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「どうだ、坂下。
会社には慣れたか」
のぞみの部屋のラグの上に、テーブルを挟んで座った京平は、笑顔でそんなことを訊いてきた。
面談か。
なんだろう、この嘘臭さ、と思いながら、のぞみは覚悟を決めて訊いてみた。
「あのー、専務。
なにかおっしゃりたいことがあるのでは……」
すると、京平は笑顔のまま、
「……ある」
と言う。
「だが、もうすぐお母さんが来られるので、そこまでは耐えておこう」
と微笑みを顔に貼り付けたまま京平は言ってきた。
掃除が適当だとクラス全員が怒られる直前もこんな顔してたな、と思いなから、強張っていると、浅子が珈琲を運んできた。
おかーさん、助けてーと思うのだが、メデューサに睨まれたように動けない。
のぞみの顔も不気味に微笑んだまま止まっていた。
いや、恐怖のあまり表情筋が止まってしまっているのだ。
京平は笑顔で浅子に応対したあと、珈琲を一口飲んで、のぞみに向き直る。
「お前、今日、御堂と図書館横のカフェに居たそうだな」
ひい。
貴方の情報網はどうなってるんですか、と思いながら、のぞみは固まる。
「まだ付き合ってるかどうかも怪しいのに、もう浮気か」
いやいやいや、付き合ってないのなら、浮気でもないですよね~?
と思いながら、
「……何故、まだ笑顔なんですか」
と訊いてみた。
かえって怖かったからだ。
京平は笑ったまま言ってくる。
「今のこの気持ちのまま、作り笑顔をするのは大変だったんだ。
それで、この顔のまま、凝り固まってしまった」
弁解してみろ、のぞみ、と京平は言ってきた。
「信じてやるから」
と言う。
「……おかしいな。
俺は自分の妻が浮気しようものなら、嬲り殺しにしてやると思っていたんだが。
今は真実を知るのが怖いんだ。
もし、本当に御堂と浮気しているのなら、上手い嘘をついてくれ」
いや、嘘をつく器用さもなければ、浮気をするような器用さもない、と思いながら、のぞみは言った。
「専務。
私は嘘をつくのが苦手なんですが。
……なんで、耳を塞ぐんですか」
のぞみが告白しようとした途端、京平が慌てて両耳に手をやったからだ。
「いや、なんでだろうな。
反射だ。
……笑うな」
と言って、京平は、こちらを睨んでくる。
「すみません。
今、専務を可愛いなと思ってしまいました」
とのぞみが白状すると、京平は憤慨した風に言ってくる。
「なんだ、お前は嘘が下手だな」
と。
「この俺が可愛いとかあるものか」
いや……、時折、すごく可愛らしいときがありますよ、と思っていると、
「どうせ、嘘をつくなら、派手に行け」
と京平は言ってきた。
「私、専務が大好きなんです。
浮気とか一生ありえませんとかっ」
いや……、それ、嘘なんですかね?
