「今でもご両親はアメリカにいるのか?」
 「いいえ、父はもう退職して今は宮崎の実家に帰ってるんです。祖父母ももうかなり歳なので、誰か手伝ってあげる人が必要で……」
 「宮崎?」
 「父も母も宮崎の出身なんです。祖父は今でも宮崎でサーフショップとスクールを親戚と一緒に経営してるんですよ」
 私はアルバムをめくって、祖父が趣味で立ち上げたサーフショップの前で、サーフボードを片手に嬉しそうにしている写真を見せた。宮崎には有名なサーフスポットがいっぱいあって、祖父が経営する店はその一つの近くにある。
 「かっこいいな、おじいさん」
 社長は古びた写真を笑顔で見つめている。
 「昔はもっとカッコよかったんですよ。実家に行けば祖父が波乗りしている写真がいくつかあるんですけど……。私も祖父に何回か教えてもらったんですけど、運動神経があまりよくなくて……。でも父と兄は上手なんですよ」
 「今度いつ宮崎に帰るんだ?」
 「うーん、そうですね……多分年末の休みだと思います」
 「一緒に行くか?蒼の家族に会ってみたい」
 「え……」
 もしかするとただの興味本位かもしれないが、いきなり家族に会いたいという彼に少し驚く。
 
 
 「……なんかいい匂いするな」
 アルバムを見ていた社長は突然顔を上げた。そう言われて先ほど電子レンジが温め終了のお知らせをしていたのを思い出した。
 「えっと、大したものじゃないんですけど、以前メキシコ料理が好きとおっしゃってたので、チリビーンズです。私、いつもカレーみたいにしてごはんと一緒に食べるんですけど、それでも良いですか?」
 私はキッチンに戻ると、電子レンジで温めたチリビーンズとごはんを一緒にお皿に盛って社長に出した。
 「うわ、うまそう。チリビーンズなんて食べるの久しぶりだな。これ自分で作ったのか?」
 「はい。スパイスさえあれば結構簡単なんですよ」
 彼はスプーンいっぱいにチリビーンズをすくうと、それを口に入れた。
 「すごいうまい!」
 彼は感嘆の目で私を見ると黙々と食べ始めた。
 そんなに手の凝った料理ではないのに、彼が喜んで食べてくれるのが嬉しい。ついでに他にも冷凍してある作り置きのおかずをいくつか温めると、私は彼と一緒に食卓についた。
 
 「あの、社長のご家族は皆さん今どうされてるんですか?」
 先ほど私の家族について話していたので、なんとなく社長の家族の事も気になった。こうしているとつい忘れがちになるが、彼は国内でも有数の大きなグループ会社の御曹司だ。彼と付き合うとは言ったものの、私はごく普通の会社員の娘。彼が以前付き合っていた結城さんのような資産家の娘ではない。もし彼のご家族が私と彼の事を知ったら何と思うのだろう……。
 「おそらく俺のことを色々調べたり合コンで誰かから聞いたとは思うけど……」
 彼はそう言って悪戯っぽく笑った。
 「元は祖父のソフトウェア会社を親父が継いで、もちろん叔父の助けもあったけど一代であそこまで大きくしたんだ。本当に仕事人間な人で、昔からあまり家に寄り付かない人だったよ。子供の頃親父がたまに家に帰って来ると俺は人見知りしてよく泣いていたらしい。基本的に子育ては母に投げっぱなしで家庭的なことは一切しなかった。仕事第一の人だったから、学校の行事なんかに来たことはなかったし、子供の誕生日だからってわざわざ家に帰ってくるような人じゃなかった。だから親父とは今でも少し距離があると言うか他人みたいなところがある」
 私は明かされる意外な彼の家族の話に驚きながら、耳を傾けた。彼が子供の頃寂しい思いをしたのではないかと思うと心が痛む。
 「母はそんな親父にとっくの昔に愛想をつかせて俺が中三の時家を出た。今は一人で快適にマンションで暮らしてる。母には時々会うけど楽しそうにしてるよ。まあ家でいつ帰ってくるか分からない親父を待ち続けるよりは一人で暮らした方が精神的に楽なんだろうな。兄は今 KS IT Solutionsで働いてて修行中なんだ。でも近いうちに社長に就任して会社を継ぐ予定になってる」
 私は合コンで水樹さんが話していた事を思い出した。
 「あの、社長はどうして事業を起こそうと思ったんですか?その、お父様のグループ会社で働こうとか思わなかったんですか?」
 「そうだな……。実は何年か働いたんだが、ああいう大組織の会社で働くのがあまり自分に合わなかったんだ。雁字搦めになっている感じがして自由がきかないというか。結局自分の実力が試せない気がしたんだ。だから自分で好きなようにできる会社をやってみたかったんだ」
 社長の言っている事が何となくわかる気がする。
 私は高校に入るとすぐにアメリカに渡った為、ある意味先輩後輩というような日本独特の縦社会的な関係をあまり経験しないで社会人になった。なので高嶺コーポレーションに入社した時、典型的な縦社会で構成されていて、集団意識の強い社風にとても違和感を感じたのを覚えている。社長もアメリカの大学に行って向こうで何年か暮らして、横社会的な実力主義で平等な環境が合っていたのではないだろうか。
 「社長はもしかすると、アメリカの方が合ってるのかもしれないですね」
 「えっ……?」
 彼はびっくりしたように私を見た。
 「社長は行動力もあるし、努力家で実力もある……。きっとアメリカで成功するタイプだと思います」
 彼がアメリカで自由に伸び伸びと自分の実力を試し、皆にその努力や能力を認められる姿が思い浮かぶ。確かに実力主義で厳しい所もあるが、彼なら必ず出来ると思う。
 「そうか……」
 社長は私の言葉になぜか嬉しそうにすると、じっと考え深げに私を見つめた。
 「あの、まだお代わりありますけど、いりますか?」
 量が足りなかったのかなと思って聞くと、社長は首を横に振った。
 「いや、ただ蒼と結婚するとこんな感じなのかなと思って」
 「えっ……?」
 社長がいきなりそんな事を言うので思わず頬が熱くなる。同棲とか家族に会いたいとか結婚とか、彼がどんどん先を考えている事に少し驚く。
 「いいな、こういう感じ。毎晩家に帰るとこうやって色々な話をしながら蒼の手料理食べるの」
 私は社長が先ほどしていた家族の話を思い出した。幸い私の両親はとても仲が良く、豪華ではないが毎晩母の手料理で家族団欒の楽しい食卓だった。もしかすると彼の家ではそうではなかったのではと思うととても切なくなる。
 「そうだ!メキシコ料理以外にもニューヨークに住んでいた時、アパートの下の階に住んでいたイタリア人老夫婦が教えてくれたポークと野菜のスープのレシピがあるんです。すごく美味しいんですよ。今度作るので一緒に食べましょうね」
 そう言うと、社長は少し目を伏せた後ふわりと微笑んで私を見た。
 「それは楽しみだな。それじゃ荷物をまとめておいで。ここは俺が片付けておくから」
 
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