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篠原愛紀
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憂鬱だった
悦びに浸った社長との一夜から
私はその気持ちを引きずり
夢が覚めぬまま
夢の中で
強欲にも
満たされぬ想いに悶えていた
それは
現実世界で見れば
表面上はただの
散漫な業務態度
それにより引き起こされた惨事
その事が引き金となり
私へのクレームが上がってしまい
私は呼び出しを受けてしまった
コンッコンッ
「失礼します」
対面式に組まれた机
対面には人事課長と……
何故か法務部の神崎さんも居る
——業務改善の指導
そう覚悟していた
しかし
実際は違った
「そんなに固くならなくて結構ですよ、どうぞ掛けて下さい」
高橋人事課長に促され
恐る恐る椅子を引き
背筋を伸ばして着席する
「水川さんは体調不良や労働環境などについて最近何かありますか?」
「えーと……」
「あくまでヒアリングです。遠慮は不要です、思ったままで結構です」
「水川さんは異動もありましたし、環境にも変化があったので働き方に関して思うところがあれば率直に仰って下さい」
そう言われて
率直に事実を伝えられるほど
私に勇気はなかった
「特には……確かに未だ不慣れで上手く出来ない事や周りに迷惑を掛ける事は多々あります」
「……なるほど」
社内アンケートか
内部通報制度を通じてか
はたまたそれ以外か
私に関する何らかのクレームがあった
だが
具体的にどういったクレームだったのか
詳細と経緯は定かではなかったが
——私の難聴が業務遂行に支障をきたしている
そう意見が上がったらしい
しかし
人事部としては
実績と成果、勤務態度などから問題なしと結論付け
逆に
人事部・法務部の双方から
差別禁止規程の徹底を約束された
差別には
性別や人種、宗教の他
障害者への偏見も含まれた
具体的には
定期的なコンプライアンス研修の実施を行い
周知の徹底と差別なき環境改善を強化する旨を約束された
そして
方針に沿わない者や
恣意的で悪質な通報には
最悪の場合、処罰対象とする旨の説明を受けた
そして
此度の私に対する一件は
通報者への厳重注意が処される事となった
「特に何も無いなら良かったです。慣れない業務、慣れない環境で大変でしょうが何かあれば気兼ねなく相談して下さい」
人事課長から
そう温かい言葉を掛けられ
私の面談はあっけなく終わった
***
「水川さん、最近何かありましたか?」
伊藤さんが
心配そうな面持ちで声をかける
「ううん、大丈夫。私ボーっとしてたよね、気を付けて集中するようにします」
「いえ、そうじゃなくて……」
「私、購買部からの異動じゃないですか?鈴木さんからちょいちょい水川さんの探りのメール来るんですよね」
「今まで個人的にやり取りするような仲じゃなかったのに」
「女の勘ですが……何か目を付けられたりしてませんか?」
——鈴木さん
購買部所属の同期同僚
確かにランチ女子会の時も冷たかった
でも
そんなの昨日今日始まった話ではない
改めてそう言われてみると
確かに最近は増してる気もするけど……
他の二人に比べれば鈴木さんは物静かでおとなしい
「んー……どうだろう、特にないと思うんだけど。たまにランチ一緒に食べるよ」
「水川さんお人好しですからね……そういう人って的になり易いですから気を付けて下さいね」
「ちゃんと頷き3号しなきゃだめですよ~」
一件シリアスに思えた話だったが
伊藤さんは
そうおどけて締めた
伊藤さんは面白い
伊藤さんはかわいい
私とは違って
誰とでも上手くやり
誰にでも好かれるんだろうな
「私は不器用だから。伊藤さんみたいに上手く立ち回れなくて……」
「本当にすごいなって思う」
そう言って俯く私を
ポジティブパワーで捲し立てる
「じゃあ私が指導しますね!まず、頷きは角度から大事です。深過ぎず浅過ぎず、注意を惹き過ぎないよう、癇に障らないよう角度は斜め——」
早口で捲し立てる
伊藤さんの頷き理論
そのくだらなさに
私は思わず笑ってしまった
思えば
今まで
押し付けられた雑務をこなすだけだった業務が
今では
こうしてくだらない話に笑える相手が出来た
買収する形で会社を手にし
強制的に新経営者に着任した社長
もたらした抜本的な改革と
要求される結果の厳しさに
批判を受ける事が多い社長
でも
それを境に
会社での私の立場は
好転したように思える
それが
偶然なのか
必然なのか
一社員の私には知る由もないけれど
***
華の金曜日
案の定というか
いつも通りというか
夫は帰りが遅かった
台風の影響で帰れず
外泊に至ってしまって以降
まともに会話をしてない気がする
たまには一緒に食べようと
お腹を空かせながら
帰りを待ってみた——
——待ってはみたものの
やっぱり夫は帰って来ない
帰って来がちな
22時を過ぎても
それでも夫は帰って来ない
うつらうつらと
眠気に抗いつつ
それでも待ってみたが
それでも夫は帰って来ず
いつしか私は
眠ってしまった
「……」
ドンッ!
「——!?」
身体に圧し掛かる
強い衝撃に目が覚めた