風と闇を突き抜けて、電車が進んでいく。
車掌さんのアナウンスが聞こえてくる、次の停車駅は「考えたくもない過去」だそうだ。
大正時代から抜け出してきたような、西洋風の服装の男は、わたしの話に聞き入っていた。
もうあらかた話し終えたけれど、締めは必要だろう。
とてもよくある、ありきたりな言葉を、わたしは言う。
そうして、わたしは自殺した。
考えてみれば逃げ場はあったんだよね。
死ねばよかったんだ。簡単なことだった。
なんでこんなになるまで気づかなかったんだろう。
わたしが両腕を見ると、カッターで切った痕があった。
見るに堪えない、無残な身体だ。こんなことをしても死ねないことなんてわかっているのに、繰り返した。傷と傷が重なり合って、数え切れなくなるほどに。
――そうか、君はここに逃げてきたんだね。
そうだよ、だから今更生き返れとか前向きなこと言わないでよね。
後悔がないわけではないけど、もう何もかも今更なんだから。
この男はおそらくは地獄の水先案内人みたいな存在なのだろう。
きっと、若いんだからもう少し生きたらどうだとか、そういうことを言うのだ。
電車がゆっくりと減速して「考えたくもない過去」に停まる。
男が言うには、この電車が現実に停まることはないけれど、考えたくもない過去で降りて、しばらく歩けば現実に辿り着けるらしい。
降りた先で起こる出来事を考えて、現実まで歩いた後の生活に思いを馳せてみる。吐き気がした。死んだ方がマシだ。はは、わたしの人生詰みすぎ。欠片も救いがない。
世界は綺麗事だけでできてはいないのだ。
たとえ戻っても、すぐに自殺することになるだろう。
――心はもう決まっているようだね。
男がそう言うと、車掌のアナウンスが流れた。
電車が走り出すのだ。
この時代錯誤な格好をした男はわたしを止めなかった。
父さんのように、現実と戦わせようとはしなかった。
生きていればそのうち良いことがあるだとか。
辛いのは今だけで、いつか全部思い出になるだとか。
みんなが悲しむだとか、命を大切にした方がいいだとか。
そういう綺麗事を一切言わなかった。
自分自身を蔑ないがしろにして、ボロボロになった、どうしようもないわたしが死を選ぶことを否定しなかった。
きっと、この男もまた。死んでいる最中なのだろう。
だから生者のように死にゆく人を引き留めたりはしない。
ただ、そこにある影のように接してくれる。
生者にはできない優しさだ。
この男にもどうしようもない何かが、考えたくもない過去があったのだろうか。
そんなことを考えていると、車掌のアナウンスが聞こえてきた。
こちらは幻影都市線直通、急行電車です。次は幻影都市、幻影都市に停まります。
この先、現実には停まりませんのでご注意ください。
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