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アドヴェントカレンダーも最後の一つを開ける日の朝、リオンは生まれ育った孤児院-彼は様々な思いを込めてホームと呼んでいる-にやって来ていた。
警察官として働くまではここで寝食を共にしていたマザーやシスターに、どのような事があろうともこの日だけは帰ってきなさいと優しく諭されていたのだ。
降り積もった雪をごついエンジニアブーツで踏みしめつつ歩き、辿り着いたのは観光客は迷い込まない限りやってこない地区で、地元の人達でさえも極力近寄らないと言われるような場所だった。
リオンの大きな姿を見た子供達は見知らぬ人が来たと逃げる者もいれば、久しぶりに帰ってきた兄だと言うようにはしゃぐ者もいて、一人一人の頭を撫でながらマザーはどこにいると問いかける。
「あのね、聖堂にいたよ」
指を咥えながら見上げてくる少女に満面の笑みで頷き、ポケットに入れておいたアメを取り出してみんなで分けて食べろと手渡す。
子供達がおやつにはしゃいでいるのを横目に、聖堂と呼んでいる、古めかしい小さな小さな教会のドアを開けて床を軋ませて進めば、祭壇の前で祈りを捧げていた二人の女性が振り返る。
「リオン!私たちの希望の星。お帰りなさい!」
「やめてくれよ、ゾフィー。さすがにもう恥ずかしいっての」
リオンより少し上ぐらいだろうか、真っ直ぐの栗色の髪を肩の下まで伸ばした女性が胸の前で手を組みながら神に祈りを捧げた後、両手を差し出すリオンに同じように手を差し出して抱擁する。
「お帰りなさい、リオン。今日は休みを取れたのね」
「ああ。今夜のミサの用意はもう出来たのか、ゾフィー?」
「もう終わったわ。後は子供達のプレゼントを用意するだけね」
「そっか」
ゾフィーの髪を撫でながら目を細めたリオンに、同じように目を細めて嬉しそうに笑ったシスター・ゾフィーの後ろ、控え目ながらも凛とした姿の女性が微笑ましそうに二人を見守っていた。
「お帰りなさい、リオン」
「うん、ただいま、マザー」
リオンがクリスマスイブの夜、ここの聖堂の長椅子に捨てられていたのは今からもう何年前の話だろうか。
真夜中前、何か気になるからとマザーを起こして聖堂にやってきたシスター・ゾフィーが長椅子の上に不自然に置かれた麻袋に気付き慌ててそれを開けると、中から泣き声を上げるへその緒がまだついたままの、生後数時間と思われるリオンを発見したのだ。
その夜からここの教会に併設されている孤児院で育ったリオンは、幼い頃はそれはそれは問題ばかりを起こす子供で、警察の厄介になったのは数え切れない程だった。
そんな手の掛かる子供が気がつけば警察官になり、今では制服警官ではない刑事になっている。
幼い頃に抱いた夢を実現させているその姿に、ゾフィーが希望の星と讃えたくなるのも無理はなかった。
今ここで育っている幼子達にしてみれば、リオンは最も身近な生きた夢の体現者になるのだ。
ゾフィーが腰に手を回してもたれ掛かってきた事に気付いたリオンは何かあったのかと小さく問いかけるが、にこりと笑みを浮かべるだけで口に出しては何も言われなかった。
「マザー、少ないけど、これでまたパンでも買ってやってくれよ」
「神よ、明日の恵みを感謝します────いつもありがとう、リオン」
敬虔なクリスチャンであるマザーとゾフィーの二人の祈りを目を伏せて聞いていたリオンは、長椅子に腰掛けて傍に立つゾフィーを見上げる。
「ゾフィー、今時間あるか?」
「ええ、平気よ。どうかしたの?」
「ちょっと話がある」
通路を挟んだ向かい側の長椅子に腰を下ろしたゾフィーに、膝の上に肘をついて手を組んだリオンが何から言い出そうか言い倦ねている様に視線を彷徨わせた事に、ゾフィーとマザーが顔を見合わせる。
