「──はっ!」
浅い呼吸を繰り返しながら、シキは勢いよく飛び起きた。白い肌は青ざめ、全身は汗だく。胸は激しく上下し、心臓が破裂しそうな勢いで脈を打っていた。
「はあ、はあ、はあ」
──ま、まただ。
また、あの夢。
殺意に満ちた表情、一瞬赤く光る眼、隈の酷い男性が首を絞めて私を殺す夢……。
あの夢は一体何?
どうして頻繁に見るの?
私が何をしたって言うの。
顔をしかめながら、シキは夢の内容を必死に思い出そうとする。
──死に対する恐怖。
──息苦しさ。
──首に食い込む爪の感触。
──「息がしたい」と縋った絶望的な感覚。
「はあ……はあ……はあ……」
思い返すだけで気分が悪い。
やめた、やめたやめた。やめよう、考えたって答えは出ない。所詮夢なのだから、深く考えるな。
頭を振り、夢を振り払っている中、『同居人』のビヨンド・バースデイが私に話しかけた。
「シキ、また怖い夢でも見たのか?」
「……見た……またあの夢……」
何度も繰り返し見る夢。
いつも飛び起きるものだから、バースデイには夢の内容を話してある。
「私、また、殺された……?」
か細い声で答えながら、シキは無意識に首に手をやった。サラサラと肌をなぞり、傷がないか確かめる。
──もちろん、痕はない。
当たり前だ。夢なのだから。
でも、心は落ち着かなかった。
触れた指先が、今も微かに震えている。
シキはベッドを降りる。
足元がふらつきながら、まるでまだ悪夢の中を歩いているかのようだった。
部屋の隅に置かれた長い全身を写すための鏡。
鏡の前に立つと、隣の窓から差し込む太陽の光の下、映った自分の顔と体。
──青白い。
──汗で髪が額に貼りついている。
──でも、首には何の痕も、ない。
指でそっと、首筋をなぞった。
それでも、あのときの怖くて、痛くて、苦しかった感覚は消えない。
皮膚ではなく、記憶に焼きついている。
「………………」
シキは鏡に映った自分と、しばらく黙って向かい合った。
夢というのは儚く、時間が経つと頭から消えてしまう。だんだん夢の内容が鮮明に思い出せず、ぼやけてきた。
シキは、また忘れて明日も悪夢を見るのかと思う恐怖に震える肩を抱きしめた。
(もう嫌だ、こんな夢……)
毎朝毎朝泣きそうになりながら必死に歯を食いしばる。肩を震わせている私にバースデイは心配した様子で話しかけた。
「大丈夫か、シキ」
ふと背後から、バースデイの声がした。
鏡越しから彼を見ると、何も着飾っていない、闇を抱えていそうなのに爽やか風な格好いい青年が映った。
「……うん、大丈夫。大丈夫よ」
嘘だった。
本当は、何も大丈夫じゃない。
でも、そう言わなければ。彼に迷惑はかけられない。何せ彼は──“私を救ってくれた人なのだから”──行くあてもない私を、彼──ビヨンド・バースデイは引き取ってくれた。月読という名の、誰も寄りつかない孤児院から。闇の中に一人取り残された私を、あの手で、ここまで──
──だけど、それ以外のことは、何も思い出せない。
どんな場所にいたのか。
彼がここまで連れてきてくれた方法も。
私はいつも誰と一緒にいたのか。
何をして生きていたのか──
まるで、夢から覚めた後みたいに、すべてが白くかすんでいる。
私が思い出せるのは、約3年前にここで目を覚ました時のことと、彼が月読から連れ出してくれた時の記憶だけ──
目を開けたら、そこにはバースデイがいた。なんでも見抜くような眼を持っている彼を皆不気味と言うけれど、初めて見たはずの彼は不思議と怖くはなかった。
「……大丈夫、ごめんなさい、バースデイ。気にしないで」
「いや、辛いなら言ってくれ。力になる」
ああ……この人はどうしてこんなに優しいんだろうか。
私は彼に縋るように振り向くと、じっと彼は私を見つめた。
「シキを苦しめたその男はどんな見た目をしてた?」
