Lとキラの直接対決から数日後。
キラは動じることなく、犯罪者への裁きを続けていた。
そんな中、私とバースデイは、日本のとあるボロアパートで共同生活を始めることになった──バースデイが突然「キラを捕まえる」などと言い出したからだ。わざわざ日本まで遥々やってきた。
そして、日本での拠点につくと、私は呆然と立ち尽くしてしまった。
「何これ……」
「アパートだ」
「見ればわかるわ」
そんなこと聞いてるんじゃない。
「これ、あなたの家?」
「いや、借りたんだ。ここの主はしばらく帰ってこないから、安心して、くっくっくっくっ」
「ええ?ちょちょちょ、ちょっと待って……こ、ここ、人様の家ってこと?……はは、まさかここに住むんじゃないよね?」
「ああ、ここが帰る場所だ」
絶句……。何故他人の家で生活しなくてはならないのか。
しかも、目の前のアパートは、もはや建物というより“廃墟”に近かった。
外壁はひび割れ、雨の跡が黒ずんで染み込んでいる。看板は片方が折れ、名前すら読めない。
階段は金属音を軋ませ、上階からはカラスの鳴き声が響いてくる。
「最悪……」
「部屋は……まあまあ綺麗だ」
……嘘つけ……。
重たい足を引きずるように階段を上がる。鉄板はところどころ歪み、金属が軋む音がギィギィと耳に刺さる。
今にも抜け落ちてしまいそうで、錆びついた手すりに触れたら、皮膚にオレンジ色の粉がべっとりついた。
「うっ!」
「触らない方がいい、汚れる」
上階に着いた途端、鼻をつくのは湿気と何かが腐ったような臭い。天井からぶら下がっていた電灯は片方が切れていて、薄暗い光が廊下に影を落としている。
バースデイは鍵もかかっていない扉のノブを軽くひねり、そのまま中へ入った。
「嘘でしょう……」
なんで躊躇いもなく入れるわけ?信じられない……。
彼は靴を脱いで、当然のようにずかずかと部屋の奥へ。私も意を決して足を踏み入れると、ミシッと床が軋んだ。
「っ……」
抜け落ちるのではないかという恐怖で下を見ながら部屋に向かった。そして、部屋の壁を見た瞬間、息の根が止まる。
ミサミサ。
ミサミサ。
ミサミサ、ミサミサ、ミサミサ……!
「何よこれ!」
壁一面どころじゃない。天井にも、冷蔵庫にも、トイレの扉にまで弥海砂の写真が貼られている。その写真は、ミサミサがスーパーのレジに並んでいる姿や、横からのアングル。ピントは甘いが、明らかに隠し撮りと分かるもの。その下には、下校中のミサミサ、コンビニの前で雑誌を立ち読みするミサミサ、電車の車窓に映るミサミサ……。
「と、盗撮……」
足元がぐらりと揺れたような感覚に襲われる。
空気が急に重くなり、ミサミサの無数の視線が、壁という壁から私を刺してくる。
「通報案件よ!これ!」
「わあ、ミサミサだあ……」
バースデイは壁に貼られたグラビア姿のミサミサをニヤニヤと見上げている。その姿はどっからどう見ても変態だ。
「知ってるの……?」
「……シキ、知らないのか?」
ええ、知らない方がおかしいみたいな言い方やめてよ。
「大きい眼……うん、うん、やはり可愛い」
「……ファンなの?」
「ファンだ」
「えっ!」
──知らなかった。
あのバースデイが、まさか“推し”という概念を持っていたなんて……。
「あなた、てっきりLにしか興味ないのかと……」
「くくくっ、Lはオリジナル。うん、Bの中では絶対的な存在だ。だが、ミサミサは──可愛い」
言い切ったよ、この人……。
バースデイはミサミサのポスターから目を離さず、ぽつりと答えた。
「へ、へぇ?どのくらい好きなの?どの時代のミサミサが一番いいとか、ある……?」
「2003年、雑誌『WeeklyPopteen』表紙。シリアス笑顔。あれが最高潮。特に『Heaven’s Door』は名曲だ」
「あっ、そう……」
同じ屋根の下で過ごしていたはずなのに、私は彼のことを何ひとつ分かっていなかった。
それが、ほんの少しだけ悔しかった。
私は視線を落とし、小さく息を吐く。
「なんだか、ちょっと妬けるわね……」
言った途端、自分の声がやけに静かに響いた。
「妬ける……?」
私はちゃぶ台の縁を見つめたまま、言葉を続けた。
「私の方が、あなたを見てきたはずなのに……」
「……………」
「なのに、あなたはいつも別の誰かを見てる……」