思った事はすぐに口に出し言い淀む事など今まで無かったリオンだが、これは一体どうしたことだろうとお互いの顔に疑問を見出した二人だったが、息子であり弟であるリオンが自ら口を開くのを待つ事にする。
「私は奥で用意をしていますね、リオン」
「マザーもいて欲しい」
「リオン?」
本当に珍しいと目を瞠ったマザーは、ゾフィーの一列前の椅子にそっと座るが、無理に先を促すことはしなかった。
「あのさ・・・恋人が出来た」
「そうなの?この間は別れたって言ってたわね。あれからすぐに出来たの?」
忙しいから中々来れなかったと初夏に笑顔を浮かべて戻ってきたが、その時聞かされたのは彼女と別れたと言う事だった。
それを思い出して問えば、くすんだ金髪がこっくりと上下する。
「その人の事で何か相談でも?」
マザーの優しい言葉に頷いたリオンは、組んでいた手を組み替え、両手の親指をくるくると回し始める。
「リオン、あなた一体どうしたの?言いたいことが出てこないの?」
さすがに生まれた時からリオンを見てきているだけはあり、ゾフィーの言葉に深く溜息を吐いたリオンは、二人の顔の間に視線を定めて口を開く。
「今付き合っているのは・・・男なんだ」
「ま・・・!」
「何ですって!?」
敬虔なクリスチャンである二人には、同性愛に対する嫌悪が根深く残っていた。
それ故の驚きに声を挙げ、口を押さえたマザーと目を驚愕に彩ったゾフィーの顔を交互に見つめ、今は男と付き合っているともう一度告げる。
「リオン、リオン。それはどういう事?本気なの?」
「本気だ」
「そんな・・・!」
今まで女達を取っ替え引っ替えしてきたリオンだが、その時でさえも二人は口に出しての反対はしなかったのは、リオンが彼女達に何を求めているのかを二人は痛いほど理解していたからだった。
だから思わず眉を顰めそうな付き合い方をしていても何も言わず、ただ見守り続けていたが、まさか男と付き合うとは思ってもみなかった。
「神よ・・・!」
「どうしてなの、リオン?」
マザーとゾフィーの言葉にきつく目を閉じ、脳裏に焼き付いている忘れられない笑顔を思い浮かべながら組んだ手に力を込める。
「ゾフィー、俺は独りが嫌だ」
「知ってるわ。今までの彼女達ともそうだったんでしょう?」
なのに何故突然同性相手に恋心を抱くようになったのか。
彼女には理解出来ない行動だったらしく、蒼白な顔でどうしてと詰め寄られ、リオンが唇を噛みしめる。
普段ならば滑らかに動く舌だが、この二人を前にすればまるで動かなくなる。
だがそんな事を言ってる暇は無かった。自分が心底愛する人をこの二人にだけは受け入れて欲しかった。その為には持てる言葉で伝えなければならなかった。
「その人はさ、金持ちで、人から見れば羨ましい限りの社会的地位もある」
「・・・・・・・・・」
脳裏に描くのは、メガネの下のターコイズに情を、唇に穏やかな笑みを浮かべてリオンと呼ぶ端正な顔。
その顔から力を貰いつつ、二人に届けば良いと口を開く。
「けれど・・・独りなんだ」
「そうなのですか、リオン?」
「うん。俺の部屋がその人の家の廊下と同じぐらい広い家に住んでるんだぜ。でも・・・独りなんだ」
家族はいるらしいが付き合いはほぼ断絶しているらしく、辛うじて往き来があるのは姉夫婦だけらしい。
付き合い出して半年の間に聞きかじった情報を伝え、そんな独りの人を放っておけなかったと、再度手を組み替えて呟けば、可哀想な人とゾフィーがぽつりと呟く。
「うん。可哀想だと思う。でも何が可哀想かと言えばさ・・・自分のそれが当たり前だって思ってる事だ」
家族と断絶しているのが当然など、普通に考えれば有り得ない。
生まれて間もなく実の親から捨てられたリオンだからこそ家族に対する思いは強いのかも知れないが、ごく一般的に考えてもそんな状況は不自然だった。
その不自然さに気付いていない事が哀しくてつい手を差し伸べてしまったと、あの日の事を思い出しながら告げれば、ゾフィーが手を伸ばして髪を撫でる。
