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『お金で買った一夜の癒しの続き』~m×r~
Sideラウール
──見覚えのない天井だった。
白くて、どこかホテルっぽい清潔感はあるけど、俺の部屋と違う。
なんで俺は……ここで寝てるんだろう。
ぼんやりした意識の中で、まず気づいたのは、腰の奥に残る重たい痛みだった。
なんだろう、昨日そんなに歩いたっけ……? いや違う、それより──
ギシ……と、背中の下で軽くベッドが鳴った。
薄いシーツの肌ざわりが妙にリアルで、目が冴える。
そこでようやく自分の格好に気がついた。
──裸じゃん。
「……っ!」
反射的にシーツをかき寄せて、下半身を隠す。
体にはうっすらと汗がにじんでて、首のあたり、なんか……キスマークみたいなの、ある。
いや、まさか。いやいやいや、でも──
ゆっくりと隣を見る。
そこには、スッとした鼻筋と整った唇を持つ、美形の男が静かに寝息を立ててた。
黒髪が少し乱れて、長いまつげが落ちる横顔。
昨日──いや、さっきまで──そこに何があったのか、なんとなくわかってしまうくらい、近すぎる距離。
確かに、見たことがある顔だった。テレビとかじゃない、もっと近くで。……そう昨日の夜──
「……も、ももももももしかして……やっちゃった……!?」
声が裏返って、自分でも情けないと思うほど。
寝てる男──いや、誰だ。
頭の中がぐるぐる回ってる。
慌てて周りを見渡す。
ベッドの端に、昨日着てたはずのスーツが丁寧にハンガーに掛けられてる。
椅子の上には畳まれたワイシャツとネクタイ。
足元にはビジネスシューズ。全部、揃ってる。
……すごく几帳面なことに、靴下まで丸めて置いてある。
部屋の中は、こじんまりしてるけど綺麗だ。
無駄な装飾はなくて、ホテルっていうより、誰かのワンルームマンションって感じ。
壁際の棚には、洋酒とグラス。テーブルの上には空になったシャンパンのボトルと、半分飲みかけのグラスがふたつ。
……乾いてない。つまり、ついさっきまで使ってたってことだよね。
ベッドの上には、俺と──寝ている美形の男の人、二人分の痕跡。
ぐちゃぐちゃに乱れたシーツ。折れた枕。
そしてなにより──この痛む腰が、何よりの証拠だ。
「……うそだよね……俺……この人と……」
なんで? なんでこんなことに?
確か、昨日は──会社でまたあの事があって、上司に怒鳴られて、泣きそうになりながら帰って、
「誰にも迷惑かけずに甘えたい」って思って、
Googleで『癒し 東京』って検索して……
……それで……確かホストクラブとキャバクラが出て、女の子は…なんか恥ずかしくて男ならと思って、指名……までは覚えてる。
でも──その先が、曖昧すぎる。
手元にあったスマホを確認すると、通知の中に「LUNE ご利用明細」が届いてた。
──指名:めめ/セット:VIP/シャンパン:ドンペリ×2
「……俺、なにしてるんだろう……」
呆れてものも言えない。
こんな金額、ボーナス使っても足りるかどうかだ。
しかも……それ以上に、俺は──
この人と……一夜を……?
いや、そんなはずない。
……でも、この状況で「やってない」とは思えない。
じんわりと込み上げてくる自己嫌悪と、どこかぽかんとした放心と、少しの…後悔と。
でも──なぜかほんの少し、温もりに包まれてた気がしたのも事実で。
隣からは、まだ寝息が聞こえてる。
穏やかで、深くて、心地よさそうな呼吸。
逃げた方がいいんだろうか。
けど、何も言わないで帰ってしまうのも、違う気がする。
……どうしよう。俺、本当にやってしまったんだろうか──
(……と、とにかく逃げよう!)
目立たないように、そっと、そ~~~っとシーツをめくって……
足を、音を立てないようにベッドの端へ。慎重に腰を浮かせて──
あと数センチで脱出できそうだった、そのとき。
ぐいっ。
「……ん……」
「えッ……ちょ……わッ、えええええええ!?」
隣の男の腕が、まるで反射神経のごとく伸びてきて、俺の腰をがっちりホールド!
え? なに? 今の反応速度、体育会系? 自衛隊? てかなんでだよ!