自分でも、なぜこんなことを口にしているのか分からなかった。
でも、止められなかった。
「私、あなたの後継者なんか……務まるのかしら」
それは、今まで口にしなかった本音だった。
Bに選ばれたのは光栄だ。しかし、心の奥にはずっと、自分には重すぎるという自覚があった。
「シキ」
呼ばれて、私は顔を上げる。
「ん?」
「この『キラ事件』そして『月読安楽死事件』、共に解決し、Lを出し抜けたら──BBの名を渡す」
「!」
息を呑んだ。
彼の声は穏やかだったけど、そこに込められた意味の重さに、胸がきゅっとなる。
「ほ、本当!?」
「ああ。その時はBはBを下りる」
「………………」
「シキに“B”の名は譲る」
やっと、その名を手に入れられる──!!
胸の奥が熱くなる。目の前が開けていく感覚。
──勝った……。そう一瞬だけ思った。
『分かった!私は全力でこのキラ事件と、月読安楽死事件を解決する!そして、Lも、Bも──私が凌駕する!オリジナルになる!』
その言葉も──ずっと胸の内に渦巻いていたもの。今、初めて外に出した。
迷いも不安も、もういらない。私はBを越える。その未来しか、選ばない。
私がはっきりそう言うと、バースデイは目をぱちぱちと瞬かせ、それからゆっくりと口角を上げた。
けれどその笑いは、どこか──作られたものだった。
「くっくっくっくっ、うん、やっぱり、シキを後継者に選んだのは正解だ……かっ、かっ、かっ、かっ……これは軽薄すぎたか、間違えた」
笑い方を知らないバースデイは一人芝居を続けながらちゃぶ台にあるパソコンを開いた。
「ところで、どうやってキラを捕まえるの?」
ちょうどその時、体の芯から冷えた私は何か暖かいものを探して辺りを見回す。
すると、部屋の隅に埃をかぶったストーブが目に留まった。最近使ったような形跡があり、電源コードは繋がったままだ。スイッチを押すと、赤いランプが灯り、すぐに熱風が吹き出してきた。
「あ……暖かい……」
顔に当たる熱気に、地獄から一気に天国へ昇った気分だった。
「シキならどうする?」
先ほどの質問を、質問で返される。
なるほど。これは試されている──そう理解した私は、珍しく本気で頭を使うことにした。
「そうね……」
キラとは何者なのか。
性別も年齢も不明。人間なのかすら、断定できない。けれど分かっていることは──
『顔と名前が分かれば殺せる』。
『関東地区に潜伏している』。
そして、リンド・L・テイラーの殺害に即応したあの行動──
「キラは幼稚で、負けず嫌い……だから学生の可能性が高いと思う」
バースデイが後ろで、妙な声を発し始める。
「ん、ん、ん〜。らん、らん、らん。いやぁ、これは笑い方じゃあないか」
私は口にしながら、頭の中で点を線につなげていく。あの時キラは、Lの挑発に完璧に乗った。自ら“存在を証明”したがる性格。
「わはははは!とか? うっしっしっしー?」
「……ねえ、バースデイ」
「ぞぞぞぞぞ──」
「──バースデイ!」
少し強く、呼びかけた。
「どうした?」
ようやく返ってきたその声は、どこかのんびりしていて、空気を読まない。私は、胸の中にたまっていた苛立ちをそのままぶつけた。
「真剣にキラを捕まえる気あるの?」
バースデイは一瞬だけ動きを止め、こちらを見た。彼の瞳は、ただのんびりしているわけじゃなかった。薄く笑っているようでいて、底の見えない深さがある。
「ある。で?答えは?」
「──Lと協力した方が、キラを捕まえるかも」
「Lと協力。うん、それは良い!うんそうしよう!」
私の一言に、バースデイはほんの一瞬沈黙し、それから明るく手を打った。
「しかし、標的のLと手を組むのはナンセンスじゃない、かあ?」
「標的?Lは私たちの“仲間”でしょ?」
「仲間?……仲間?──ん?仲間?」
バースデイは目線を宙に向け、考えるそぶりをしたかと思うと、首をかしげながら言った。
「違う、仲間じゃあない」
その言葉は、あまりにもはっきりしていた。
「目標は、超すためにある。Lは“超える対象”であって、“寄り添う仲間”じゃない」
「……そんな……」
「競い合うためにある。勝たなきゃ意味が無い」
「勝つ?」
「そう。これはLとBのパズル、勝負だ。形を変えた探偵合戦」
探偵合戦……!
