俺の知っている杏里はいつも俺の後ろに隠れているようなおどおどした奴だった。
「飛雅くん、もし良かったらなんだけど、この子の面倒見てあげてくれないかな。」
そもそも出会いなんて無理矢理で、小学1年生で初めて同じクラスになって、クラスで浮いていた杏里の面倒を見させられたのが始まりだった。
「…おれ、五十嵐飛雅。お前は?」
最初は面倒で、他の友達と遊びたくて杏里の事は適当に扱おうとしていて、
「…………か…、………ん…り、」
……杏里の声は小さくて少しどもっていて、聞き取るのはすごく難しかった。
大人であれば気を使えるこの状況も、小学校に入学したばかりの5歳の子供がそんな気使える訳もなく、
「…は?何聞こえない」
「………ッ…ぁ………」
「なんだよ気持ち悪いな、名前も言えない奴の面倒なんか見れるかよ」
………それを教えられたのはあれからすぐだった。
「っ…は、…はぁ………ッ、……っぅ………、」
「杏里くん大丈夫?保健室行こっか、」
俺が言った言葉が原因で、杏里は苦しそうに胸を抑えて座り込んでしまった。
精神的に脆くすぐに過呼吸を起こしてしまうと、教師には教えられた。
………それから、
「杏里、トイレ行きたくないか?俺今から行くけど」
「…ぁ………、」
俺は何となくまたあの時みたいになるのが怖くて、杏里の面倒を見るようになった。
杏里はすぐに俺に懐いてあの時以来過呼吸になる事もなく、一秒たりとも俺と離れたりはしなかった。
「…あれ、しないの?」
「………」
「そっか、一緒にいたかったんだな」
意思疎通は出来るだけ、はいかいいえで答えられるようにした。
そっちの方が杏里も首を動かすだけで楽そうだったし、俺も小さい声を頑張って聞かずに済むから。
そうやって少しずつ一緒にいるうちに、
「杏里、帰るぞー家でゲームしよ!」
………高学年になった頃にはすっかり仲良くなっていた。
何をするにもいつも一緒で、俺もそれが当たり前になっていて、
一緒にいるうちに杏里の良い所にも沢山気付いた。
「…花?わ、ほんとだ。こんな所に沢山咲いてる。」
杏里は細かい事によく気が付く。
繊細で、大きな音や強い光は苦手だけど、その分手先が器用で細かくて、
「…へえ、絵描けるんだ」
「………ぅ…ん、」
3年生くらいの時に図画工作で絵を描くのが得意だと気付いたらしく、それから毎日のように絵を描いていて、
「じゃあ将来は漫画家か?イラストレーターでもいいな」
「………絵…描きたい…。」
そう呟くと、少しだけ笑ってくれた。
「………っ」
俺はずっと、その笑顔が好きだった。
ーーー
中学にあがっても俺達は一緒にいた。
「五十嵐、一緒に帰ろーぜ」
「あ、ごめん。今日も杏里と一緒に帰るから。」
中学に入れば小学校の時の友達もそのまま、新しい友達も何人か出来た。
「お前鈴鹿と付き合ってんのか…??」
「…まあいずれは?」
「えっ、そっちなんだ」
「ん、でも杏里だけだから。」
同性愛者なんて気持ち悪がられる事もあるかもしれないけど、理解してくれる友人だけを傍に置いた。
いつか杏里が俺の友達と話してみたいと思った時、本当に害の無い人間とだけ話して欲しい。
気付けば俺の基準は杏里になっていた。
「まあ鈴鹿ってめちゃくちゃ美人だもんな………あれで普通に喋ってくれれば………」
「…話してみる?少しだけ。」
「え、いいの?」
大事にしたい。………そう思っていた。
けど、この頃から少しだけこの気持ちに違和感があった。
大事にしたいはずなのに、…それなのに、
「鈴鹿!俺と話してみない?」
「………ぇ……、…あっ、……え、」
他人と話している時の杏里に興味が湧いた。
「なんか趣味とかあんの?ゲームとかする?テレビは?」
「ぇ…あ、えと、…そ、その、」
声をかけられて驚いて、恥ずかしくて怖くて、苦しそうにまた胸を抑える。
…それでも努力して、人と会話しようと苦しそうに声を出して、
………そんな杏里を見ていたら、不思議な感情が芽生えていた。