ハッキリとそういうB。
私はこれ以上彼に心配をかけたくない気持ちはあるが、何か力になってくれるかもしれないと思い、話した。
「……とても、怖い人だった。目の下に隈があって、世の中の不幸を全部背負ったような眼をしているの。力強くて、表情は殺意に満ちていた。私を殺す気満々って感じで……とても怖い人」
「そうか。それは怖かったね、シキ」
Bに縋るように近づいた私は頭に手を伸ばし、私の頭をポンポンとぎこちなく撫でた。
「犯人はBが見つける。何せ、BはLも超す究極天才の探偵だからなあ、くくくっ」
「ふふ、そんなこと言ったら期待しちゃうからね?」
「いいよ、期待してくれ。必ず犯人を捕まえてやる」
「男に二言はないんだから」
夢の中の話だけど、そう言って貰えるのが嬉しくて、心強かった。私は優しく微笑むと、彼も作り笑いのような笑みを浮かべた。すると、突然子供たちの騒ぐ声が廊下から聞こえた。声がいくつも重なり、ざわめきが広がっている。
「なんの騒ぎ?」
私はドアを開けて廊下を確認した。
バースデイも一瞬だけこちらを見たが、何も言わず立ち上がると、私の後ろをついて、二人で廊下に出た。
いつもは静かな廊下なのだが、通路の中央で、一人の少年──マットが、堂々とパソコンを広げているのが目に入った。彼の周りには、何人かの子供たちが集まり、画面に食いつく様に見つめている。
部屋の前で呆然と立ち尽くす私達にブロンドヘアの少年──メロはパソコンを指さし声を掛けた。
「見ろよ、B!Lだ!」
Lという言葉にBはすかさず反応すると、私を無視して集団の方へと向かった。私も彼の後を追いかけて、パソコンを覗き見ると、そこには新宿ビジョン映し出された一人の男性の映像。その男性は『リンド・L・テイラー』と名乗り、通称Lですと答えた。
「この人がL!?」
パソコンに話しかけるマットにメロがすかさず声を上げた。
「な訳あるかよ」
リンド・L・テイラー、通称Lの名を名乗る男はキラという最近話題の殺人鬼にお前のしていることは悪だ。などと言った挑発まがいなことを発言している。
「バースデイ、この人がL?」
Bは古くからここのワイミーズハウスにいるし、Lの見た目くらい知っているのかと思って、声を掛けると、Bは真剣な顔付きでパソコンを見つめていた。
「バースデイ?」
いつもよりも冷酷で冷たい目。
恐ろしくその目線が冷たく、パソコンを見つめていた。
心配になってBの肩に触ろうとした瞬間、突然リンド・L・テイラーは胸を押さえつけ、その場に倒れた。
〈──ぐあッ!〉
「!」
目を見開くB。
「死んだ」
すかさずそう呟いた。
リンド・L・テイラーは黒スーツの男たちに抱えられ、退場。私達は状況が把握出来ないまま空っぽの頭で画面を見つめていると、直ぐに画面が切り替わり、白背景に黒文字でLと書かれた画面が出てきた。
「「「Lだ!」」」
その場にいた全員(バースデイを除いて)が歓喜を上げるように、Lの名を呼んだ。
その瞬間、先程のリンド・L・テイラーがLではないと判断できた。
〈信じられない……〉
パソコンからはLらしき人物の加工音声が流れる。
バースデイはLが死んだ訳では無いと安心したのか、ニヤァッと口角を上げると、嬉しそうに笑った。
〈もしやと思って試してみたが、まさかこんな事が。キラ、お前は直接手を下さず殺せるのか〉
「どういうこと!?」
「直接、手を下さず?」
Lは続けて先程のリンド・L・テイラーは自分ではなく、今日この時間に死刑になるものだったと明かした。
「………………」
これはLにしてやられた。笑いを堪えるのに必死なB。静かにくつくつと喉元で笑っている。
〈だが、Lという私は実在する。──さあ、殺してみろ〉
そんな挑発していいのか……?
キラは直接手を下さずに殺せるというのに。そんな挑発まがいなことを言ったら、殺されてしまう!
