない。
梓が作った道は
身体と意識が繋がった瞬間。
閉じた。
『……くそ』
ラストは低く吐き捨てる。
完全には掴めなかった。
だが何も得られなかったわけでもない。
形。
流れ。
境界が開く瞬間。
一部は見た。
『次は……』
言葉を止める。
もうカシウスの門を待つつもりはない。
誰かの許可を得るつもりもない。
自分で越える。
その方法を探す。
ラストの反応は暗い層の奥へ。
静かに消えていった。
◆ ◆ ◆
【現実世界/警察関連医療施設・数時間後】
梓は
再び目を覚ました。
今度は少し長く。
医師の質問へ
目を動かして答える。
名前。
「榊原梓」
自分の名前を聞かれ
数秒かかったが
小さく頷いた。
年齢。
すぐには答えられない。
現在の日付。
分からない。
会社。
「クロス……ゲート……」
そこまで。
ユナ。
反応する。
白峰。
目を閉じる。
そして。
ハレルの名前を聞いても。
分からない。
当然だった。
境界で繋がっていた記憶と
身体側に戻った記憶。
まだ整理されていない。
ユナは
ガラス越しにそれを見ていた。
以前の先輩と全く同じではない。
それでも目の前にいる。
生きている。
考えている。
迷っている。
そして。
自分で答えている。
それで。
十分だった。
今は。
◆ ◆ ◆
【異世界/王国警備局・観測室】
ノノの端末にも
帰還成功の連絡が届いた。
アデルが聞く。
「戻った?」
「うん」
ノノが頷く。
「まだ安定はしてない。でも目を覚ましたって」
イデールが笑う。
「よかった」
アデルも左手首の副鍵を見る。
光は。
普段の状態へ戻っている。
「一つ終わったな」
ノノはすぐには答えなかった。
机の上には
まだ別の資料が残っている。
名前のない女性。
胸部重度損傷。
エリウスの記録。
本人の意思を確認する前に
身体を奪われた人。
「……まだ、こっちは残ってる」
ノノが呟いた。
その時。
別の表示が端末へ浮かんだ。
現実側。
サキのスマートフォンとの接続反応。
ノノが顔を上げる。
「……何?」
◆ ◆ ◆
【現実世界/警察関連医療施設・待機室】
サキはスマートフォンを手にしていた。
梓の状態が落ち着くまで
ハレルや匠たちと待機している。
画面には
ここまで共有されてきた事件資料の一部。
名前のない女性。
現実側で回収された遺体の記録。
胸部に大きな損傷を残した。
身元不明の女性。
サキが資料を開いた瞬間だった。
スマートフォンの画面が
僅かに白く揺れた。
「……え?」
サキが手を止める。
画面の端にいたreが
動いた。
いつもの小さな白い反応。
だが、今までとは違う。
reは。
女性の遺体写真へ近づくように移動した。
ハレルが気づく。
「どうした?」
「reが……」
サキはスマートフォンをハレルへ見せる。
reが震えている。
一度。
二度。
そして。
画面上。
名前のない女性の写真へ向けて。
細い白い線を一本伸ばした。
「……re?」
サキが呼ぶ。
もちろん返事はない。
reは喋らない。
ただ
白い線を写真へ向け続けている。
ハレルの表情が変わった。
「この人に反応してる?」
「たぶん……」
その時。
サキのスマートフォンから
異世界側との通信が繋がった。
『サキ?』
ノノの声。
サキが端末を見る。
「ノノ?」
『今、reの反応が急に上がった』
ノノは遠い異世界側から
reの反応値だけを観測している。
『何か見せた?』
サキは画面を見る。
「この女の人の資料」
『名前のない女性?』
「うん」
少し間。
『今も反応してる?』
サキは白い線を見る。
「してる」
reは動かない。
写真の女性へ。
白い線を向けたまま。
僅かに震えている。
ノノの声が少し低くなった。
『……どういうこと?』
誰にも分からない。
reが
その女性を知っているのか。
記録の何かへ反応しているだけなのか。
それとも
もっと別の理由なのか。
サキがスマートフォンを見つめる。
「re……この人を知ってるの?」
答えはない。
ただ
その問いの直後。
白い線が一度だけ。
強く光った。
◆ ◆ ◆
榊原梓は。
奪われた身体を自分で取り戻した。
だが。
同じように身体を奪われ。
名前まで消された者がいる。
そして。
現実世界。
サキのスマートフォンの中にいるreが。
その女性へ。
初めて明確な反応を示した。
一つの身体を取り戻したことで。
別の身体に隠されていた過去が。
静かに。
動き始めていた。
第二十一章 奪われた身体編ーーー了
コメント
1件
うわあ、梓さんが自分の意志で身体を取り戻した……! 白峰さんの「違います。榊原さんが帰ったんです」にじんときました。自分で選んだ道で帰ってきたからこそ、ユナちゃんとの「ちゃん付け」がこんなに響くんだなあ。最後のreの反応も気になる。一つの身体が戻ったことで、別の身体の過去が動き始める——この構造、めちゃくちゃ好みです。