(ちょちょちょっ、ちょっと!? ちょおおお!? なんで!? なんでホールド!? この人寝てないの!?!?)
そんな想いもむなしく、俺の体は引き戻されるようにベッドの中心へ──
そしてなぜか羽交い締め状態で、ガッチガチにロックオン。
両腕で抱きしめられて、逃げようにも身動きとれない。
しかも寝ぼけたままなのに力強い。なんだこれ、ホールド力だけなら五つ星レビューいける。
(のわーーーー!!!!!!ちょ、ちょちょちょっ!ちょっと本当に、放して、放してぇぇぇ!)
もがくも、体勢はどんどん悪くなるばかり。
それでもなんとか顔を上げようとしたその時──
視界に、近づく気配。
ふいにぐっと距離が縮まって──
目の前に現れたのは、あまりにも整った顔立ちだった。
(……え?)
さっきまで「男と寝た!?」とパニクってた思考が、
その顔面の完成度の高さに一瞬で停止した。
長いまつげ、通った鼻筋、うっすらピンクの唇。
すぐそこにあるその顔は、なんていうか、彫刻? 2.5次元? 夢? なんかの広告?
なのに、目を閉じてて寝息まで立ててるって、もう意味がわからない。
(ちょ、ちょっと待って……誰……このイケメン……)
(え、てか……この人と、俺……? うそだよね、無理無理無理。レベル違いすぎる)
(ていうか!こんな顔面偏差値高い人、人生で近距離5センチ圏に来たことない!)
動揺と驚愕と羞恥で脳内処理が追いつかない。
なのに、男の腕はがっちり自分を包んだまま。
しかも寝息が……近い。ほっぺたにかすかに当たる。なにこの距離感、無理。
「……こ、こわい……この状況が……」
今すぐ脱出したいのに、全身の関節が固まったみたいに動かない。
心臓はバクバク、変な汗がじんわり滲んできた。
こんなの、ただの密着じゃない。
人生最大の接触事故だ。
──お願い、神様。
朝の光でこの人が覚醒する前に、
俺、なんとかこの体勢から脱出させてください……!!
(だめだ。本当に、こんなの初めてだ……)
(夢だったらいいのに。夢であってくれ……!)
逃げようにも、ガッチリ羽交い締め状態で身動き取れない。
どうしたらいいんだろうとジタバタしてたそのとき──
「……ん。おはよ、ラウール」
「……ッ!!」
ガバッと顔をあげて、目の前の男を見る。
さっきまで寝息たててたくせに、すごく自然に目を開けて、
しかも、こっちの名前呼んできた。え?え?なんで知ってるの?
「え……えぇっ!? なんで……名前、知ってるの!? え、俺、名乗ったっけ!?」
「ふふ。昨日、ちゃんと教えてくれたよ?」
「ラウールです、癒しがほしくて来ました……”って」
「うっわあああぁぁああ!!やめてぇぇぇ!言わないでぇぇ!!」
布団かぶって叫びたくなる。
なんだそのひどい自己紹介。
俺、何しに来たんだ本当に……!!?
気づけば──この美形男、
いつのまにかベッドから出て、部屋の端に置かれた電気ケトルでコーヒー入れてた。
ラフに前ボタンのシャツ羽織って、しかも半分以上あいてる。
なにその余裕。セクシーの暴力。目を合わせたら火傷しそう。
「……えっと、すみません。あの、俺……昨日のこと、あんまり……っていうか、全然覚えてなくて……」
「ああ、そっか。結構飲んでたもんね」
「でも安心して。ちゃんとシャワーも浴びさせたし、無理やりとか、そういうのはしてないよ」
「しゃ、シャワー!? えっ、まって、えっ、てことは……」
頭がぐるぐる回る。
シャワーって何。誰が。どのタイミングで。
そしてその後何が。いやまさか。いやでも。
目の前の男はそんな俺の混乱をよそに、コーヒーをくるくる混ぜながら、ゆっくりした口調で言う。
「……ラウールがさ、昨日”寂しい”って泣きながら言ってた」
「で、急に抱きついてきて──キスしてきたの、ラウールの方からだったよ」
「ぶはッ……!」
思わずむせた。
俺の中の羞恥心が、火山みたいに噴火した。
いやいやいや、キス……俺が!? え?この顔面相手に? 自爆にもほどがあるだろ!
