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「いつの間にこんなものを作ってたの?」とグリュエーは仕事の最中のならず者のように声を押し殺して尋ねる。「元からあった訳じゃないよね?」
「んー? うん。ラーガと封印に関して取り決めた頃だよ」と少し先を行くベルニージュが何でもないことのように答える。「船とやらがいつ来るか教えてくれなかったし、長引くほど救済機構と衝突する可能性が高まるからね。備えておいたんだ」
グリュエーとベルニージュは暗くて湿った通路を進んでいた。ここは要塞周辺に掘られた地下道だ。石造りの穹窿の天井は見た目には頑丈そうだが、地上の騒動は震動として伝わっており、いつ崩落するかとグリュエーは気が気でない。外よりはほんのり温かいが、染み出して滴る冷たい水に打たれてグリュエーは鼠の鳴き声のような小さな悲鳴を漏らす。明かりはベルニージュの少し先を上下に羽ばたいており、地下道に奇妙な影をもたらしていた。それは古い神殿に時折幻視されるという神々の遣わす影のように壁や天井から見られている気分にさせた。様々な事態を想定して掘る者に掘らせたという地下道は何本もの枝道があり、グリュエー一人では一度入れば二度と出て来られなかっただろう。
「何で秘密にしてたのさ」とグリュエーは仲間の不信に不平をぶつける。
「秘密の抜け道だからだよ。間諜がいるかもしれないし、使い魔が一人奪われたら全部ばれてしまうし。まあ大王国側には隠せないから機構に漏れてる可能性はあるけどね。それ以前に占う者や観る者はたぶん向こうにいるし」
「出口はどうなってるの?」
「一応偽装してるよ。岩だとか茂みだとかでね」
地下道に地響きがこだまする。戦士や僧兵の足踏みが地下深くまで伝わっているのだ。
「どこまで行くの?」
「一番奥かな。戦場の真っ只中に出てしまったら大変だからね。ワタシたちもだけど、大王国もね」
そうなれば逆に機構に地下道を利用され、城の内部への侵入を許してしまう。
ベルニージュはくすくすと笑う。笑い事ではないはずだが、それが冗談になるくらいベルニージュは自信があるのだろう、とグリュエーは解釈することにした。
灯火の蝶に導かれてたどり着いたのは縦穴だった。壁が螺旋階段状に形作られている。掘る者とそれに建築に関する使い魔の誰かは随分暇を持て余していたらしい。天井部は何かに塞がれていて、僅かに漏れた光が欠けた円を描いている。その階段を昇って地上を目指すと、グリュエーは何か神聖な儀式に立ち合っているような気分になってきた。地響きは鳴り止まないが粛々と階段を登り、ベルニージュが蓋に手をかけて慎重にずらす。次の瞬間槍が降り募ることもありうるが、そうはならなかった。戦場はグリュエーが予想していたよりも遠く、地下から這い出てきた二人は救済機構陣営の背後に位置していた。
「ノンネットがいるとしたら後方だろうと思ったんだけど」ベルニージュは雄叫びをあげている僧兵たちを眺めながら言った。
「指揮させられてるんじゃないかと思ったんだけど。だとしたら前方だよね」とグリュエーは自信なさげに指摘する。
「全体の指揮は僧兵たちがどの組織に属しているかによるけど、どうも寄せ集めっぽいからモディーハンナじゃないかな」
「それでどうする? 戦いに使える使い魔は限られるし、全員が何かに憑依しているとは限らない。見つけるのは大変そうだけど」
「大王国側が有利になるよう立ち回りさえすれば何とかなるよ」
「戦うの?」グリュエーは不安を抑えて尋ねる。
「それも悪くないけど……、というのは冗談。さすがに多勢に無勢だからね。それに大事なのは足並みを揃えさせないこと」
「混乱させるんだね。どうしようか?」
「地下道を移動しながら適当に火を投げ入れてみよう」
ベルニージュが呪文を唱え、救済機構の陣営に小火のような火球を放ち、気づかれるより前、火が僧兵に降り注ぐ前に二人はすぐさま地下道に潜る。そして蟻の巣のようになった地下迷路を通って別の入り口から地上に戻る。今度は大木の幹が刳り貫かれ、樹皮が扉のように開閉できた。そしてほんの隙間から外を覗く。しかし機構に慌てている様子はなかった。方々から鬨の声や悲鳴は聞こえるが、目に見えぬ敵に遭遇したならば必ずついて出る誰何の声はない。
「小さ過ぎたんじゃない?」とグリュエーは呟く。
