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「……」
「——さん、水川さん!」
「……え?」
長髪で隠した補聴器に手を当て
声のする方へ振り返る
「ここの分析のソース、Year to dateで合ってますか?」
「……」
「は、はい。ここは会計年度ベースで本年の頭から最新までのデータを基に算出した分析になります」
「了解です……分かりました、有難う御座います」
「資料はデータベースへ上げておいて下さい」
「では本日はこの辺で」
営業部長との進捗の打ち合わせ
急ピッチで間に合わせた甲斐もあり
何とか無事に報告を終える事が出来た
結局、昨晩からほぼ不眠での業務
終えた達成感と安心感も相まって
緊張の糸が途切れ
集中力が途切れ
眠気で頭がボーっとする
ともあれ何とかやり切れた
昨日は
巡るめく様々な事があり
心身共に満身創痍だが
何とか今日一日を乗り切る事が出来た
***
「……」
「……ん、良し!」
働かぬ頭
それでも
無心で手を動かし
ルーティン通りに夕飯を作る
(やっと終わった……)
今日一日
追われていた全てをやり切り
憑き物が全て取れた
安堵と共に
どっと押し寄せる疲労と
社長との記憶
その記憶に思いを馳せ
目を閉じ
物思いに耽る
脳裏に社長の匂いが甦る
甘美な記憶と
甘美な充足感を纏って
私は
夫の帰宅を待てずに
そのまま深い眠りに落ちてしまった
***
「……」
「——さん、水川さん!」
「……え?」
長髪で隠した補聴器に手を当て
声のする方へ振り返る
そこには
心配そうな顔をした伊藤さんが立っていた
「大丈夫ですか?最近ボーっとしてますけど、もし体調とか悪かったら無理しない方が良いですよ」
「……ああ、ごめんね。大丈夫なの、本当に。ちょっと考え事しちゃって」
ずっとそうだ
あの日以来
ずっと
社長の事が頭から離れない
部長とのミーティングの最中
人事部との面談の最中
旧営業メンバーとの引き継ぎ内容の確認の最中にも
同様の指摘をされた
そして今
伊藤さんからも指摘されてしまった
確かに最近は頻発している
一人でパソコンに向かっている分には問題ないが
複数人との業務では
それは大いに問題だ
気を引き締め直すも
そう簡単に全てを拭えるわけもなく
僅かな気の緩みが
一瞬にして
私を物思いへと引きずり戻す
社長は今何してるのかな……
社長はどう考えてるのだろう……
これからどうなるんだろう……
このまま何も無いままなのかな……
ああは言ってくれたけど……
私の事どう思ってるんだろう……
不安な女心と
晴れない気持ちが
五里霧中へ迷い込ませ
物思いに耽けさせる
——私は既婚者
その物思いに
休止符を打つのはいつもここ
目を逸らす事のできない現実
目を逸らしてはいけない誓約
それが
甘美な妄想から私を
冷徹な現実へと引き戻す
***
「……」
「——さん、水川さんってば!」
「……え?」
長髪で隠した補聴器に手を当て
声のする方へ振り返る
「またボーっとして!いい加減気を付けた方がいいよ、周りにも迷惑だから!」
久しぶりの
同期メンバーとのランチ女子会
にも拘わらず
相も変わらず私は
上の空で
心ここに有らず
ただでさえ
疎まれ
妬まれ
嫌われている今の私
その日は
風当たりも強く
こっぴどく罵られてしまった
「あのさ、そんなに聞こえないなら補聴器替えるなり少しは努力したら?業務にだって支障出るでしょ?」
「そういえばこの間もあったね……」
そうだ
小山田さんも同席していた先日の人事部との面談の最中も
同様の事をしでかし
同様の指摘をされていた
「うわ、実害出てんだ……水川さん少しは周りの迷惑考えた方がいいよ」
有害扱いされてしまった私
さすがにこたえた
さすがに傷ついた
でも
私が悪いんだよね?
しっかりしなきゃ
改善しなきゃ
私を残し
テーブルを立ち去る3人を追い
一人遅れてテーブルを立つ
——物思いに耽る
実際
この事を私は軽く考え過ぎていたのかもしれない
この事に際し
私へのクレームが上がってしまう事態になる
そして
私は呼び出しを受けてしまった