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海月は止めよ、止めよと云う。何故なら目の前に自殺をしようとする人が居るから、この世を旅立ちたいと思う愚かな人間がいるからである。海月は何処からでも一年中、この世が終わる迄皆を見ているのだ。海月は海に居るからそりゃァ海に居る奴は見るが、例え建物の屋上でも、布団の中でもお見通しなのである。よく居るものだと學校や会社で、親や虐めっ子に自分の悲しみに打ち拉がれた亡骸を見せたいと云う馬鹿者だ。だが、海月は正常に生きたくても、人が寄ってきて、針が刺されば、悪気は無くとも殺される。自殺なんか出来やしないのだ。海月は人間の何十倍も苦労して居るのである。人間は死体や骨が残るが、海月は体が水分で有る為、死んだら親にも子にも逢えず、溶けて生きた証も何もかもが消えてしまう。これより小さい事に人間は泣き、自ら命を絶つのである。本当に大馬鹿者である。月が満月の日はそれは人間が死んだ時。神様が死んだ人間が報われる、恵まれる様に僅かな灯火では無く、猫の眼の様に光る月にする。赤い月はそれは自ら命を絶った者が居る時。神様では無く、年頃から私達を神様と同じ様に見守る閻魔様が愚かな人間の血を見せしめにしているのである。自ら命を絶った者は天国には行けないのである。地獄行きだ。月が明る過ぎる日はそれは海月が死んだ日だ。生きていた証を明らかにする為に、海月の思い出等を明るく、優しく照らすのである。何処からか喇叭の音が微かに聞こえる。海月の遠吠えか?いや違う、海月は鳴いたりしない。その音は月の泣く音だった。月が海月が止めろと云いつつも、人間は死ぬのを辞めない。何故自ら命を絶つのか。私には到底思い浮かばなかった。海月は脳が無いので、死ぬ時は痛みも苦しみも悲しみも無いのだ。それに、脳が無いから、死ぬ時も生前も、親の顔が分からないのだ。なんて悲しい。海月は海の月だ。何時までも光ってはいないが、夜の月とあまりに似ている。海月も夜の月も写真に撮らないと忘れる。「君達は昨日の月は覚えているかね?」よくこの言葉を自殺願望者に云っていた。「君は昨日の海月を覚えているかね?」これを聞くと皆格好付けて、月なんかと云う。こう云う奴が痛みも無い海月になりたいと云う。酷すぎて涙がでるものだ。海月は云う。「何もかもが消えても、たった一つでも覚えていれたら捧げるべき物を捧げる。」人の手からするりと落っこちる海月はあまりにも幻想的であった。海月こそが生物の手本なのだ。海月の声を聞いてあげてくれ。きっと囁いている。「死ぬのは止めよ、止めよ」と。辛い事があるなら、一先ず海へ行こう。躊躇せず、迷わず真っ直ぐに歩け。海の海月をみても気持ちが晴れないのなら。それはもう、気持ちが晴れているのだ。そう人生を悔やむな、そう自分を憐れむな。海月は今日も見えない口で囁く。「止めよ止めよ」と。海月には希望も無い。だからこそ私達人間が美しく生きなければいけない。眠った様な海月が宙を舞った。あまりにも美しく、涙が一粒落ちた。これこそが海月の生だ。
海月は云う「止めよ」と。