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「はっ。
えーっと。
私は、専務の部下で、秘書室に居ります、坂下のぞみと申しますっ」
ああっ、結局、全部しゃべってしまったっ。
てか、最初の、はっ、はなんだっ。
戦国時代かっ、とうろたえるのぞみに、京平の母は、
「あら、貴女、秘書の方なの?」
と訊いてくる。
「はい。
その……」
忘れ物を取りに行ってこいと頼まれまして、と言いたかったのだが、普段、嘘など言わないので、上手く口から出なかった。
すると、ふーん、と上から下までのぞみを観察した京平の母は、
「ずいぶん若いわね。
新人さん?」
と訊いてきた。
「は、はい」
と言うと、彼女は溜息をつき、
「新人秘書をたぶらかすとか。
どういう育ち方をしたのかしらね? 京平は」
と言い出した。
いや……貴女の息子さんですよね? と思ったのだが。
まあ、こういう人は乳母の人とかが育てるのかもしれないな、と幾ら京平の家が金持ちとは言え、何処かの国の貴族でもないのに、そんなことを思ってしまう。
槙伽耶子と名乗った京平の母は、
「此処のマンション、部屋が余ってるから、私はクローゼット代わりにしてるんだけど」
といきなり、なんだって? と問いたくなるようなことを言ってきた。
近くでパーティなどが何件か重なったときや、お買い物のときなどに、着替えに寄ったり、ちょっと休んだりしているらしい。
あのー。
おっしゃっている意味がよくわからないんですが……。
此処は、かなり立派な家族向けの大きなマンションだと思うのですが、と思うのぞみの前で大きく溜息をついて、伽耶子は言ってきた。
「此処、立地はとてもいいんだけど。
今の空き部屋が京平の部屋と近いのが玉に瑕なのよね。
こうして、息子の素行も目に入るし」
「……あのー、息子さん、素行悪いですか?」
思わず、そう訊いてしまい、は? と言われる。
「今のとこ、京平の部屋に出入りしている女の人を見たのは貴女が初めてだけど。
見てないときは知らないわ」
そんなストレートなことを伽耶子は言ってきた。
そのとき、のぞみのスマホが鳴った。
伽耶子の方を見たまま、それを取ると、
『終わった、坂下。
今から帰るぞ』
と京平の声がした。
電話越しでも、距離があっても、さすがに息子の声はわかるらしく。
「あら、京平ね」
と伽耶子は微笑む。
「じゃあ、お邪魔しないよう失礼しようかしら。
のぞみさん、ぜひ、今度は我が家にいらしてね」
と言って、伽耶子はエレベーターホールに向かい、歩いていってしまう。
はっ、どうも失礼致します、と心の中で呟きながら、のぞみはその後ろ姿に向かい、深々と頭を下げた。
「へー、俺の母親に会ったのか。
俺でも、滅多に出会わないレアなキャラなのに。
運命かな。
挨拶しとけと神様が言っているんだろう」
……言うと思いましたよ。
リビングの白いラグのど真ん中に正座したのぞみは、京平の言葉を聞きながら、そう思っていた。
家に帰ってきた京平は脱いだ背広をハンガーにかけたりしながら、普通にくつろいでいる。
シックにまとめられた調度品と見るからに造りのいい家具のせいか。
さっきまで、普通に家族で住めそうだと思っていたこのマンションが、京平の部屋に一歩入った途端、高級マンションに見えた。
なんというか、専務っぽい部屋だ……。
几帳面に片付いていて、なにもかも質のいいものが置かれている。
長年、使えば使うほど、いい味出してきそうなものとでもいうか。
そんなことを思いながら、のぞみは緊張して、リビングのラグの真ん中に正座して座っていた。
おのれの家なので、対照的に楽な感じにソファに腰掛けた京平が、
「もう、一度会って挨拶したんだから、緊張しないだろ。
次の次の休みにでも、うちの親に結婚の挨拶に行こう」
と軽く言ってくる。
「でも……」
「此処に入るのを見られたんだろう?
挨拶して、立場をハッキリさせておかないと、会社に入った途端、簡単に悪い男にたぶらかされた、ふしだらな女だと思われるぞ」
いや、悪い男って、貴方ですよね~、とのぞみは恨めしげに、京平を見上げる。
すると、肘掛に頬杖をついていた京平は、チラとこちらを見下ろし、
「ちなみに、お前が此処に居ることは、お前のお母さんにも言ってある」
と言い出した。
えっ?
いつの間にっ?
「せっかく得た、親御さんからの信頼を失いたくないからな。
『ご心配なら、いつでもお電話ください。
五分置きでも、十分置きでも結構です』
と言って、此処に帰る前にかけておいた」
「……そんなこと言ったら、本当にかけてきますよ?」
「かけてくるわけないだろ。
そのくらい公明正大にやってますよ、とこちらが言うことで。
本当になにもしてないとは思わないけど、そう言って気を使って言ってくれるだけでも、やっぱり、先生は、他の男友だちとは違って、なんだか安心ね、と親に思わせるためだ。
ま、高校時代から、お前には、本当に友だちな男友だちたちしか居なかったようだがな」
うーむ。
自分の過去を知る男というのも困ったものだな。
いや、なにもなかった、という哀しい過去を知る男なのだが……。
そんなことを思うのぞみを京平は見下ろし、
「まあ、なにかしてる最中にかかってきても、俺かお前が平然として出ればいいだけの話だしな」
と言ってきた。
いや、なにもする予定はありませんし。
なにかされてるときに、うろたえずに出ろ、と言われても、出られる自信はありません。
そんな経験もないし、度胸もないので、とのぞみは思っていた。
正座している膝の上に両手を置き、まだ構えているようなのぞみを見下ろした京平は、ふっと笑って立ち上がる。
「なにか食べに行くか。
此処から歩いていけるところにでも」
そう言って――。