「見た目はそうだけど」とベルニージュは答える。
ベルニージュは真っすぐに立てた火付け指に意識を集中し、再び呪文を唱える。ルミスの畔に伝わる叙事詩を四文字に圧縮し、誓約の番人たるパデラ神の聖名の下、かの獣の咆哮を一点に凝縮し、かつて北海の海底に見出された泡立つ炎を再現する。それは赤子の眼球ほどの大きさで、しかし破滅的な熱量を秘めている。
「さっきより小さい」とグリュエーは不安と不満を込めて言う。
「でも気づかれないことのない力だよ」
酔った蛍のように漂う炎は徐々に機構の陣営に近づくが、何の兆しもなく突如消え失せる。
「ただ消すだけならともかく、手際が良いね」とベルニージュは見えない敵を褒め称えるように感嘆する。
何者かに消された上に、その相手が分からないということだ。
グリュエーは風に使命を携えさせて放つ。答えはすぐに戻ってきたのでそっとベルニージュに耳打ちする。
「この木の上にいる」
ベルニージュがグリュエーを引っ張り出すようにしてすぐに飛び出し、樹上に荒れ狂う炎を放った。略奪者が全てを奪い去った後に放つような火だ。しかし火は木に燃え移ることすらなく消え失せた。
樹上には一匹の獣がいた。短く艶やかな黄金の毛並みに目玉のような斑点がいくつも並んでいる。馬ほどの大きさの豹の体躯だが、女の頭で長い黒髪には黒雲を漂わせ、稲妻を秘めた瞳を爛々と輝かせている。
「噂に聞いたんだけど、お前、パデラ神の娘だって本当?」と人面豹がベルニージュに問うた。
「そうだけど、それが使い魔に関係あるの? 鎮める者」とベルニージュは問い返す。
「まあね。因縁ってやつだよ」鎮める者は遠い目で過去を見つめている。「私の火を消す力はお前たちの信徒に随分疎まれた。あの子も、聖女ミシャだっけ? あんたたちにお熱だったよ」
「ワタシたちが求めたわけじゃないはずだけどね」
「勘違いしないで良いよ。別に憎んだり恨んだりしているわけじゃないからさ。今は【命令】下だしね」
「ワタシに暴れさせない。それだけ?」
「そういうことです」そう言って背後から現れたのはモディーハンナだった。「まさかエーミを連れてくるとは」
宙を揺らめく青い火の球を従えたモディーハンナは相変わらず無理をしているらしく、無理矢理出歩かされている病人のようだった。
「ノンネットは聖女になったんだよね!?」とグリュエーが問い詰める。
「なぜそのことを知っているのやら。うろちょろしていたのは貴女でしたか、護女エーミ」
「勝手に大王国に仕掛けてもいいの? ノンネットは戦いなんて望んでないでしょ」
「結論から言えば別に良いんですよ。救済機構という組織の頂点、シグニカ統一国の長は大聖君で、ここのことは私に一任されているのですから」
「でもアルメノンは大聖君でもあったはずじゃ……」
「兼任したのは機構史上彼女が初めてのことですね。そして彼女が最後でしょう。何のことはありません。聖女アルメノンことリューデシア王女がそれだけ優秀だったということです」
ノンネットを馬鹿にされたようで、苛立ちのあまりグリュエーは足を踏み出すが、ベルニージュに引き留められる。
「ああ怖い。戦いをお望みで?」とモディーハンナがうすら笑う。
「大将があんたと分かったならやりようはあるよ」とベルニージュが挑発する。
グリュエーにとってもノンネットと争うよりはずっとやりやすい。
その時、モディーハンナの背後に奇妙な何かを見た。宙にふわふわと浮かび、しかし自身ではまるで制御できない様子で風に流されている、それは人間のようだった。
「モディーハンナあああ。止めてえええ」
それはノンネットだった。手足をばたつかせるが、ほとんど思うように動けず、モディーハンナの髪を引っ掴んで止まる。
「戦争中ですよ、猊下」とモディーハンナが苦言を呈する。
宙に寝転がるような形で真横のままノンネットは答える。
「そんなの分かってる。モディーハンナの戦争だろうが。ワタシ、関係ないし」
そうして初めてノンネットとグリュエーの目が合う。
間違いなくノンネットだ。理知的な輝きを秘めた栗色の瞳。生真面目な性格を表したような真っすぐに切り揃えられた茶色の髪。グリュエーよりも背が高く、少し猫背気味なところも変わらない。しかし。
「ノンネットなの?」
グリュエーの問いにノンネットは見透かすような瞳で笑みを浮かべた。