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<4.4>
★同日、ライブ終了後 丸座 喫煙所内
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夜の新宿は、ライブの熱気とは打って変わって、ほんの少し肌寒かった。 薄暗い通路を抜けて、俺と田原は無言のまま喫煙所へ向かう。 舞台袖とは違う静けさが、そこにはあった。
狭い喫煙スペースには、古びた換気扇の唸るような音と、ぼんやりと灯る街灯の黄色い光。 壁に貼られた「火の元注意」の張り紙が、少し剥がれかけて揺れている。 田原がポケットからタバコを取り出し、火をつける。 オレンジの火が一瞬、秋野の横顔を照らした。目元に薄い影を落としながら、煙がゆっくりと立ちのぼる。
「……なんか、やっぱさあ」
不意に田原が口を開いた。その声は、煙と一緒に空気に溶けるように、かすかだった。
「笠木、ほんとは俺とじゃなくて秋野とやりたいんじゃねーの?」
「……お前、急になんだよ」
思わず咳き込む。煙のせいなのか、それとも意表を突かれたせいか。 田原は目を細めたまま、視線をどこにも定めず、遠くを見るような目をしていた。 普段は飄々としてるくせに、こういう時だけ妙に真面目な顔をする。
それが少しだけ、ずるいと思った。
「いや、だってさ。今日のお前、めちゃくちゃ楽しそうだったし」
「お前とやってるときも楽しいよ」
「ほんとかよ」
言いながら、田原は小さく笑った。 けれどその笑みの奥には、どこかひっかかりのようなものが見え隠れしていた。
タバコの火が、ゆっくりと赤く灯ってはまた沈む。その点滅に、彼の揺れが重なる。
「まあ、秋野とやるのが刺激になってんのはわかるけどよ……なんつーか、俺とやるのに飽きたんじゃねーの?」
「バーカ」
思わず笑って、俺は田原の肩を小突いた。
こういうときの返しは、真面目じゃダメなんだ。 こいつは、面倒くさいくせに、言葉に敏感だ。
「確かに秋野とは新鮮で、面白かったよ。でも俺が一番やりやすいのは、結局お前なの」
田原は煙を吐きながら、少しだけ目を伏せた。 風が煙をさらって、夜の空へ薄く溶けていく。
「……そうかね」
「そうだよ」
ポケットに手を入れたまま、俺は小さく息を吐いた。
「俺がボケて、適当にアホやっても、お前がちゃんとツッコんでくれる。秋野もいいけどさ、俺はお前とやるこの感じがいっちばん好きなんだよ」
沈黙。 田原は何も言わずに、しばらくのあいだ煙を吐いていた。 それが風に乗って、細く長く流れていく。
その煙の奥で、田原の目元がほんの少しだけ、やわらかくなった。
「……まあ、そう言うならいっか」
ゆるく笑ったその顔に、ようやくいつもの軽さが戻ってくる。
「おう。そんで、また次のネタも考えんぞ」
「はいはい。お前がそこまで言うなら、付き合いますよ、相方さん」
ふざけるような口ぶり。でもその言葉には、芯があった。 二人で軽く拳をぶつけ合う。
手の温度は短く触れたけど、それだけで十分だった。 タバコを灰皿に押し付け、くすぶった火が静かに消える。
そして俺たちは、煙の残る喫煙所をあとにした。