テラーノベル
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王の命によりノアの名は禁じられた語となった。
人々はその名を口にした瞬間、なぜか意味を忘れ、記憶が曖昧になる。
王の能力《深層制律》
それは命令の絶対性を無意識下に刻み込むものだった。
「このままでは、声の戦いに負ける」
ノアは、箱舟の地下戦略室に集まった契約者たちの前で言った。
彼らの前の壁面スクリーンには、王都各地の監視映像が映し出されていた。
人々は静かに働き、買い物をし、生活している。
だがその表情に、かつて見られたわずかな覚醒の光は消えていた。
「言葉で届かないなら、他の方法で記憶に焼き付ける。
民衆が再び気づくための象徴を創る」
契約者No.3、記憶操作の男・シエルが呟いた。
「直接、脳を操作する王の能力には正面からは敵わない。
だが、視覚や感覚、反復記憶を通じた“刷り込み”には一定の耐性があるはず」
ノアは頷く
「今回は映像と数字を使う。
誰にも消せない形で疑問だけを植え付ける」
彼らが実行したのは、「言葉を使わない演説」だった。
翌朝、王都各地の建物の壁に、突如数字が投影され始めた。
【3456】唐突な数字。それだけ。
誰も意味を知らない。
が、その数字は毎日変化していった。
【3578】、【3721】、【3894】……
市民たちはざわつき始めた。
「これ、何の数字だろう?」
「テレビでもネットでも説明してない……でも、気になる」
やがて、匿名のネット空間である書き込みが流れる。
> 「あれは、失踪者の数じゃないか」
> 「いや、各地区ごとの沈黙した声を数えてるんだ」
> 「ノアの演説で言ってた声なき人々か?」
ノアという単語は検索不能となっていた。
だが、人々はその象徴仮面、マント、数字を通して意味を感じ始めていた。
王宮。会議室。
白冠騎士団と幹部たちが、数字の映像拡散について報告していた。
「まるで言葉を使わず、思考を誘導している……!」
レオナール団長が苦々しくつぶやく。
ミレイユは黙ってその会話を聞いていた。
「ノアの手法は、もう演説ではない。芸術、数字、絵、行動すべてが意味に変わっている」
そして数日後、王都の巨大ビルにあの映像が出現する。
夜、無音の空間に突如現れた黒い影。
仮面の男が、何も語らずにろうそくに火を灯す。
1本、2本、3本……そしてその数は100本を超えた。
やがて火は風で吹き消されていく。
1本、2本……そして、1本だけ残った最後の炎が、画面中央に残される。
そのときだけ、わずかに字幕が浮かぶ。
> 「最後の光を消すな。それが、君だ」
言葉を語らず、意思を伝える。
誰にもノアという名前は出ていない。
だが、国中の誰もが、その仮面の意味を理解していた。
その翌日
ミレイユは騎士団の訓練場の壁に、こっそり刻まれた数字を見た。
【4032】
「昨日より増えてる……」
隣の隊士が訊ねた。
「それ、何の数字かわかるか?」
ミレイユは答えなかった。
だが胸の奥で、あの雨の日の声が、再び甦っていた。
> 「願いは、言葉を持って初めて世界に届く」
> 「でも、言葉を奪われたとき、願いはどこに宿る?」
彼女は剣を握りしめた。
もう、命令だけでは心が従わなくなっていた。
(あの仮面の男のやり方は、狂っている。だが……)
(…間違っていないかもしれない)
一方、王は苛立ちを募らせていた。
「ノアを語る者はいない。だが……ノアを語らないという形で民が団結し始めている」
臣下の一人が震えながら報告する。
「仮面の映像を見た者の一部に、能力の深層制律が効かなくなっているようです……!」
王の目が細まる。
「……ならば次は、象徴そのものを断て。
この国にマスクを許すな。
黒を着る者を見つけ次第、拘束せよ」
言葉の封鎖が、象徴の弾圧へと移行し始めた。
火は、灰になる前に炎となる。
その夜、箱舟。
ノアは一つの提案を出す。
「次は民衆の中にまぎれた仮面たちを使う。
俺だけがノアではない。仮面とは、誰の顔にもなれるという意味だ」
契約者たちは静かに頷いた。
誰か一人の英雄に頼る時代は、終わった。
誰もが願いを抱く者となったとき国の構造は、音もなく崩れていく。