実は結構、自己評価低いですね、と思っていると、京平は、
「俺は嘘つくの、結構得意だぞ」
と言ってくる。
そうですね。
意地を張った貴方のとんでもない嘘でこんなことになってるわけですもんね、と思っていると、
「俺は実は、お前が高校生の頃から好きだったんだ」
と言い出した。
いや、それはさすがに嘘ですよ、と苦笑いしながら聞いているのぞみに、京平は続けて言ってくる。
「俺は実は、こうして、誰かに好きだと言ったのは初めてで。
なにがあっても別れたくないと思ったのも初めてだ。
俺は今まで出会った誰よりお前が好きらしい。
残念なことに――」
そう言いのぞみの頰に触れかけ、やめたかと思うと、京平は、いきなり、キレ始めた。
「ほんと残念だよっ。
なんでお前なんだよっ。
他にいい女はいっぱい居るのにっ。
どうして、俺はお前しか目に入らないっ!」
あの……、そろそろこの部屋から、出てってもらっていいですかね、と思っていると、京平はいきなりまた耳を塞ぎ、言ってきた。
「さあ、言え。
思う存分、言い訳しろっ」
いや、聞いてないじゃないですか。
そのうち、こちらの声が聞こえないように、あわわわわわ、とか叫び出しそうだなと思いながらも、のぞみは言った。
その方が都合がよかったからだ。
「専務。
私――
専務のことが好きなのかもしれません」
沈黙があった。
「……かもしれない、いらなくないか?」
聞いてるじゃないか、と思いながら、のぞみは言う。
「だって、まだ、ピンと来ないんです。
実は、この間、酔った御堂さんにキスされたんです」
「心配するな、明日、殺しておくから……」
そう低く告げてくる京平の声に、
「いや、だから、これ、嘘だし、言い訳ですからね」
と祐人が殺されないよう、付け加えておいた。
「御堂さんは、酔った弾みでしただけで、私に気はないそうです。
それで、お詫びに珈琲を奢ってくれたんです」
「御堂にとって、お前のキスは珈琲一杯程度ということだな」
いや、それ、私がそう指定したんですからね……と思いながらも、のぞみは続ける。
「でも、そのとき気づいたんです。
御堂さんにキスされたら、なにか汚された感じがするけど、専務だとそうは思わないなと」
両手を下ろし、口を開きかけた京平にのぞみは言った。
「でも、まだよくわからないんです。
専務と結婚する自信もありません。
専務はモテそうだし、家も釣り合ってないし。
積極的に好きになりたい相手ではないな、と思うので」
でも―― とのぞみは付け足した。
「でも、今まで私が出会った男の人の中では、専務が一番好きかなあって思います」
のぞみ、と感激したように、のぞみを抱き締めようとした京平だったが、
「……待てよ」
と動きを止める。
「そこも嘘なのか?」
いや……どうでしょうね、とのぞみは苦笑いした。
恥ずかしいので、嘘だということにしておいて欲しいんですが、と思うのぞみを京平は抱き寄せた。
「まあ、そうだな。
お前に嘘つけとか無理だよな。
昔から、嘘は下手だもんな。
なんせ、遅刻した言い訳が目にミドリの虫が入りましただもんな」
「……いや、それは、ほんとに入ったんですからね。
登校中に目の中で虫がつぶれてみてくださいよっ。
絶対、遅刻しますからっ」
「今の話の中で、そこで一番熱くなるのはおかしくないか……?」
「だって、先生、あのとき、
『わかった、わかった』
って言ってたのに、全然わかってなかったってことですよね?」
と怒るのぞみを、今もまた、わかった、わかった、と言いながら、京平は膝に抱きかかえる。
「そうだな。
よく考えたら、御堂がお前なんか相手にするわけないよな」
いや、それもどうなんだ……と思っていると、京平は強くのぞみを抱き締め、キスして来ようとする。
「や、やめてください。
親がいます」
と京平の顔を押し返そうとすると、
「言ったろう。
お前が悲鳴を上げたところで、助けは来ない。
お前をさっさと嫁に出したいお前の親は、ドアの陰から、ひひひひひ、しめしめ、と覗いているくらいのものだ」
と京平は言ってくる。
「……どんなイメージなんですか、うちの親」
私をえへっとか言ったり、この人のイメージはおかしい。
そう思うのぞみに、京平は、そっとキスしたあとで、ああ……そうだ、と付け足してきた。
「そういえば、メールでハートマークを送ってきたのもお前だけだ」
後ろのベッドにのぞみを押し付けるようにして、もう一度、キスしたあとで、
「あ」
と京平はなにか思い出したように声を上げる。
「待てよ。
メールでハートマークは受け取ったことがあったな」
「えっ?」
「そういえば、この間、樫山が送ってきた」
と言う京平に、
「貴方がたは、一体、どうなってるんですか……」
とのぞみは呟いた。