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「オレは………ずっとお前のことを騙してた」
「え? 俺をですか?」
「ああ……お前が初めて患者の死に直面して酷く落ち込んだ時、オレはお前に『助けてやる』なんて偉そうなことを言ったが、その裏で自分の欲を満たそうとも考えてた」
弱っている人間を言葉巧みに唆して、和臣を求めるよう誘導した。今までひた隠しにしてきた秘密を、ゆっくりと形にして西条に晒す。
「東宮先生の欲?」
「お前と…………身体の関係を持つことだ」
「え……」
和臣の告白に、西条の目がこれでもかというほど大きく見開かれる。
「オレはゲイなんだ。お前と関係を持つずっと前から」
目を閉じ、西条の表情の変化を見ないようにして告げる。
「本当は死ぬまで隠しとおすつもりだった。けどお前という魅惑的すぎる人間がが目の前に現れて、望みどおりの関係になれて……オレは生まれて初めて幸せってものを感じることができた。でも……」
「でも……?」
「同じぐらいお前を失う恐怖を覚えるようになった。真実を知られて軽蔑されたらどうしよう、いつか弱さを克服してオレを必要としなくなったらどうしようって。……きっとそんなことばかり考えていたから、いつの間にかお前に依存してたことにも気づけなかったんだ」
「依存?」
「ああ。だから、お前を失った途端に何もできなくなった。今日の急変で手が止まったのも直接的な原因ではないが、そこから来る不調のせいだ」
この懺悔を聞いて西条が何を思うのか。想像すると恐ろしくなり、和臣はグッと歯を食いしばる。
数瞬の間、沈黙が流れた。
「ちょっ……ちょっと待って下さい、あの、騙したとか失ったとか、その、情報量が多すぎて……」
頭が追いつきませんと、背後からの声は明らかに揺らいでいた。
それだけ和臣の告白が衝撃的だったのだろう。
著しい混乱の中、ふと和臣を捕まえていた西条の腕の力が和らぐ。
今だ。直感した和臣は、すかさず西条から抜け出した。
「先生っ」
「西条、オレがしたことは謝って許されることじゃないことは分かってる。けど…………悪かった」
震えそうになる喉を何とか抑えながら一言だけ謝り、和臣はそのまま振り返ることなく歩き出す。その足が向かったのはもちろん、更衣室の出口だった。
「待ってください、先生!」
背後から切羽詰まったような声と足音が聞こえてくる。すぐに西条が追いかけてくるのだと悟った和臣は、恐怖で逃げ出したい気持ちに駆られ、咄嗟に走りだした。しかし。
「逃げないで下さいっ」
狭い部屋での逃亡劇が成功するはずもなく、和臣は出口に辿り着くよりも先に腕を取られ、再び西条に捕らえられてしまう。
背後でガタン、と大きな音を立てながらロッカーが揺れた。
続けて、重たい衝撃が背中に走る。
「くっ……」
「先生……酷いです。こんな……こんな衝撃的なことさらりと告げて……逃げちゃう……なんて……」
両手で和臣の肩をしっかりと捕まえた西条が、頭を落とし、肩で息をしながら文句を口にする。だが、その声色にはさほど怒りは含まれていないように聞こえた。
驚きすぎて、まだ怒りまで到達していないのだろうか。
「……すま……ない」
「謝らなくていいです。でもその代わり、ちゃんと最後まで話してください。俺にはまだ聞きたいことがたくさんあるんですから」
落ち着きを取り戻した西条が、ゆっくりと顏を上げる。
しかし視線が絡まった瞬間、たちまち穢れた心を暴かれたような恐ろしさに囚われ、和臣は瞬時に顏を逸らした。
「怖がらないで、先生」
和臣の唇の震えに気づいた西条が、切なげに訴えてくる。
「俺、絶対に怒鳴ったり、先生に危害を加えるようなことはしませんから」
今にも泣き出しそうな懇願に、チクリと胸が痛んだ。
「西条……」
「先生がちゃんと話をしてくれるなら、捕まえるのもやめますから」
「………………分かった」
もう逃げたりしない。和臣の肩を掴む西条の腕を柔らかく撫でながら約束し、解放するように促す。すると西条はわずかに逡巡したものの、ゆっくり指の力を抜いて和臣から一歩離れた。
が、すぐさま左腕を伸ばし、おそるおそるといった様子で和臣の右手人差し指を包み込むように握ってくる。
「あの、指だけ……握っててもいいですか? 先生のこと信用してないとかじゃなくて、その……先生に触れてないと不安で……」
西条のは和臣に拒まれるのを怖がっているのか、それとも緊張からか少々汗ばんでいた。
「……ああ、構わない」
和臣は小さく頷いて、握り返す。