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⚠︎ 注意 ⚠︎
本作品は、いよわ様の楽曲「あだぽしゃ」「うらぽしゃ」を基にした完全非公式の二次創作小説です。
実際の楽曲には一切関係ありません。
本作品はフィクションです。
13世紀のサヴォイア伯国を舞台としておりますが、独自の解釈や時代考証のアレンジを含んでおり、実際の史実・人物・団体とは一切関係ありません。
あくまで個人の創作としてお楽しみください
作品内は以下のような表現が含まれます。
・流血、出血の描写
・暴力、痛覚を描く描写
・負傷を伴う生理的な描写
・死を題材とした描写(死ネタ)
・楽曲やキャラクターの解釈に基づく独自の描写(解釈違いと感じられる場合があります)
・モブキャラクターの登場
以上の点をご理解の上、苦手な方は閲覧をお控えください。
──私たちもう一生
分かり合えないと
分かっていたでしょう──
第一話 祈りはいつも正しい
石造りの礼拝堂は、朝の冷気をまだ閉じ込めていた。
高い天井に吊るされた燭台の炎が、ゆらゆらと揺れている。
ステンドグラスから差し込む淡い光が、床の上に色の滲んだ影を落としていた。
アディポセラ・ド・シャンベリーは、その光の中で静かに膝をつく。
両手を胸の前で組み、目を伏せる。
絹の袖が石床に触れ、ひやりとした感触が伝わった。
「どうか。主よ」
小さく、澄んだ声が礼拝堂に溶ける。
「今日も私に、相応しい務めをお与えください」
それは毎朝の祈りだった。
迷いのない、正しい言葉。
自分がどのように生まれ、
どのように生きるべきかなど、疑う余地もない。
上に立つ者は導くためにいる。
持つ者は与えるためにいる。
それが神の定めた秩序であり、
彼女はその中で、ただ正しくあろうとしているだけだった。
燭台の火が小さく爆ぜる。
アディポセラは目を開け、ゆっくりと立ち上がった。
祈りを終えたあとの静けさは、いつも心地よい。
世界は整っている。
今日もまた、自分は正しく振る舞える。
そう思った時だった。
礼拝堂の扉の向こうで、控えめな足音が止まる。
「お嬢様」
年老いた侍女の声が、扉越しに響いた。
「旦那様がお呼びでございます。……その、新しい“お持ち物”について」
アディポセラは首を傾げる。
「お持ち物?」
「はい。北方から届いた者だと……」
一瞬の沈黙ののち、彼女は静かに頷いた。
「すぐに参ります」
扉が開くと、朝の空気が流れ込む。
礼拝堂の冷えた空気とは違う、現実の匂いがした。
アディポセラは最後に一度だけ祭壇を振り返る。
神はいつも正しい。
だから、自分のこれからの行いも、きっと正しいのだ。
そう信じて、彼女は礼拝堂を後にした。
──その日、彼女の世界に
ひとつだけ「感謝しない存在」が加わることを、まだ知らずに。
礼拝堂を出ると、空気はすでに昼へ向かう匂いを帯びていた。
シャンベリー家の館は山肌に沿って建てられており、石の回廊は冷えた風を通す。
窓の外には、まだ溶けきらぬ雪が白く残っていた。
私は裾を持ち上げ、静かに歩く。
足音が石床に小さく響くたび、胸の奥にわずかな好奇心が灯っていった。
北方から来た“持ち物”。
父がわざわざ私を呼ぶほどのものなら、
きっと珍しく、そして私の役に立つ存在なのだろう。
広間の扉の前で、従者が頭を下げて開ける。
中は暖炉の火で温められ、松脂の匂いが漂っていた。
壁には狩猟の絵が掛けられ、長い卓の奥に父──シャンベリー家当主が立っている。
その足元に、もう一人。
膝をつかされている青年だった。
粗末な毛織の衣。
旅の埃と雪解けの泥がまだ乾ききっていない。
手首には縄の跡が赤黒く残り、髪は肩にかかるほど伸びている。
しかし俯いていても分かる。
その体つきは弱々しくなかった。
寒さと労働に鍛えられた、無駄のない骨格。
「アディポセラ」
父の声が低く響く。
「これが例の北方の者だ。商人どもが珍しいと言っていた。言葉はまだ不自由だが、若く、丈夫だそうだ」
青年は顔を上げない。
「お前のところへ置こうと思う。退屈しのぎにはなるだろう」
その言葉に、広間の使用人たちが小さく目を伏せる。
誰も反対しない。それが当然だからだ。
私は青年の前まで歩み寄った。
暖炉の熱が届かない場所にいるせいか、彼の肩はわずかに震えている。
「顔を上げてください」
穏やかな声で言う。命令ではなく、導きのように。
青年はゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、私と同じ灰色だった。
凍った湖のように、光を映しているのに温度がない。
恐怖はある。
だがそれ以上に、何か別の感情が沈んでいる。
私はそれを理解できなかった。
「あなたは今日から、私のもとで暮らすのです」
私は微笑んだ。
「寒い思いはさせません。文字も、祈りも、礼儀も教えて差し上げましょう」
それがどれほどの慈悲か、彼に分かるだろうか。
そう思いながら、私は手を差し出した。
「感謝なさい。あなたは幸運なのですから」
青年の視線が、その手に落ちる。
握ろうとはしなかった。
ほんの一瞬だけ、彼の唇が動いた。
言葉にならない、かすれた呼気。
それは礼ではなかった。
けれど私は気づかなかった。
ただ、ゆっくりと首を傾げただけだった。
「……まだ怯えているのでしょう」
そう結論づけると、私は従者に視線を向ける。
「この方を湯で清めて、部屋を与えなさい。私の近くに」
命令は静かに下される。
青年は再び俯き、立たされ、連れて行かれる。
足枷の鎖が、石床を擦る音を立てた。
その背を見送りながら、私は思った。
これで、また一つ正しいことをした。
世界は整っている。
持つ者が、持たぬ者を導く。
それが、神の御心なのだから。
だが私はまだ知らなかった。
あの灰色の瞳が、
一度も
私を見上げてはいなかったことを。