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お先に失礼しまーす、と秘書室を出たのぞみの後を祐人が追いかけてきた。
「坂下、今日、暇か?」
とエレベーターの前で訊かれる。
「……暇じゃないです」
「そう警戒するな。
酔ってないときはお前になど興味はない」
とそれもどうなんだ、と思うようなことを祐人は言ってくる。
祐人は専務室の方を見ながら、
「専務は今日は会議だから、まだ帰らないはずだ。
お前が暇なら、この間の詫びに、なにか奢ってやろうかと思ったんだが」
と言うので、
「いえいえ、お気遣いなく。
実は、今日は、図書館に本を返しに行こうかと思ってまして」
と言うと、
「ああ、じゃあ、ちょうどいいじゃないか。
俺も車に本載せてんだ」
俺も行く、と言う。
「いやいや、別々で」
と頑なに固辞すると、気の短い祐人は、ムッとし、
「じゃあ、わかった。
俺も図書館行くけど、お前、俺とは目も合わすなよっ」
と言ってくる。
……子どもか、と思いながら、秘書室に戻っていく祐人を見送った。
目も合わすなよと言った人が、何度も視界に入るんですが……。
同じ棚で本を見ている祐人に、ぼそりとのぞみは言った。
「なんで此処に居るんですか」
「お前が俺の行くところに居るんだよ。
……趣味が似てるのかな」
と言う祐人に、そうですか、では、と言って、旅行雑誌のところに移動する。
週末、一緒に雪山に行きたい、と言った京平の言葉か頭にあったからかもしれない。
しかし、この季節に雪山……。
何処まで北上すればいいんだろうな、と思いながら、雑誌をめくっていると、
「専務と旅行にでも行くのか」
と真横で声がした。
ひっ、と身をすくめる。
「なんで……っ。
……なんで私について来るんですかっ」
つい大きくなった声を抑えて言うと、祐人は腕を組んで、のぞみを見下ろし、
「思い上がるな。
俺の行くところにお前が居るだけだ」
と言ってくる。
ああ、そうですか、と移動しかけたが、祐人はまた、ついて来る。
「なんなんですか、もう~」
と振り返って言うと、祐人は、溜息をついたあとで白状してきた。
「いや~、もう頼むから、なんか奢らせてくれ。
俺は人に弱みを握られるのと、人に頭を下げるのが大嫌いなんだよ」
……貴方、よく秘書やってますね、と思ったのだが、祐人は、どうしても、のぞみになにか奢ってこの件を終わりにしたい、と言う。
いや、そもそも、私の中ではもう終わっているのだが。
だが、ちょっと気持ちはわからなくもない、と思いながら、のぞみは言った。
「まあ、私もすごいミスとかして、御堂さんに迷惑かけたら、なにか奢って終わりにしたくなりますしねー」
「いや、終わりにできるわけないだろ……」
そうすげなく言われてしまったが。
じゃあ、そこで、とのぞみは隣りのカフェで珈琲をご馳走になることにした。
外を見るように設置されたカウンターに並んで座る。
「これでいいのか?
お前のキスは珈琲一杯程度の価値、ということになると思うが」
……それもどうかと思うが、まあ、軽く済ませておきたいからな、と横目に祐人を見ながら思っていると、
「そういえば、さっき、山下がお前を可愛いとか言ってたぞ」
と祐人が言ってくる。
「えっ?」
「あいつ、趣味がおかしいんだよな」
と言って、祐人は笑っていた。
おのれ……。
っていうか、永井さんも貴方のことを趣味がおかしいとか言ってましたけどね、と思いながら、のぞみは言う。
「でも、山下さんが私の名前を覚えててくださったのは嬉しいです。
社内、まだ知らない人が多くて。
社食行くたび、緊張しちゃうんですよね。
永井さんたちが、いろんなテーブルの前を通るたびに、二言、三言、みんなと話しているのがちょっと羨ましくて。
ああ、会社に馴染んでるなあって感じで」
と言うと、手許の珈琲を見ながら、なにか考えていた祐人がこちらを振り向き、
「俺もお前の名前、覚えてるぞ」
と言ってきた。
「いや……忘れてたら、びっくりしますよ」
そんなしょうもない話をしながら、しばらく二人でそこに居た。
話しながら、のぞみは、時折、カフェの中を行き交う人を窺う。
ちょうど後ろを通ったカップルに、そういえば、いつぞや約束したままになってるけど、私はいつ、専務に珈琲を奢れるのでしょうね、と思っていた。
「ただいまー」
と家に帰ったのぞみは、家の中の光景に、おや? と思い、玄関に戻ろうかと思った。
家を間違えたのかと思ったのだ。
しかし、どう間違ったら、こういうこういう光景になるのか謎なのだが――。
「お帰り」
とダイニングテーブルに座る京平が振り返り、のぞみに言ってくる。
「遅かったな」
「あ、すみませ……」
「電話、出なかったじゃないか」
その笑顔がなんか怖いんですけど、専務、と思いながら、のぞみは慌ててスマホを確認してみた。
京平からメールと電話が入っている。
「あっ、すみませんっ。
図書館行ったとき、マナーモードにして、忘れてましたっ」
と謝ると、
「いや、いい。
そういうこともあるよな」
と教師時代を彷彿とさせる口調で京平は言ってくる。
完全に駄目な生徒の相手をしている口調だ。
だが、あのときより数段、怖い。
なんでだかわからないが、と思いながら、苦笑いしていると、
「ほら、あんたも一緒に食べなさい。
今日は一口ヒレカツよ」
と浅子が言う。
また料理を褒められたのか、浅子は機嫌よく京平と話していた。
そのまま和やかに食事をしたあと、
「じゃあ、あんたの部屋にでも行ってきたら?
珈琲持っていってあげるから」
と気を利かせてか、浅子が言ってくる。
「ありがとうございます。
じゃあ、珈琲いただいたら、失礼しよう。
すみませんね、お母さん。
連絡がとれなくなったもので、心配して来てしまいまして」
と京平はソフトに微笑むが。
……なにかこう、欺瞞の匂いがする、とのぞみは思っていた。
すさまじく嫌な予感がするから、二階には行きたくない、と思ったのだが、そのまま京平に連れていかれた。