二人で夜の道を歩いて、近くの中華のファミレスに行った。
これこれ、こういうとこでいいんですよ、と思いながら、店に入ると、順番待ちの人たちが居た。
家族連れがソファでメニューを見ながら楽しそうに待っている。
なんかいいなあ、と思いながら、のぞみはそれを眺めていた。
ソファはもういっぱいだったので、レジの横、オモチャが並べてあるところの側で京平と待つ。
人から見ると、我々も夫婦とかカップルとかに見えてしまうのでしょうかね、と思いながら、のぞみがチラと京平を見上げると、京平もチラとこちらを見ていた。
「そ、そういえば」
とそのまま沈黙しているのも気詰まりなので、のぞみは慌てて口を開いた。
「大学の頃、何処の店に行っても出会う人が居たんですよ。
本当に何処のお店に行っても、たまたま、その人が居るんです。
なんとなく、いつも視界に入ってて、そのうち、お互い、あっ、また? ってなって、笑い合ってたりしてたんですよね。
全然知らない人なのに。
行動パターンが似てたんでしょうかね?
もういっそ、その人が私の運命の人なんじゃないかとか思っちゃいましたよー」
とのぞみが笑って言うと、混み合っている店内を見たまま、京平が言ってくる。
「それでなにもなかったのなら、運命でもなんでもないんだろうよ」
その不機嫌な口調に、
「……いや、女の人なんですけど、その人」
と言うと、京平は沈黙したあとで、
「紛らわしい言い方をするなーっ」
と怒り始めた。
そういえば、最初に女の人だって言い忘れてたな……。
自分では、相手が女だとわかっているので、運命の人というのは、ジョークのつもりだったのだが。
それにしても、そんなに怒らなくてもな~、と思う。
同じ人と何度も出会ったからって、簡単に恋が始まったりなんてしない。
第一、私、そんなにモテませんしねー、とのぞみは寂しく思っていた。
だが、京平の心配具合いを見ていると、自分がモテモテ女子になった気がしてくるから不思議だ。
いや、周囲を見回してみても、そのような兆候は、今までもこれからも、まったく見られないのだが……。
ちょっと待っていると、同時に二組出たので、のぞみたちもすぐに入れた。
のぞみはつるつるの大きなメニューを広げて言う。
「わー、なんかドキドキしますねー。
こんな値段で、いろいろ中華が食べられるなんてー」
安い代わりに、皿は小さいが、いろいろと種類が多く、楽しめる感じのメニューだ。
「お前、呑んでいいぞ」
と京平が言ってくる。
「え、ひとりでは呑めません。
専務に悪いじゃないですか」
「お前をタクシーで帰してもいいんだが。
それだとなんのために、俺が迎えに行ったんだかわからないじゃないか」
今日は俺が車で送りたかったんだ、と京平は渋い顔で言ってくる。
「いいじゃないですか。
また迎えに来てください」
あ、また迎えに来てくださいって自分から言うのは変だな、と思ったのだが。
ひとりで呑むのは悪い気がして、つい、そう言ってしまったのだ。
だが、それを聞いた京平は少し嬉しそうに、
「……そうだな」
と言って笑う。
な、なんなんですか……。
そんな風にやさしそうに微笑んだりとかしないでください。
罠だっ、となんの罠だか知らないが思いながら、のぞみは思う。
俯き、メニューに視線を落としたとき、よく冷えてそうなジョッキの写真が目に入った。
「中華だとやっぱり呑まなきゃですよねー」
と思わず言うと、
「お前、蕎麦屋に行っても、天ぷら屋に行っても、そう言ってるんだろう……」
と言われる。
バレたか、と苦笑いしながら、
「でも、専務でも、こんなお店に来るんですね」
と言うと、
「近いからひとりでよく来るぞ。
歩いて来られるから、呑んで帰れるしな」
と京平は言う。
「いつも、昨日みたいな店で食べてらっしゃるのかと思ってました」
「あれは、お前を喜ばせようと思って行ったんだ。
……まあ、この店の方が喜んでいるようだがな」
いえいえ、そんなことはないですよ、と言いながら、ボタンを押して店員さんを呼んだ。
何故、このお値段で食べられるのだろうか、北京ダック。
そんなことを思いながら、北京ダックをつつきつつ、のぞみはよく冷えたビールをジョッキで呑んでいた。
「いいですねー。
中華で呑むのって。
……でも、ふと正気にかえると、私、今、なんで、先生と差し向かいで呑んでんだろうなあって思うんです」
「ああ、違和感半端ないな……。
補導したくなる」
と置いたジョッキを見つめ、京平は言ってくるが。