「優しい子ね、リオン」
「やめてくれよゾフィー。もうガキじゃねえって」
煩わしそうに頭を振るが、差し出された手をそっと握り、額に押し当てて目を閉じる。
「一緒にいたい、この人の横でずっと笑っていられる俺になりたいって初めて思った」
今まで付き合っていた彼女達には一切感じる事の無かった思い。それが不思議なことにごく自然と芽生え、日増しに大きくなっていくのだ。
ゾフィーの白い手に頬を寄せてぽつりと呟けば、そっと伸ばされた手に頭を抱き寄せられる。
いつもいつまでも優しいゾフィーの手に身を委ね、だからどうか嫌わないで欲しいと、拳を作りながら震える声を出す。
自分が心底愛した人をどうか嫌わないでくれ。
伝えたかった事をやっと言えた安堵からか、大きな溜息を零したリオンに二人の女性が顔を見合わせて眉尻を下げる。
カトリックの教えから言えば同性愛は認められるものではなかったが、だからといって同性愛者を排除する訳ではなく、またその告白をしてきたのが苦労をしながら育てた我が子同然のリオンなのだ。嫌うことはなかった。
だが、幾らリオンが愛する人とはいえ、その人自身を愛せるかどうかは別問題だった。
「リオン、その人も一緒に来ることは出来るかしら?」
「うん」
自分が孤児院で生まれ育ち今も頻繁に帰っていることを知っていると告げれば、マザーの口から小さな吐息が漏れる。
「一度その方とお話してみたいわ、リオン」
「分かった。────マザー」
「ええ、ええ。あなたが言いたいことは分かるわ、リオン。私たちはどんなことがあってもあなたを信じているわ」
幼い頃、手に負えない悪戯をして警官に説教を食らった後、みっちりとマザーとゾフィーにも説教をされたが、一段落着いた後は白い柔らかな手で抱き寄せ、頭を撫でてくれたのだ。
その当時の温もりと何ら変わらないものを今も感じ、つい縋るように見てしまったリオンにマザーがゆっくりと首肯し、ゾフィーの手に抱かれている頭を優しく撫でる。
「今日は泊まって帰れるの?」
「あ、今日は後で用事があるから帰る」
マザーが笑みを残して聖堂を出て行った為、ゾフィーが小さく溜息を吐いて気分を変えるように問いかける。
「せっかく来たのに?」
「悪い、ゾフィー」
「マザーが寂しがるわ」
弟のようなリオンの頭をもう一度撫でて手を離したゾフィーにもう一度悪いと謝罪をしたリオンは、ちょっと待っていなさいと言われた為に大人しく頷く。
マザーと同じようにゾフィーも出て行った為、がらんとしている聖堂に一人きりになる。
昔、組まれている祭壇に悪戯をし、それはそれは二人の女性から怒りと哀しみの混じった説教を受けた事があったが、それを思い出して祭壇前に向かう。
少し歩けばギシギシと鳴り、床が抜けそうな程老朽化している聖堂。床だけではなく建物全体も老朽化していて、彼方此方で雨漏りがすると以前言われた事を思い出す。
ボロボロになっていても手入れだけはしっかりと行き届いていて光る像を見上げ、いつになれば自分は彼女達を安心させられるのだろうかと内心呟く。
幼い頃から心配ばかりを掛けさせ、大きくなった今もまた不安な気持ちにさせている。
自分は親不孝だと自嘲気味に目を伏せた時、脳裏に厳しいが優しさが滲んだ声が響く。
その声はいつも笑っていてくれと言っていた。
周りを一瞬で明るくする太陽のような笑顔だとも言ってくれ、その人の為に笑顔でいようと決めたばかりだった。
くすんだ金髪を一つ振り、笑っていられる自分になりたいといつになく真摯に祈った時、名を呼ばれてゆっくりと振り返れば両手に袋を持ったゾフィーが立っていた。
笑顔で袋を差し出すゾフィーに目を瞠ったリオンは、袋の中を覗き込んだ後に袋とゾフィーを交互に見つめる。
「ゾフィー、これ?」
「本当はツリーの下に置きたかったのよ。でも今夜は帰るのでしょう?」
