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 「……おかしいんだよな」

 メロが低く唸るように呟いた。

 ワイミーズハウスの廊下を歩きながら、すでに20人以上の子どもに聞き込みをしていた。

 それでも核心には一切たどり着かない。


 ──Lが、イギリスに帰ってきた。


 それが、この施設内で囁かれている噂。

 不謹慎で根拠のない話だが、確かに子どもたちの間で急速に広まっている。


 問題は、その“出処”だった。


 「誰に聞いても“あの子から聞いた”か、“あいつと話してて知った”って……どこが発信源なのかさっぱり……」

 噂というものは、根っこを掘ろうとすればするほど、逃げ水のように姿を変える。

 誰が言ったのか? どこで聞いたのか? 最初に話したのは誰だったのか?

 ──その“源”が、まるで存在しないように振る舞うのが、噂という現象の気味の悪さだ。


 脳は、記憶をごまかす。

 人は、意図せず嘘をつく。

 あるいは意図的に嘘をついているのに、それを嘘と思っていない。

 どこからが拾った作り話か、根拠を持たないまま、“真実”の顔をして歩き廻る。


 それが、噂。


 もしかすると、最初から“作り話”だったのかもしれない。

 けれど──それでも、メロの直感は告げていた。

 「ここで広まったなら、発信源も“ここ”にいる。必ず」

 情報は勝手に生まれない。誰かが、意図的に流した。そしてそれは、外ではなく、ワイミーズハウスの中の誰か──


 この閉ざされた天才たちの箱庭の中にいる。

 

 吹き抜けの階段を上がった先、ロフトの突き当たりにある古い音楽室──そこから、ピアノの音が響いてきた。


 ──A。


 ワイミーズハウスの中で最も古株のひとり。

 Lのすぐ傍にいた者。

 そして何より、何かを隠しているような表情ばかりするあの男。

 (……やっぱり。Aが鍵を握ってる)

 メロは無意識に奥歯を噛み締めながら、ゆっくりと音楽室のドアに手をかけた。

 重く軋む音と共に扉が開く。

 その瞬間、ピアノの旋律がわずかに揺らいだ。けれど、すぐに持ち直される。

 室内にいたのは、やはりAだった。

 白く光る鍵盤に指を落としながら、眉間に深く皺を寄せ、どこか痛みに耐えるような面持ち。指先は確かに音を刻んでいるのに、そこに心の熱はなかった。魂を削るような旋律ではなく、ただ“音”をなぞっているだけ。

 まるで、自分の感情にフタをするかのように──

 「……」

 その背に、メロは一瞬、声をかけるのをためらった。

 けれど次の瞬間、Aは気配に気づいたのか、演奏を止める。


 気配に気づいたのだろう。


 ゆっくりと振り返る。

 その目に、何が映っていたのか──メロには読み取れなかった。けれど、Aは彼の顔を見ると、不意に表情をやわらげた。

 それは音の余韻にひたりながら、外の風にでも触れたかのような、一瞬の儚さだった。

 「やあ、メロ。何か用かい?」

 穏やかで、優しい声。

 「……Lのことを聞きたい」

 メロはためらわずに口を開いた。

 遠回しな言い方も、回りくどい探りも、Aには通じない──そう思ったから。

 「なあ。Lは昔ここにいたんだろう? 本当に、Lが帰ってきたのか知りたいんだよ。教えてくれよ、A」

 けれど、Aはすぐには答えなかった。

 目線を、ピアノの鍵盤に戻した。

 そして──



 「……それは──僕も、知りたいところだよ」



 そう言ったAの横顔には、何の嘘も浮かんでいなかった。

 メロは、言葉を継ごうとして、一瞬、迷った。Aが嘘をついているようには見えなかった。けれど、何も知らないようにも見えなかった。

 でも──それを“知らないふり”で誤魔化しているわけでもない。

 その曖昧な空白に、メロは言いようのない違和感を覚える。

 Aが視線をこちらに向けた。さっきまでの穏やかさを少しだけ引いた、冷静な目だった。


 「……この話、あまり広めないでくれないか」


 メロは、首を傾げた。

 「……どうして?」

 それは純粋な疑問だった。   

 情報を制限する理由が分からなかった。なぜ、Lが帰ってきたという“噂ごとき”で、そこまで慎重になる必要があるのか。

 Aはしばらく黙っていた。視線はピアノの蓋の上に落ち、そのまま手を伸ばし、ゆっくりと閉じた。

 「メロ……君は、まだ分かっていないと思うけど──」

 その声には、穏やかさと、わずかな重みがあった。

 「Lを“狙う連中”ってのはね、本当にいるんだよ。──本気で、Lを殺そうとしている人たちが、現実にね」

 メロは目を見開いた。

 「そういう連中が、“Lがイギリスにいる”なんて情報を掴んだら……次に狙われるのは、この場所だ」

 Aはゆっくりと視線をメロに戻す。

 「君だって知ってるだろ? この施設には、Lの後継者候補が集められている。──彼らにしてみれば、ここは“Lを量産するための工場”だ。ここに火をつけてしまえば、未来のLをまとめて燃やすことができる」

 メロは、言葉を失った。

 ワイミーズハウスにきて、日が浅い10代前半の彼には、それがどれほどの意味を持つのか、完全には想像できていなかった。

 「──“噂”のつもりで撒いた火が、本物の死体を出すことだってある。 命って……案外あっさり、燃えるんだ」

 Aはゆっくりと立ち上がった。閉じたピアノの蓋に手を添えたまま、メロを見下ろす。

 「……メロ。君がどんな理由でLに興味を持ったのか、僕は知らない。けど──」

 一拍の間。

 「本当に賢い子なら、今のうちに手を引く。Lって名前には、命よりも重いものがある。関われば、君の未来だって燃えるかもしれない」

 それは脅しではなく、忠告。


 「──このまま、幸せに暮らしたいだろう?」


 メロは何も言い返せなかった。

 ただ、その場に立ち尽くし、Aの言葉の意味をまだ完全には理解できないまま、胸の奥に刻みつけていた。

-デスノート- 欧州バイオテロ事件

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