いや、まだ私を未成年だと思っているのなら、おのれを淫行罪で逮捕してみられてはどうでしょう? とのぞみは思っていた。
まあ、よく考えたら、無理やり、部屋に行かされたことと、のぞみって呼ばれたこと以外、なにもされてはいないのですが。
そんなことを考えながらも、美味しくいただいたのだが。
レジのところに行ったとき、どちらが払うかで揉めていると、誰かが後ろで笑った。
振り返ると、すっきりとしたパンツ姿のショートカットの女性が立っている。
あっ、とのぞみは思った。
「彼氏?」
と彼女は訊いてくる。
そして、のぞみが答える前に、
「うちも」
とちょっと照れたように彼女は言って、後ろに居た、見るからに人の良さそうな背の高い男の人を見た。
彼女が彼氏らしき男の人と居るのを見るのは初めてだった。
お互い、なんとなく、照れ笑いする。
「今のは誰だ」
「さっき言ってた運命の人ですよ」
帰る道々、のぞみたちはそんな話をしていた。
すると、
「なるほど、確かに運命の人だったな」
と京平が言い出す。
「初めて、お前が俺のことを自分の彼氏だと紹介した、運命の女だ」
いや、あの状況で否定したら、なんだか悪いすらですよ、とのぞみは思っていた。
「彼氏だとは言ってませんよ。
彼氏じゃないって言わなかっただけです」
そう言い訳しながら、二人並んで歩く。
だが、京平との距離は、不思議に近くなったり、遠くなったりしていた。
なんでだろうな? と思いながら京平の方を窺ったとき、京平のマンションが見えてきた。
のぞみは唐突に足を止め、
「あっ、えーと。
もう帰ります」
と声を上げた。
「どうせタクシーで帰るのなら、この辺りでタクシー捕まえた方がいいと思うんで」
京平は迷ったようだったが、
「まあ、此処は素直に帰した方が親御さんの心証も良くなるだろうからな」
と言ってきた。
その言い方だと、なにか悪巧みをしている人みたいですよ、とのぞみは思う。
「ああ、来なくてもいいのに、タクシーが来たな」
そう言いながら、京平は手を挙げ、タクシーを止めてくれた。
のぞみが乗り込むと、京平は後部座席に手をついて、身を乗り出し、タクシーの運転手に、
「これで。
おつりはいりません」
と一万円渡していた。
いや、そんなにしないと思うんですが。
貴方の財布には実は一万円札しか入ってないとか?
いや、さっきは五千円くれたんだったか。
あの距離で五千円。
此処からうちまでで一万円。
お金持ちは金銭感覚と距離感が違うようだ、と思いながら乗っていると、
「じゃあな、おやすみ。
まっすぐ帰れよ」
と言って、京平は軽くのぞみにキスをすると、のぞみの家の住所を告げ、
「じゃあ、お願いします」
と運転手さんに言って、車内から消えた。
ドアが閉まり、車が走り出す。
京平は夜道に立ち、タクシーを見送っているようだった。
タ、タクシーなんですけどっ。
タクシーなんですけどっ!
タクシーなんですけどっ!?
運転手さん、すぐそこに居たんですけどっ!?
貴方は、何故、人の居るときの方がキスとかできてしまうのですかっ。
二人きりのときはできなかったのにっ。
酔っているからっ?
変な勢いがあったからっ?
見栄っ張りだからっ!?
と思うのぞみのスマホが鞄の中で鳴っていた。
もしや、京平かと慌てて出ると、父、信雄だった。
本当にかけてきた…。
いや、でもまあ、遠慮して、専務ではなく、私の方にかけてきたのか?
と思いながら、
「も、もしもし?」
と出た声は震えていた。
そういえば、なにかされている最中に、電話がかかってきても、うろたえずに出ろ、と言われたんだったが。
いや、絶対無理だっ、とのぞみは思う。
されたあとでも、震えているっ!
手も震えるので、両手で必死にスマホを握るのぞみに信雄が訊いてきた。
『のぞみ、まだ、先生のおうちか?』
先生と今も呼ぶのは、専務を牽制してのことだろうかな、と思いながら、
「ううん。
早く帰った方がいいだろうって、ご飯食べてすぐ、タクシーに乗せてくれた」
とのぞみは、つい、京平の株を上げるようなことを言ってしまう。
そうか、と信雄は、ホッとしたように言ったあとで、
『先生によろしくな』
と言って、電話を切った。
いや、だから、もう専務は居ないんだってば、と思いながら、スマホを膝の上に下ろし、のぞみは深く息を吐く。
それでも気が落ち着かなかったので、外を眺めた。
車窓の向こうには、京平が立っている場所に続いているのだろう夜の街が見えていた。
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