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茜色の保健室

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茜色の保健室

1 - 第1話

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2025年03月06日

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保健室の先生が虫垂炎で入院されている間、非常勤講師として僕はこの高校にやって来た。保健室の先生が男でも大丈夫でしょうか?と心配する僕に「もう、そんな時代じゃないから」と校長は笑った。

保健室の先生になり暫く経ち、この学校にも慣れてきたある日の事。授業が終わった放課後、校舎内を歩いていると毎日思う。保健室でいつも聞く青春の音色(おと)より、様々な音が響いている事に。靴を履き外に出ると、ボールが地面に擦れる音や地面を踏みつける音、カキーンとボールが当たって騒ぐ生徒の声が聞こえてくる。そして、太陽の光が反射して綺麗な緑色に染まっている葉っぱ達が風で踊り、サヤサヤと音を鳴らす。

渡り廊下からは管楽器の音がする。階段を登れば、花の匂いやお茶の香り。家庭科室からはミシンの音が。美術室からは画材の独特な香りもする。色んな青春を見回っていた。そろそろ保健室に戻らなくては、急ぎ気味で階段を降りていると、ピアノの音とギターの音、それと歌声が微かに聞こえてきて、僕の足が止まった。そうか、もうすぐ文化祭がやってくる時期なのか。後夜祭で披露でもするのだろうか。しばらく聞き入ったあと、さっき聞いた歌声を元に鼻歌を歌う。なんの曲なのかは分からないが、耳に残る曲だ。タイトルは、、文化祭で分かるかな笑



旗を掲げるためだけの銀のポールに、初夏の太陽の光が反射する。白く塗り直されたサッカーゴールが茜色に染まる頃、彼女が来た。

「また来たのかい?」

僕は見るからに暇をもて余している女子学生に言った。

「先生、私に会いたがってるかな、って」

梅雨があがったばかりのこの時期に、白いセーラー服から伸びた二の腕はまだ寒々しい。「まさか」と僕ははぐらかしたものの、二人分の紅茶をいれる為に沸かしていたポットの音がタイミング良く鳴った。

「ポットは私のこと、待ってたみたいだけど?」

ニッ、と笑った彼女の白い歯が、やけに生々しい。

開け放たれた窓から保健室を流れていく風が、彼女の肩まである髪をさらっていく。

一瞬、桃のような甘い香りが僕の鼻をくすぐった。

窓からグラウンドを見つめる彼女の横顔を隠れ見る。

僕は彼女の横顔が好きだった。

上向きの長い睫毛が下を向いたかと思うと、人工的なものを何も塗っていないまっさらな唇が、フッと微笑んだ。

「先生のえっち」

彼女は僕のほうを見ずにそう言って、両手を窓枠にかけて外に出ようと片足をあげた。

彼女の身体が、大きく前のめりになる。

「あぶない!!」

紅茶のカップを放り出し、僕は彼女の身体を支えた。

「危ないじゃないか!!」

僕の声に、彼女の身体がビクッとした。

「あ、ごめん。大きな声出して」

僕は彼女から離れた。

「先生が謝らなくても。私が悪いの」

彼女は両足を揃えて床に下りた。内履きズックの、トンッと床に当たる音が静かな保健室に響いた。

「紅茶は?冷めちゃったかな?」

彼女はポットのところまで歩いて言った。

「ああ。入れ直さないと」

「いいよ、勿体ない。レンジでチンする。先生のも、する?」

僕を見上げる瞳に、釘付けになる。

「なに?」

「いや、何も」

彼女は何かを察したように微笑む。

「先生って単純」

「失敬な。大人に向かって」

ついキツイ口調になってしまった。けれど、彼女は一切怯まない。

「大人が大人が、って。中身は私たちとたいして変わらないくせに」

とまともに言い返してくる。そこでやめておけば良かったのに「そうやって、食ってかかるのが子供なんだよ」と言ってしまった。

言ってしまってから、しまった、言い過ぎたかと彼女を見たが、彼女はどこ吹く風と言わんばかりの笑顔で言った。

「まだ子供だから、私。お砂糖いれたい。お砂糖ある?」

と砂糖を探し出した。彼女はさっきの事は気にしていないようだった。

砂糖はないけど・・・と、言いながら戸棚から瓶を一つ出してデスクに乗せた。

「これ入れたら甘くなるでしょ」

「あ、蜂蜜?」

彼女の目がキラキラしている。

「ねぇ早く開けて?」

「あ、ああ、うん」

彼女に言われるがまま、蜂蜜の瓶を軽々と開け、銀のスプーンを甘露の海に沈めた。

彼女がマグカップをスっと差し出してきた。

僕は蜂蜜をすくってカップに入れようとすると、「もっと。もっといっぱい」と、言わんばかりに僕を睨みつけた。

その彼女の目が、誰かに似てるなぁ、と頭をかすめたが、ただぼんやりと目の前でハニー紅茶を美味しそうに飲む彼女を見ていたら、いつの間にかそんな事は忘れてしまっていた。