「うそ、うそだ……っ、俺が!? そんな……っ、キス!? いや絶対、なんかの間違いだって!」
「うん。俺も最初、冗談かと思った、でも──」
彼はにや、と唇の端を持ち上げて、こちらをちらりと見た。
その目が、またずるい。
涼しげで、少し笑ってて、それでいて全部見透かしてるみたいな。
「……そのあと、”もうちょっとだけ、そばにいて”って甘えられたらさ、無下にはできないでしょ?」
「うわーーーーもうやめてぇぇぇ!!そんな自分、記憶にないのに!!!俺の中の俺、なにしてくれてるんだ本当に!!」
布団をばさばさかぶって、頭まで隠れる。
彼はそれ見てクスッと笑って、「かわいいな」とか小声で言いやがる。聞こえてるって!
「……あの、名前……さっきから俺の名前、呼んでくれてるけど……あなたは?」
勇気を振り絞って、顔だけ出して聞いてみる。
するとめめは、コーヒーをひと口飲んで、カップを置いたあと、ゆっくり言った。
「俺? 〇〇蓮」
「この部屋は、俺の部屋だよ」
──〇〇蓮。
聞いたことあるような、ないような。
いやでも、どこかで──
「蓮……って……え? え、まって……」
思い出してしまった。
昨夜、Googleで調べて出てきたホストクラブのページ。
「癒し系No.1」「伝説級の指名率」「人気ホスト:めめ」──って。
「……え、うそ。あなた……あの、めめ……!? ホストの!?」
「うん、そう。ラウールが自分で指名してくれたんだけど?」
「ちょっ、本当に!? 俺、本当に!? そんなレベルの人、指名したの!? やばい、え、信じられない!! てか俺、人生で一番場違いなことしてしまってる……!」
頭抱えてうずくまる俺を見て、めめはまたふっと笑った。
ああもう、その笑い方ずるいって。なんなの。
「落ち着いて。ね?」
「昨日も言ったけど──今日はもう、誰にも遠慮しなくていい日だったんでしょ?」
その言葉に、胸がずきんとした。
俺が昨日、自分から言ったのかもしれない。
癒しがほしいって。誰にも迷惑かけたくないって。
それを、この人は覚えてくれてて、今もそうしてくれてる。
……なんで、こんなことになってしまったんだろう。
自分でも、まだ信じられてない。
昨日のこと、いや、きっと昨日だけじゃない。
もっとずっと前から、俺は限界だったんだと思う。
──昨日の昼。
また、部下のAがやらかした。
メールの送信ミスで、重要な取引先への資料が一日遅れになって、先方からクレームの電話。
それを俺が謝り倒して、予定してた社内会議は全部キャンセル。
……まあ、そんなこと、これが初めてじゃない。
Aは入社半年目の新人だ。ミスがあるのは当然だって、最初は俺も思ってた。
でも──
「俺、別に悪くないですよ。上司がちゃんと確認すべきなんでしょ?」
「上司の責任ですよね、ミスって」
そう言われた瞬間、心がバキッって音を立てた気がした。
もちろん、表向きは「うん、わかった。俺が対応しとく」って笑って返した。
けど、あれは俺が悪いのか? 本当に?
確認してなかった俺が悪いの? Aは、確認してから送るって約束してたじゃないか。
でも、その言葉を信じた俺が甘かったのか?
──その日の夕方。
上司に相談して、「あの子、ちょっと注意してもらえませんか」ってお願いした。
そしたら返ってきたのは、「まあ、若い子だし、伸びるでしょ」「ラウールくんがフォローしてあげて」
もう、何回も同じこと言われてる。
俺は指導係でもあるけど、便利屋じゃない。
それでも、フォローしないとチームが回らない。
いつの間にか、Aはまともに出勤もしなくなった。
在宅って言いながら連絡も取れない日が続いて、仕事も全然しない。
でも評価会議では「精神的に不安定みたいだから、そっとしといてやって」って言われる。
そっとしとく、って何だよ。
そっとしといた結果、俺に全部、仕事回ってきてるんだぞ?
毎朝7時に出社して、部下2人分の仕事を前倒しで処理して、
営業先にも一人で行って、社内会議も一人で資料作って──
それでも、残業時間だけは”見えないように”記録しろって言われる。
「管理職だからな」って。
管理職って、なんだよ。
責任だけ押しつけて、何も守ってくれないのが管理職なのか?