だから少し早いけれどクリスマスプレゼントよと腕に手を添えてにこりと笑うゾフィーは、驚くリオンにくすくすと楽しげに笑ってしまう。
「もう一つは・・・誕生日おめでとう、リオン」
クリスマスイブの夜、あなたがここにいてくれた事は奇跡だったわ。
伝えられたおめでとうの言葉にきつく目を閉じ、目の前の華奢な身体を抱きしめる。
今自分はこうして祝って貰い、数日前は職場の同僚達からも盛大に祝福された。
だが、自分が心から愛している人は、自ら祝うことを禁じた為、誰からも誕生を祝われる事がないのだ。
同じ日に生まれたのに一方は貧しいながらも祝って貰え、一方は誕生日のカードすら受け取らないのだ。
それが辛くて、つい縋るようにゾフィーの身体に回した腕に力を込めてしまう。
「苦しいわよ、リオン」
「・・・・・・ダンケ、ゾフィー」
いつまで経っても本当に子供みたいと笑いながら背中を撫でてくれるゾフィーにもう一度礼を言い、頬にキスをすればお返しと言って同じキスを返される。
あの夜、ゾフィーとマザーがいなければ自分はいなかったのだ。
それもこれも、すべてはこの華奢で優しい手を差し伸べてくれたからだった。
その感謝の思いは伝えても伝えきれず、もう一度ぎゅっと抱きしめる。
そして、今自分が感じた思いを、いつの日か彼にも感じて貰えれば良いと秘かに願う。
「ねぇ、リオン」
「何だ?」
「マザーも言ってたけど、私も一度その人に会ってみたいわ」
あなたがそこまで思い詰めるほどの人ならば、きっと悪い人ではない筈だ。
母のような姉のような女性の言葉にうんと頷いたリオンは、近いうちに連れてくると告げ、誕生日プレゼントを開けても良いかと問いかけて呆れたような返事を貰う。
「仕方のない子ね」
「だから俺はガキじゃねえって」
「そんな事を言ってる間は子供と同じよ、リオン」
ふふふと笑われて口を尖らせるが、クリスマスプレゼントは家で開ける事にして誕生日プレゼントを開けて顔を輝かせる。
「手袋とマフラーかぁ・・・」
「どう、気に入ってくれた?」
「もちろん!」
自転車に乗る時には必要不可欠な手袋とマフラーを広げ、その場で身に着けたリオンがどうだと言うように見せれば、ゾフィーが安堵の表情を浮かべて小さく頷く。
「似合ってる」
「そっか」
ここの暮らしが貧窮しているにもかかわらず、こうして毎年自分や子供達へのプレゼントなどを欠かさないマザーの愛情に感謝し、巻いたマフラーを丁寧に戻して手袋だけは嵌めておく。
「そろそろ帰るぜ、ゾフィー」
「そう。次はいつ帰ってくるの?」
帰り際のこの言葉はいつもの言葉で、次の休みが取れたら連絡すると告げるのもこれまた恒例の事だった。
再度頬にキスをした二人は、メリークリスマスと今日の日を祝いあう。
「マザーによろしく言っててくれよな」
「分かってるわ。新年に帰ってこれるのなら帰って来なさい」
「分かった」
クリスマスに次いで賑やかになる年末から新年、仕事が忙しいのは分かっているけれど出来るのならば戻ってらっしゃいと、にこやかに手を振るゾフィーに片手を挙げたリオンは、貰ったプレゼントを嬉しそうに両手に持って教会を後にし、小雪が降り始めた空を仰いで目を細める。
今日は何も予定が無くて家にいると、出掛ける直前に電話をした時に教えて貰ったのだ。
これから家に行くと伝えておこうと携帯を取りだし、いつしか覚えてしまった数字を押してコールを数える。
『はい』
「あ、ウーヴェ?俺」
『どうした?』
今朝も電話をしてきただろうと笑われ、今朝は今朝、今は今だと訳の分からないと相手が眉を寄せそうな事を告げた後、後でそっちに行くと告げれば、少しの沈黙が流れた後、仕方がないと言いたげな吐息が伝わり、ダメかと聞き返す。
『大丈夫だ。来る前にもう一度連絡をくれないか?』
「ああ」
じゃ後でと通話を終え、ここ数日ずっと考えていた事を実行に移すべく小雪がちらつく中を駆け出すのだった。