テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
第6章 完璧の仮面、いつも通りの朝
翌朝、生徒会室。
ミンジュはいつものように、一番早く部屋に入っていた。
制服は整っていて、表情も声も凛としている。昨夜、何かがあったことを感じさせる要素はどこにもなかった。
机に整然と並べられた資料。
スケジュール表の進捗管理。
昨日残った仕事も、今朝にはすでに完了していた。
まるで、何もなかったかのように。
「おはようございます」
そう口にした彼女の声も、変わらない。柔らかく、穏やかで、誰に対しても平等な挨拶。
そこに続いて、メンバーがひとり、またひとりと入ってくる。
ナムジュンは黙って頷き、データベースの確認へ。
ホソクは手帳を開いて、ステージ進行の修正に取りかかる。
ユンギはヘッドフォンを片耳だけ付け、音響機材のリストチェック。
誰も“昨夜の出来事”について口にしなかった。
──気づいていないふり。
──忘れたふり。
──聞こえなかったふり。
ミンジュは完璧に振る舞う。
誰よりも冷静に、優雅に、確実に。
生徒会の空気は、昨日までとほとんど変わらない。
けれどほんの少しだけ──静かすぎる。
ミンジュはそれに気づいていた。
でも、気づかないふりをした。
感情を交わさない関係。
それが一番楽で、安全で、壊れない。
そんな中、不意に一人だけが言葉を発した。
「……会長」
視線を上げると、そこにはジョングクがいた。
彼は普段通りの無表情で、机の上に資料を置きながら、わずかに口を動かす。
「昨日の資料、三分割にしておきました。……無理はしない方がいいです」
それだけだった。
声のトーンに変化はない。
表情も、何も読み取れない。
けれど、彼の言葉には──たしかに“意図”が含まれていた。
ミンジュは一瞬、言葉に詰まりかけたが、すぐに表情を整えて頷いた。
「ありがとう、ジョングクくん。助かるわ」
そして、それ以上は何も言わなかった。
それが、“完璧な生徒会長”としての彼女の限界だった。
⸻
その日の活動も、何事もなかったように進んでいった。
文化祭準備は順調に進み、生徒会メンバーも的確に動く。
全ては順調。全ては“理想通り”。
けれど──
ほんの少しだけ、空気の中に混じった“人間味”。
それは、キム・ミンジュという完璧な存在にとって、ほんの一滴の水だった。
染み込むのか、弾かれるのか。
それはまだ、誰にもわからない。
⸻
第7章 壊れた均衡
文化祭3日前。
準備は佳境。生徒会は連日夜遅くまで対応に追われていた。
資料作成、配置チェック、緊急対応、生徒からの要望とクレームの整理。
当然のように教員の手は回らず、「困ったらミンジュに」という空気はもはや当然のように根付いていた。
そんなある日の夕方。生徒会室に、1年生の女子生徒がひとり、顔色を変えて飛び込んできた。
「会長……少し、お話いいですか……?」
ミンジュは即座に立ち上がり、生徒を別室に案内する。
⸻
話を聞いたのは、図書室裏の誰も来ない個室。
そこで、女子生徒は泣きながらぽつりぽつりと語り始めた。
「……○○先生が……文化祭の準備のことで個人的に話したいって言ってきて……部屋に呼ばれて、肩を触られて、“すごく大人っぽくなったね”って言われて……怖くて逃げてきたんです……」
静かに、けれど凍るような感情がミンジュの中で膨れ上がる。
その教師の名前は、ミンジュもよく知っていた。
いや──すでに自分が何度もされてきたことだった。
──「頑張ってるね」「キミってほんと魅力的だよね」「将来楽しみだなぁ」
そのすべてを、ミンジュは“効率”のために笑顔で流してきた。
自分ひとりが我慢すればいい。
生徒のため、円滑な運営のためなら、適当にあしらえば済むことだった。
でも。
他の生徒に、それを向けた?