「さーてとっ」

彼女は、いつもそうするように、マグカップを水道で丁寧に洗い、布巾の上に伏せて置いた。

そして

「じゃ、先生またね」

と、いつもそうするように手でバイバイをして去って行った。

誰も居ない保健室の真っ白な壁一面が真っ赤な夕陽色に染まり、昼間とのコントラストがクッキリと浮かび上がる。

僕はまた、ここで彼女を待ってしまうのだろうな。

冷めた紅茶を一気に飲むと苦いアールグレイが口いっぱいに広がった。


    ・・・


僕は”彼女”を待っていた。

今日は久しぶりのデートなのだ。

デート、というより式場の下見だ。

僕はもうすぐ結婚するのだ。

「ごめんなさいね。雅晴さん、疲れてるでしょう?」

珠稀はとても優しい人で、僕には勿体ないくらいの女性だ。

カラン、カランと透明な氷がグラスの中でぶつかり合う。

キレイにピンク色に塗られた唇を小さくすぼめて、ストローをくわえた珠稀をじっと見ていたら、真っ赤な顔をして彼女が呟いた。

「見過ぎ。雅晴さんのえっち」

「あ・・・・」

「え?」

「あ、いや何でもない」

と、少しだけ動揺した。

珠稀の言葉に、違う人を思い出したからだ。保健室にやって来る生徒のことを。急に後ろめたい気持ちになった。

休みの日の街は人が多くて、僕は少し気後れした。

「式場、あと3つ。行けそう?」

「ああ。がんばるよ」

僕は力なくそう言って立ち上がった。

本来、僕たちの結婚式は一年前にする予定だった。

けれど、彼女の家族に不幸があり、喪が明けるまで挙式は延期になった。

ちょうどその時、僕たち2人は遠距離恋愛をしていて、ただ毎日一緒に居たいという若さゆえの情熱だけで結婚しようとしていた気がする。

だから、不謹慎ではあるが、今思えば喪が明けるまでの一年間は僕たち2人にとっては必要で大切な時間だった。

この一年間で僕たちの愛は確実に深まった。

時間をかけて、ゆっくりと2人の将来の話をした。

仕事の話。親の話。新居の話。挙式の話。

いつか生まれてくるであろう2人の子供の話。

珠稀はその、どの話をする時も幸せそうだった。

そして、今も。

「式場まわり終えたら、雅晴さんのお部屋に行ってもいい?」

そう言って振り向いた彼女の微笑みに、僕はまた惚れ直した。

「先生は、いつまでここに居るの?」

夕焼け色のグラウンドをバックに彼女が聞いてきた。

さすがにまだ半袖が寒いのか、今日は制服の上からグレーのカーディガンを羽織っていた。

僕は何の気なしに、そのカーディガンに見覚えがあったが、女物のカーディガンなどどれも同じだろうと気にもとめなかった。「今週いっぱいかな。保健の先生が無事に退院して戻ってくるから」