気づいたら、夜遅くなってて、食欲もないままカップ麺すすって。
誰かに相談しようにも、誰にも迷惑かけたくなかった。
誰かを責めたくないし、愚痴っても、結局また俺がやらなくちゃいけないのは変わらないし。
(……俺、なんのために、頑張ってるんだろう)
ほんの少しでもいいから、誰かに「しんどかったね」って言ってもらえたら。
それだけで、また明日頑張れる気がしてた。
(……俺、本当に、限界だったんだな)
そう思った瞬間、喉の奥がつんと痛くなった。
さっきまで笑ってごまかしてたのに、今さら涙が出そうになって。
隣には、まだ柔らかい笑みを浮かべてる男がいる。
この人に、俺……
なにを話して、なにを見せて、なにを求めたんだろう。
全部思い出せないけど、
でも今、こうして隣にいてくれるってこと──
無意識のうちに、俺は目を伏せてた。
まっすぐこの人の目を見るのが怖くて、
ベッドの白いシーツを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……俺、昨日……泣いてたの?」
「うん」
迷いのない返事だった。
優しさで包んだみたいな声で、けど嘘のない確信が込められてて、
そのたった一言が、心にズドンと落ちてきた。
やっぱり。俺、泣いてたんだ。
情けない姿、見せてたんだ。
恥ずかしいはずなのに、不思議とそれより先にこみ上げてきたのは──胸の奥の痛みだった。
昨日のことだけじゃない。
ここ最近、ずっと押し殺してたことが、
ぐちゃぐちゃに積もって、絡まって、喉の奥で詰まってる。
「……つらかったんだな、って思ったよ」
「ラウール、ひとりでずっと頑張ってたんだね」
やめて。そんな優しい言葉、言わないで。
自分がどれだけ無理してたかなんて、
誰にも分かってもらえないと思ってた。
分かってもらおうとも思ってなかった。
言えば弱音になる気がして、
頼れば、誰かに迷惑がかかる気がして。
でも今──
初めてだった。
誰かに「頑張ってた」って言われて、
涙が、止まらなくなったのは。
「……っ、う、うう……」
静かに、けど確かに、ぽたぽたと落ちる涙。
一粒、また一粒と頬を伝って、あっという間に枕を濡らしていく。
泣くまいと思ってたのに、止め方がわからない。
嗚咽にならないように、口元を手で覆っても、
喉の奥からこみ上げる震えは隠せなかった。
「……もう、がんばらなくていいのに……俺、なにしてるんだろう……」
声に出した瞬間、涙が一気にあふれた。
言葉にすることで、やっと自分のしんどさを認められた気がして。
それが悔しくて、哀しくて、でも少しだけ──ほっとした。
そんな俺に、あったかい手がそっと伸びてきた。
めめの手。
大きくて、男らしくて、でも優しくて。
「泣いていいよ」
そう言って、俺の肩を抱き寄せてくれた。
布団の中で、そっと胸に引き寄せられる。
心臓の音が、鼓動のように静かに響いてくる。
「……泣けるうちに、ちゃんと泣こう」
「無理に我慢したら、もっと壊れちゃうよ」
もう、何も言えなかった。
ただ、あったかくて、包まれてて、
俺という存在をまるごと受け止めてくれてる感じがして、
自然とその胸元に顔をうずめた。
苦しかったこと、哀しかったこと、
声にならないほど抱え込んでたこと。
全部、涙になって、めめのシャツを濡らしていく。
「……ごめん、本当に、ごめん……」
「俺、こんなとこで……」
「いいよ、ラウールは謝らなくていい……頑張ってきたの、ちゃんと伝わってるから」
ぎゅっと、少しだけ力強く抱きしめてくれた。
その腕の中で、また涙がこぼれた。
この人が、昨日の俺に何を言われたか、
何を見せられたか、全部覚えてるかどうかは知らない。
でも今、こうして俺の涙を受け止めてくれてることが、
何よりもうれしくて、切なくて、苦しくて。
(だめだ、こんな優しさ……知ってしまったら、もう戻れないだろ……)
心がぽたぽたとほどけていくみたいだった。
まだ夜明けの空は淡くて、外は静かで、
この部屋の中だけが、世界から切り離されたみたいにあたたかくて。
「う…あぁ…あああぁ、ふぅ…」
俺は、ただ黙って──泣き続けた。
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作者名「木結」(雪だるまアイコン)でご検索ください。