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なつほ
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#中太好きになれ
「……おい、太宰。お前、いつの間に分身したんだ?」
ヨコハマの、潮風が混じる薄暗い路地裏。任務帰りのポートマフィア幹部、中原中也は目の前の光景に呆然と立ち尽くしていた。隣にいるのは、相変わらず飄々とした、しかし最近はさらに独占欲を強めている恋人の太宰治だ。そしてその視線の先――そこには、見覚えのある「太宰治」と「中原中也」が、自分たちとそっくりで、しかし決定的にどこかが狂った立ち姿で存在していた。
「おや、中也。私の分身にしては、随分と……華奢だねえ」
太宰が目を細める。彼らの前に立つ「太宰」は、中也と同じくらいの背丈で、女性物のコートを羽織り、落ち着きなく指先を弄んでいる。「中也」の方は、こちらは男の姿だが、その鋭い眼光には見慣れた荒々しさよりも、どこか焦燥感に近い執着が滲んでいた。
「あ、あの……中也……ここ、どこ?」
女性の姿をした太宰――太宰♀が、隣に立つ男の中也の袖をぎゅっと掴む。その顔は林檎のように赤く染まり、潤んだ瞳で周囲を見渡していた。その仕草に、こちら側の太宰の眉がぴくりと跳ねる。
「……気持ち悪いものを見たね。私があんなに可愛らしく中也を頼るなんて、明日は槍でも降るんじゃないかな?」
「うるせえ太宰、それはこっちの台詞だ。おい、お前ら。何者だ」
中也が重力を纏い、一歩踏み出す。すると、向こう側の男の中也が、太宰♀を庇うように前に出た。その手には殺意に近い熱が宿っている。
「太宰に触るな。……たとえ、俺と同じ顔をしていようがな」
低い、地這うような声。その一途で不器用な、しかし確実な殺意を向けられ、こちら側の二人は顔を見合わせた。
「なるほど、並行世界というやつかな」
太宰が顎に手を当てて笑う。「中也が私に心酔していて、私が中也に怯えている……いや、照れているのか。ふうん、面白い」
「……入るぞ。ここなら誰も来ねえ」
結局、四人はポートマフィアが管理するセーフハウスの一つに移動することになった。狭い室内で、二組の「太中」と「中太」が対峙する。
こちら側の太宰は、中也♀の隣にどっかと座り、当然のように彼女の腰に腕を回した。
「さて、まずは自己紹介から始めようか。といっても、名前は全員同じだろうけれど」
「離せ、クソ太宰! 人の前でベタベタすんじゃねえ!」
中也♀が顔を真っ赤にして太宰の腕を振り払おうとするが、太宰は慣れた手つきでそれをいなし、むしろ彼女の首筋に鼻先を寄せた。
「いいじゃないか、中也。冷たくされるのも嫌いじゃないけど、今は私、機嫌がいいんだ。だって、あっちの私はあんなに弱々しいんだよ? 私の圧倒的優位を見せつけてあげないと」
「誰が優位だ! この自殺マニア……!」
口では罵りながらも、中也♀の心臓の鼓動は早くなっている。突き放すような言葉を吐きつつも、太宰が触れている場所から熱が広がり、彼女の瞳は揺れていた。嫌がっているふりをして、実は太宰からの愛情表現が嬉しくてたまらない。それが彼女の常だった。
一方、その様子をテーブルの向かい側から、対照的な表情で見つめる二人がいた。
「すごい……中也が、あんなに強引……」
太宰♀が頬を赤らめ、尊敬の眼差しでこちら側の太宰を見ている。彼女の隣に座る男の中也は、苦虫を噛み潰したような顔で、しかし自分から太宰♀に触れることができずにいた。
「太宰、そんなにそいつを見るな。……汚れる」
「中也、嫉妬? 嬉しい!」
太宰♀が嬉しそうに中也の腕に抱きつこうとすると、中也は一瞬身体を強張らせ、耳まで真っ赤にして顔を背けた。
「……やめろ、馬鹿。……恥ずか死ぬ」
こちら側の太宰が、その様子を見て吹き出す。
「くすくす。あっちの中也くんは随分と奥手だねえ。私たちがもう婚約していて、毎晩のように身体を重ねているなんて教えたら、ショックで死んでしまうんじゃないかな?」
「こん……っ!?」
中太側の二人が同時に叫んだ。太宰♀は顔から湯気が出そうなほど赤くなり、男の中也は椅子をガタガタと鳴らして立ち上がった。
「婚約……? こいつと、お前が?」
「そうだよ。ほら、中也、指輪を見せてあげなよ」
太宰に促され、中也♀はしぶしぶ左手の薬指に輝くシンプルなリングを見せた。
「……まあ、その。こいつがしつこくてよ。死ぬまで俺を拘束する権利を寄越せとか、わけわかんねえこと抜かすから……」
中也♀の顔は、先ほどからずっと赤いままだ。強がった台詞を吐きながらも、その指輪を愛おしそうに撫でる癖を、太宰は見逃さない。
「は、はは……。いいなあ。……私も、中也にそんなこと言われたい」
太宰♀が消え入りそうな声で呟く。彼女は自分から「好き好き」とアピールする割に、いざ相手から正面切って愛情をぶつけられると、どうしていいか分からず硬直してしまう性質だった。