僕がそう言うと、彼女の口から意外な言葉が出た。

「結婚するんでしょ?先生」

僕はびっくりして彼女を見た。

「どうして知ってるの!?」

「さて。どうしてでしょう?」

と、彼女は悪戯っ子みたいに笑って

「超能力があったりして」

と言った。

「おどかすなよ。本当にどうして知ってるの?」

彼女の丸い大きな瞳はゆらゆらと紅い夕焼け色に染まっていく。

そして意味ありげに微笑むと「そのうち分かるわ」とだけ言って僕に手を振った。

「じゃあ先生、またね」

僕の最後の日になった。


昼休み。

カラン、カランと旗上げのポールに紐が当たる音が響いている。

4時限の体育のサッカーで怪我をした数人の男子の傷の手当てをして、僕のここでのお勤めは終わりを迎えそうだった。

保健室の窓から見える空には雲ひとつない。

僕はインスタント珈琲をブルーのマグカップに入れる。

一年前に珠稀がプレゼントしてくれたマグカップだ。

ポットのお湯を注ぐと、保健室に香ばしい珈琲の香りが漂う。

「先生」

驚いて振り向くと、彼女が居た。

「ああ、びっくりした。昼休みに来るの珍しいね」

「先生は今日で最後でしょ?だから早めに会いに来たの。確実に会いたかったから」

「大袈裟だな」

と僕は笑って熱い珈琲を飲む。

彼女はいつもの定位置に座る。

窓際に腰をかけて、プリーツスカートからのびた長い両脚をブランブラン、とした。

そして、購買から買ってきたであろう焼きそばパンを噛る。

僕は下を向いて笑った。

「なに?」

「いや。せっかくの珈琲の匂いが全部持って行かれたな、って」

「焼きそばパンに?」

「そう」

彼女も笑った。

「消毒液臭いよりはいいでしょ?」

「確かに」

グラウンドから柔らかな風が吹いてきた。

窓際の彼女の髪が指にまとわりついて、焼きそばパンが食べにくそうだった。

ケホッケホッッ。

彼女は焼きそばパンを喉に詰まらせたらしく、酷く咳き込んだ。

「飲み物は?買わなかったの?」

彼女は涙目で頷くと、胸を自分の手でトントンしながら、言った。

「だって、先生の紅茶飲みたくて」

「まったく。仕方ないなぁ」

と、僕は彼女に最後の紅茶を入れた。

思えば、女性に紅茶を入れたのは珠稀と彼女の2人だけだ。

2人は不思議なほど、雰囲気もよく似ていた。

「似合ってるね」

と、彼女は優しく微笑んで視線を僕の指先へ移した。

「ああ、これ」

僕はマグカップを持った自分の指を見た。

「昨日、買ったんだ」

結婚指輪だった。

挙式までの間、離れているのが不安だからと珠稀からの提案でお互いの薬指にはめた。

僕の指は節が太くて根元が細いから、銀色の輪っかは不恰好にもくるくる回る。

「一緒に住んだら太るかな」と僕が呟くと「奧さん、お料理上手なの?」と彼女が興味ありげに聞いた。

「ああ。うまいよ。何作っても」と自慢したら「はいはい。ご馳走様ですぅ」と彼女は笑って続けて語った。

「ありがとうと、ごめんなさいと、美味しかったって言葉、ちゃんと言わなくちゃダメだよ先生」

と、彼女は年上の女性みたいに諭した。

「なんだよ、急に」

「男はね。一緒に居るだけで安心して、大事な気持ちを言葉にするのを忘れちゃうから。女はね、いつもいつでも優しい言葉を待ってるんだからね?」

なんだかドキッとした。

僕は最近、珠稀に気持ちを言葉にできているだろうか?

「人と人はね。限られた時間があるから幸せなの。永遠じゃないの。だから、幸せな一瞬一瞬をちゃんと言葉にして伝えてあげて。きっと、ただそれだけで奧さんは幸せだと思うからさ」

「そういうものかな?」

「そういうものだよ」

彼女はそう言って、両脚を揃えて窓からトンッと床に降りた。


キーンコーンカーンコーン。


「やば。5時限遅れちゃう!」

彼女は慌てて僕の前を通り過ぎてから

「ごめんね、先生。これ洗っといて」

と、紅茶が少し残ったカップを僕に渡した。

「あ、うん」

とカップを受け取る。

「先生」

見ると、彼女の満面の笑みがそこにあった。

「末永く、お・し・あ・わ・せ・に!」

その、あまりの可愛さに面食らっていると、彼女がキャハハっと笑いながら走って行った。

弾むような足取りで。

誰も居ない長い廊下を彼女の靴音だけが心地よく響いていた。

彼女と会ったのは、その日が最後だった。


    ・・・


「雅晴さん!珠稀さん!おめでとう!」

「ご結婚おめでとうございます!」

「おめでとうっ!!」

森の中の湖のほとりにあるロイヤルウェディングガーデン。

木々に囲まれた白いチャペルが珠稀のお気に入りだ。

真っ白なウェディングドレスに身を包み、履き慣れない高いヒールを気にしながら、珠稀は僕の腕に手をまわして、ゆっくりと階段を降りてくる。

気心の知れた人たちの笑い声。色とりどりのフラワーシャワー。森からは小鳥のさえずり。湖畔には光のガーデン。大好きな人の笑顔。

僕は幸せだった。

ビュッフェスタイルの飲み物やオードブル。ピアノもあるから音楽も楽しめる。友人たちも楽しそうに笑っている。

人々の合間をぬって、お互いの両親が居る席に挨拶に行った。

珠稀の母親と僕の母親がハンカチで目を押さえて笑い合っていて、それを見た珠稀も涙ぐんで僕に微笑む。

「いやぁ、良い式だったよ、雅晴くん」

珠稀の父親も感極まっている。

「本日は、ありがとうございます」

と、頭を下げた僕の視線にふと、入ってきたのは・・・あれは・・・・。

僕は固まった。

なぜ、、ここに彼女が!?

「雅晴さん・・・・!?」

珠稀が、うつむいた僕の腕に優しく触れた。

僕の両目から溢れ出した涙が、とめどなく流れては落ちる。

僕は、両親の席に立て掛けられた写真立ての中で微笑む、屈託のない笑顔から目が離せないでいた。

「この子は・・・・?」

やっと出た僕の言葉に珠稀が言った。

「雅晴さんは初めてだったわね・・・妹の水樹よ。水樹、こちらがあなたのお兄さんになった人よ。雅晴さん」

珠稀の腕の中に微笑む写真は遺影だった。

それは一年前に亡くなった珠稀の妹で、そして、僕が居た保健室で毎日のように会っていた生徒であった。

涙を拭き、僕はその見慣れた笑顔に挨拶をした。

「初めまして、水樹さん・・・でも、初めてって感じはしないな・・・」

彼女は、自分の大切な姉の結婚相手がいったいどんな奴なのか、一目見ておきたくて僕に会いに来てくれていたのだろうか?

熱くなる目頭を堪えながら、僕は訳の分からない温かい想いで胸がいっぱいになった。

湖畔が夕焼けで真っ赤に染まる。

彼女が振り向いて「先生、びっくりしたでしょ?」と、微笑んでいる気がした。


                                       了



お読み頂き、ありがとうございました。

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