「そんなに一気に聞いたら俺でも混乱するから、…ごめんな杏里」
「…!飛雅………、」
少しずつ、俺以外の人と話す事に慣れて欲しいと思って、
「ごめんなー鈴鹿………」
「……!…ぁっ、……ぁの、………
……絵…描くのが、……すき、」
杏里も杏里で、努力していて
「え、そうなの?!見せて見せて!!」
「……!………っ…、」
小さな声で、白い肌は耳まで赤くなっていて、
心臓の音も聞こえそうなくらい大きくて、それでも、
「わっ、すげぇ上手いじゃん!」
「………っ…、
………ぁ…ありがと………、」
杏里は努力していた。
ーーー
「杏里、部活今日も行かない?」
「………うん……」
「そっか、…あ、じゃあアイスでも買って帰ろ!」
2年生に上がる頃には杏里は自分からやってみたいと言った美術部に行かなくなってしまった。
理由は何となく察していて、話せない杏里は部員達とコミュニケーションが取れず、先輩に虐められていたんだと思う。
(部活………杏里、初めて俺と別々になる機会だったし)
俺は運動が好きだけど杏里と同じ部活に入ろうと思っていて、でも大丈夫と言ったのは杏里だった。
だから運動部に入ったけど、杏里のいない場所は何だかつまらなくて、
そもそもやる気の無い部活だったので程よくサボって適当に顔を出す日々が続いた。
「………はい、これで良かった?」
「…!…ん……ありがと、」
杏里はレジに並ぶことすら出来ない。
俺がいないと何も出来ないのに、無理して離れようとしたからこうなった。
(離れちゃ駄目なんだよ………杏里は、俺から。)
……この感情の意味はまだ分からなかった。
ただ、それなのに俺は、興味が湧いた。
好奇心、とでも言うべきか、けどこの選択は今思えば一歩間違えば杏里が死んでしまうかもしれない重要な選択だった。
「杏里、高校はどこ行くの?」
「………えっと…、ここ、」
「…うわ、すっごい偏差値高いところじゃん………杏里頭良いもんな」
偏差値が高くて、けど勉強すれば俺も入れなくは無い学校。
「じゃあ俺もそこにしようかな、進学校だし」
「……!…ありがと………」
こんな形で進路を決めるのはあまり良い事ではないんだろうけど、……俺は、
「頑張ったな五十嵐、この調子なら合格出来るだろう」
「…ほんとですか?ありがとうございます……!」
……俺は、どうしても好奇心に勝てなかった。
杏里を、自分のものにしたかった。
…だから俺は、わざと、
「試験頑張ろうな、杏里」
「………うん…!」
………杏里を、陥れた。
ーーー
「……え………ッ、」
あの時の杏里の表情は、初めて見るものだった。
「ごめん杏里、落ちちゃった」
俺はわざとこの受験に落ちた。
杏里と一緒にいられる選択肢を消した。
「…ぁ………」
「……これからは離れ離れだけど、大丈夫…杏里ならやっていけるよ」
その選択肢は結果的に、杏里を追い詰めるものとなってしまった。
好奇心が抑えられなくて、杏里を傷付けて、1人にして、
連絡先すら消して頼れるものがなくなった杏里は、もうとっくに死んだものかと思っていた。
…………けど……それでも一部の望みにかけて、
「五十嵐、お前あの出版社から内定もらったの?!」
「うん、こういう仕事やってみたくて」
あの頃の杏里の夢を追っていたら、この会社に入社していた。
(ここが……杏里の漫画を担当してる………)
本屋で見つけた杏里の漫画は、この出版社が発行したものだった。
(本当に杏里かなんて分からない、…絵柄だってあの頃とは全く違うし、名前が同じだけで………でも、)
それでも、彼の存在を確かめたかった。
………そんな願いは、いくつかの奇跡が重なってようやく叶えられた。
『鈴鹿杏里』
「………鈴鹿先生、……こんにちは。」
扉を開けたその先にいた男は、間違いなく、
………俺の知っている鈴鹿杏里だった。
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