LとBによる探偵合戦がキラ事件を通して行われる──
「──シキ。君が“B”になるなら、それを知った上で、超えなきゃいけない。Lを、そしてBを」
彼の瞳がまっすぐ私を射抜いてくる。
後継者とはただの継承じゃない。Bのプライドを掛けて戦いを引き継ぐということ。
それが、“名を継ぐ”ということだ──
「でも、まあ。うん、確かにいいところをついた、シキ。Lと協力の元、キラを追い詰めた方が良さそうだ。しかし──Lとコンタクトが取れない」
「いやいや、あなたなら取れるでしょ?」
「無理だ」
「ええっ!?」
あまりにもあっさり言われて、私は素っ頓狂な声を上げた。
「あなた身内なんでしょ!?しかも、Lの後継者候補って……なのに連絡すら取れないって言うの!?」
「うん、無理だ。連絡手段はBにも無い」
「嘘でしょ……」
Lって、そんなに隠れてるの?
信じられない。Bですら、会話もできないなんて……さすがコンピューター探偵……。
「……ぁー、じゃあ、警察!警察に連絡しよう。Bですって」
「警察?」
「うん!だって、全国中継するくらいだよ?警察とLは手を組んでるに決まってる」
「なるほど、だから警察に名乗り出れば、Lの方から接近してくると」
「そうそう。Lは興味があれば動くはず。あなたがいかに魅力的にLを誘い込むかで変わってくる──色気が試されるね?B」
冗談混じりに言いながら、私はニヤリと笑った。
ほんの軽口。だけど、その向こうにある覚悟も、きっと彼には伝わっている。
バースデイはしばらく沈黙したまま、まっすぐに私を見つめていた。
「色気はシキの方が持ち合わせてるだろう」
「っ!」
不意の言葉に、胸が一瞬跳ねる。
でも彼は表情を変えずに続けた。
「でも、Lの興味は引ける。それで充分だ」
当たり前のように、それだけを言って彼はまたパソコンに目を落とした。
ふいに、ストーブの熱がやけに強く感じられた。それは顔に当たっていたからなのか、それとも、不意に言われた言葉が、胸の奥に灯をともしたからなのか。
軽口なんて叩くんじゃ無かったと後悔し、口を噤んだ。
「それで?シキならどうLを焚き付ける?」
「……そうね……Lにメッセージを送る。警察には分からないような文にして、Lにしか解けないようなメッセージを送るの」
BがLに協力するという内容を上手く伝えれば、Lは直ぐに動くはず。そして、BがBであるときちんと証明したメッセージを送れば良い。
「LはBに興味を示し、Lから接近する──」
いつもよりも不気味に笑っているバースデイ。パソコンをこっちに向け、呟いた。
「──くっくっくっくっ。うん、うん、よく出来てる、合格だ。シキ、それでいこう」
そう言ってバースデイは先程編集していた一枚の画像を見せた。
「あはっ!」
その瞬間、私の口元にも自然と笑みが零れる。
画面には漆黒の背景に、血のような赤で描かれた一文字。
『B』
とうとう動き出す。
この舞台上にいるはずのなかった存在──
Beyond Birthdayが、また一歩、世界に足を踏み出す。
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