「……。悪かったな、俺が頼りねえせいで」
男の中也が、絞り出すように言う。彼は太宰♀のことを心から愛していた。彼女に近づく男がいれば、それがたとえ組織の人間であろうと殺意を抱くほどだ。だが、いざ本人を前にすると、その不器用さが邪魔をして、甘い言葉の一つも出てこない。
「中也……謝らないで。私は、中也がそばにいてくれるだけで、本当に……」
太宰♀がそっと中也の手を握る。中也はびくりと震えたが、今度は振り払わずに、その細い手を握り返した。
その光景を見守っていたこちら側の中也♀は、ふと、隣で余裕綽々と笑っている男の顔を見た。
「おい、太宰。お前もたまには、あっちの中也みたいに黙って優しくできねえのか」
「ええ? 私がそんな退屈な男に見える? 私はね、中也を困らせて、その真っ赤な顔を見るのが人生の潤いなんだよ。中也、ちっちゃくて可愛いねえ。あっちの中也くんに、この可愛さを分けてあげたいくらいだよ」
「っ、このっ……! 死ね! ぶっ殺すぞ!」
中也♀が拳を振り上げるが、太宰はその手を軽々と取って、手の甲に唇を落とした。
「ほら、また赤くなった。可愛い中也」
「……ああもう、うぜえ……!」
中也♀はそっぽを向くが、その唇は微かに綻んでいる。彼女は知っているのだ。この男が、ふとした瞬間に向ける、狂おしいほどの独占欲と慈しみ。それを向けられるたびに、心の底が甘い熱で満たされることを。
四人の間に、奇妙な沈黙が流れる。
二つの世界線。立場も性格も微妙に異なるが、根底にある「相手を想う力」の重さは、どちらも変わらない。
「ねえ、あっちの私」
太宰♀が、勇気を出してこちら側の中也♀に話しかけた。
「中也と……その、エッチなことする時、恥ずかしくないの?」
「ぶふぉっ!?」
中也♀が飲んでいた水を盛大に吹き出した。
「な、ななな何を、何を訊いてんだお前は!?」
「だって……私、中也に触られると、心臓が止まりそうになっちゃって……。中也も、なかなかしてくれないし」
隣で男の中也が、顔を覆って蹲っている。
「太宰……頼むから、人前でその話は……」
こちら側の太宰は、愉快でたまらないといった様子で中也♀の肩を抱き寄せた。
「いい質問だね。中也はね、最初は『殺す!』とか『どけ!』とか威勢がいいんだけど、最後には泣きそうな顔で私の名前を呼ぶんだよ。私の服を掴む手が震えていてね、それがまた愛しくて……」
「太宰! お前、全部喋るなっつってんだろ! 殺す、今すぐここで重力で潰す!」
中也♀が本気で殴りかかるが、太宰はそれを華麗に避けながら、満足げに笑った。
「あっちの中也くん。君も、もっと素直になればいい。この中也は、口ではあんなに酷いことを言うけど、心の中では『太宰、もっと私を愛して』って叫んでるんだから」
「い、言ってねえ! 一言も言ってねえ!」
赤面しきった中也♀の姿を見て、太宰♀は少しだけ安心したように笑った。
「なんだか……私と中也も、もっと頑張れる気がしてきたかも」
「……ああ。お前がそう言うなら、俺も……善処する」
男の中也が、おずおずと太宰♀の頭を撫でる。太宰♀は一瞬驚いて固まったが、すぐに幸せそうに目を細めた。
それから数時間後。異能の影響が解けたのか、並行世界の二人の姿が薄れ始めた。
「あ、消えるみたいだね。残念だなあ、もう少しあっちの中也くんを弄りたかったのに」
太宰が残念そうに手を振る。
「二度と来んな! あと、あっちの俺、しっかりしろよ!」
中也♀が叫ぶ。
「ありがとう。……バイバイ、幸せにね」
太宰♀が笑顔で手を振る。
「……ああ。そっちの俺も、そいつを大事にしろよ」
男の中也が、最後に見せたのは、一途な男の決意の表情だった。
二人の姿が完全に消え、静寂が戻ったセーフハウス。
中也♀は大きくため息をつき、ソファに深く腰掛けた。
「……疲れた。変な奴らだったな」
「そうだね。でも、いい刺激になったよ。中也」
太宰が背後から彼女を包み込むように抱きしめる。
「……なんだよ」
「改めて思ったんだ。私は、このツンデレで可愛くて、私を殺すなんて言いながら愛してくれる、私だけの中也が一番好きだよ」
耳元で囁かれる甘い声。中也♀はまた顔を赤くし、暴れようとした手を止めた。
「……。当たり前だろ」
「おや、素直だね?」
「うるせえ。……婚約者なんだから、当たり前だっつってんだよ」
彼女の手が、太宰の腕にそっと重ねられる。
「……愛してるぜ、クソ太宰」
その言葉は、消え入りそうなほど小さかったが、太宰の耳には、世界のどんな音よりも鮮明に響いた。
「私もだよ、中也」
窓の外では、ヨコハマの夜景が輝き始めている。
別の世界線の二人も、きっと今頃、不器用ながらも確かな愛を育んでいるに違いない。
姿かたちが違えど、運命の糸は、いつだってこの二人を繋いで離さないのだから。
コメント
2件
うー、ニヤニヤが止まんねぇ( ´∀`)bグッ!