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夜 雨
何度目だろう。
この国が沈黙を纏うたび、空もまた泣いていた。
ミレイユ・カーネリアスは白冠騎士団の詰所に戻らず、
王都外縁の古い屋根の下に座り込んでいた。
剣を鞘ごと抱き締め、膝に額を乗せて、ただ、雨音に耳を澄ます。
「……私は、何と戦ってるんだ」
国家か。ノアか。
それとも、かつて自分が信じた正義という幻か。
目を閉じると、思い出す。
放送塔での言葉。仮面の男の声。
「君のような剣なら……いつか俺の心臓を刺すにふさわしいと思う」
なぜそんな哀しい目をしていた?
なぜあんなにまっすぐ、私の中に踏み込んできた?
あの夜から、彼女の中で何かが崩れていた。
(王の制令に、疑問を持ってはいけない)
(でも私は、疑問を持った。なら私は……もう、騎士じゃない)
そのときだった。
カツン
誰かの足音が、背後で止まった。
「……ミレイユ」
声を聞いて、ハッと顔を上げる。
そこにいたのは、同じ騎士団の後輩
そして、数少ない友人だった青年・ラース。
彼は濡れた髪をかきあげながら、少し照れくさそうに笑った。
「団長が心配してた。あの子は剣じゃなくて人間だってな」
ミレイユは一瞬だけ笑ったが、その表情はすぐに沈む。
「……ラース。ねぇ、私……もう、間違ってるのかな」
ラースは迷わず答えた。
「お前は、間違ってない。ただ、正しすぎるだけだ」
「それって、騎士には向いてないってこと?」
「いや……それは、騎士団の中に向いてないってことだ」
その言葉が、冗談のように聞こえなかったのは、彼の瞳が本気だったからだ。
「俺も、思ってるよ。
ノアが完全に正しいなんて言わない。でも、王の制令は……違うって、思ってる」
ミレイユの喉が詰まりそうになる。
(私だけじゃなかった……)
ラースはポケットから、小さなデータチップを差し出した。
「これ、例の数字の変遷と、仮面の映像記録。
俺の端末から直接抜いた。いま国家中の端末は検閲されてるが、これはまだ改竄されてない」
ミレイユはそれを受け取り、強く握りしめた。
(この国は、記憶すら操作しようとしている)
(なら私は……この記録を護らなきゃ)
数日後。
ノア陣営 箱舟
仲間の一人、契約者No.6「アゼル」が姿を見せなくなっていた。
彼は【遠隔視】の能力を持ち、軍の機密情報を拾う役割を担っていた。
優秀だが、どこか無感情でだが、裏切るとは思われていなかった。
だが、その夜。
ノアはアジトの“内部回線”に、盗聴と位置情報漏洩の痕跡を見つける。
「……内部に裏切り者がいる」
数秒の沈黙ののち、セラが小さく呟いた。
「……アゼル、なの?」
ノアは頷いた。
「国家に戻るというより、真理の側に立ちたいと言っていた。
自分の知性を、どちらの未来に賭けるかで選んだだけだと……」
ユーンが机を叩く。
「ふざけんな……こんな大事な局面で裏切るなんて!」
ノアは静かに口を開く。
「裏切りは……人間の中に理想と現実が二つある証拠だ。
奴も、願っていたんだよ。世界が変わるなら、自分の力が意味を持つようにと」
「じゃあ、それで仲間を売るのかよ!」
「……違う。仲間と思ってなかった。
アゼルにとって、俺たちは賭けだったんだ」
数日後。
王国軍の特殊部隊が、《箱舟》の副拠点を急襲する。
数名の契約者が捕らえられ、一人若い少女・レティアが死亡した。
彼女は能力を持たない支援員だった。
通信を繋ぎ、映像の編集をし、ノアの演説を支えてきた。
ノアは、遺体安置所の前で、仮面を外す。
誰もいない空間で、一人だけで、レティアに話しかけた。
「……すまない。君の声を、最後まで護れなかった」
レティアは死んだが、その手には小さなメモリが握られていた。
そこには、次の演説案の断片が残っていた。
「言葉が奪われたら、映像を。映像が奪われたら、記憶を。
記憶が失われても、誰かの手が、誰かの剣が、それを繋いでいく」
「私たちは、声のない世界でも、きっと叫べる。
だって私たちは、願っているから」
ノアはその文字を見つめ、ゆっくりと立ち上がった。
「……彼女の死をただの犠牲にはしない。
これは、願いだ!」
ミレイユはそのころ、密かに王都の下層へ向かっていた。
ラースが手配した偽装通行証を使い、かつて市民が集まった広場の跡地へ。
そこで、崩れた壁に刻まれた、一本の仮面の絵を見つける。
その下には、子どもの手で書かれたような文字が。
「おかーさんが言ってた。ノアって、おばけじゃなくて、ひーろーだって」
涙が、こぼれそうになった。
(誰もが沈黙するこの国で、まだ……声は生きてる)
ミレイユは、剣を抜き、壁の下に刻んだ。
「私はまだ、この国を信じていたい。
けれど、この国のやり方には、従えない」
それが、彼女の初めての反逆だった。