「おいおい、まじかよ」
「Lが死んじゃう!」
「死ぬわけないだろ!Lだぞ!?」
周りの子供たちの困惑に釣られて、私も困惑していると、Bは焦る様子すらなく、楽しそうに画面を見つめている。
「ど、どうしよう、死んじゃうよ」
Lという探偵が死ぬのが嫌だ──というより、『人が死ぬのは見たくない』という極めて極普通の感情を持つシキはBの服の裾を引っ張った。人が死ぬのは見たくない、怖くて、彼に縋った。すると、バースデイは一言、皆には聞こえないように静かに答えた。
「死なないさ」
その一言は私だけに呟いたはずなのに、感の良いメロは直ぐにその言葉を拾い、Bに詰めた。
「なんで死なないって言えるんだよ」
「Lだから」
「はあ?理由になってない」
「いや、なってる。“Lだからだ”」
どういうこと?
画面の中ではキラに殺せ殺せと挑発するLの声。
その緊張感に包まれた空気に耐えきれず、私は目を逸らして、Bの言った“Lだから”というヒントを元にLが死なない理由を考えた。
挑発し続けているのに、Lは死なない。いつまで経っても変化は起きない。何故Lは死なない?何故殺さない?いや違う──殺さないんじゃない!
〈──殺せない人間もいる。いいヒントをもらった〉
『殺せないのだ』。それは何故?『Lだから』?Lだから殺せない理由とは──?Lが普通の人とは違うこと──それは、正体が不明だということ?
名前も顔も明らかになってない。それが、殺しの条件だとでも言うの?名前と顔が分かるものは殺せるが、名前と顔が分からないものは殺せない──そういうことか!
「名前と顔が必要……だから死なないんだ」
たどり着いた答え。そう私が呟くと、全員が不思議そうな顔してこちらを振り返った。皆に見つめられるのが恥ずかしくて出しゃばったことを後悔し、口を紡ぐと、すぐにBがフォローをしてくれた。
「恐らくそういうことだろうなあ、ふふふふふ」
不気味に笑ったBは最後までLの勝負を見届けた後、真っ先に部屋に帰ってしまった。私も彼の後について、部屋に戻ると、バースデイが直ぐにパソコンを開いた。
先程の映像をもう一回見るのかと思ったら、飛行機のサイトに飛び、何やらチケットを買っている。
「え!?ちょっ!ど、どこ行くの!?」
唐突過ぎるBの行動に焦りながら聞くと、彼ははっきり答えた。
「日本」
「ええ!?」
いきなり日本!?
私の母国ではあるけれど、そんな急に日本に行くなんて言われても困る。だってBがいなくなってしまったら寂しいじゃないか。
「ほ、本気で行くの!?」
「ああ。このキラ事件、非常に興味がある」
「嘘でしょう、やめなよ、こんな事件」
私は必死に止めようとした。
危険だ。無茶だ。心配だ。そんな言葉をいくら並べたって、Bの赤い瞳に宿った好奇心は消えそうにない。
「なあ、シキ──一緒に来てくれ」
「へ?」
あまりに自然な言葉だったから、一瞬、理解できなかった。
「あの『月読安楽死事件』と何か関係があるかもしれない。知りたいだろう?シキだって、あの事件の真相を」
心臓が、ドクンと跳ねた。
『月読安楽死事件』──かつて私のいた日本のワイミーズハウスで起こった怪奇事件だ。被害者だと謳われていた私だが、当時の記憶は無くしてしまった。ここへ来てから、Bには事件の詳細を教えてもらったが、私の見る夢と何か繋がりがあるかもしれない──失われた空白の数十年間の記憶を取り戻せるかもしれない。
──知りたい。
──怖いけど、初めて事件を解きたいと思った。
気がついたら、私は小さく頷いていた。
「……分かった、行く」
Bは、満足そうに目を細めた。
こうして──私たちは、日本行きの飛行機に乗ることになった。
そして私は心の底から後悔することになる。キラ事件に踏み込み、新世界の神に抗った事を──それはBに会わず、BB連続殺人事件を犯した世界の方がよっぽど良かったと思うほどに。本来あるべき姿のキラ事件とは大きく異なった異例の世界へと変化する。
新たな狂気と、新たな運命が待つ場所へと私達は共に歩き出した──
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