その瞬間、ミンジュの中で何かが音を立てて割れた。
⸻
その夜、生徒会室。
ミンジュはひとり、静かに書類整理をしていた。
いや、整理している“ふり”をしていた。視線は止まり、ページは開かれたまま。
顔は何も映さないが、指先が小刻みに震えている。
そんな時。
またスマホが鳴った。
画面には、“スヨン”の名前。
躊躇なくスピーカーにして、机に置く。
「……もしもし」
『なにその声。大丈夫?』
「……うん、全然大丈夫じゃない」
それは、冷静でも、おしとやかでもなかった。
『あ、はい、出ました。素ミンジュさんですね〜。で?今度は誰に殺意沸いてるの?』
「○○先生。あのクソが他の子に手ぇ出しよった」
その言葉の温度が一気に変わった。
机を強く叩く音。椅子がわずかに揺れる。
『……マジで?他の子に?』
「ウチの子やで?必死に準備して、泣きそうになりながら頑張ってる子に。そんな子を“可愛いね”とか言って触ったんや。ふざけんなや。あいつ、自分がつまらんくなったら他の子行くん?そんな都合いい話あるか?」
『うわ……それはほんまにクズ。なに?なにする?殴りに行く?』
「殺したいくらいやで。もう“私が我慢すれば”の範囲超えてんの。ウチが黙ってるから、他の子になら何してもええって?調子乗んなってマジで。こっちは人間守ってんねん。あんなゴミの機嫌取るために笑ってたんちゃうっつーの」
ドスの効いた声。言葉選びも容赦ない。
『……あんた今、生徒会室?スピーカーにしてないよね?』
「してるわけないやろ、さすがに──」
その瞬間、
扉が、ゆっくり開いた。
「……」
「……」
「……」
BTSの7人、再び登場。
手には書類、ペン、PCケーブル。
そして、完全に聞いてしまっていた。
スピーカーは、机の上。
ミンジュの目の前で、親友の声が続いていた。
『……おい、アンタ今誰か入ってきたやろ……?』
ミンジュはゆっくりとスマホを取り、通話を切った。
深く、長い呼吸。
顔にはもう「完璧な会長」の仮面が戻っている。
「……お疲れさまです。資料の件、席に置いておいてください。確認します」
ジンが目を細めた。
ホソクは、一瞬だけ視線を外した。
ジョングクは無表情のまま、ゆっくりと頷いた。
誰も言葉にはしなかった。
ただ──全員が、知ってしまった。
完璧な生徒会長、キム・ミンジュの中にある
本物の怒りと、
生徒を守るための覚悟を。
⸻
第8章 沈黙の中に宿る温度
翌日、生徒会室。
ミンジュは、昨日と寸分違わない態度で部屋に現れた。
制服は完璧。表情も柔らかく、声のトーンも変わらない。
資料を手際よくさばき、依頼された調整を片っ端から処理していく。
彼女はいつもの“キム・ミンジュ”として、何事もなかったように振る舞っていた。
まるで昨夜、自分が机を叩いて怒鳴り散らした相手ではないかのように。
しかし、空気は微かに違っていた。
誰も何も言わない。
けれど、誰も彼女を**“前と同じようには見ていなかった”。**
ジンはファイルを渡すときに、いつもより少しだけタイミングを合わせて目を見た。
ホソクは、会話の終わりに「無理しないで」とごく自然に、しかし確実に添えた。
ナムジュンは、資料に記載ミスを見つけたが、それを指摘せず自分で修正して戻した。
ジミンは、自分の担当分をこなしたあと、無言でミンジュの未処理の山からひとつ持っていった。
ユンギは何も言わなかったが、目の前で缶コーヒーを置いていった。
テヒョンは、別件で先生と話す際、明らかに距離感を変えていた。
そして、ジョングクは──
「……会長、文化祭当日の各教室確認、こっちで回ってきます」
「……そう。ありがとう、ジョングクくん」
「何かあれば言ってください。全部じゃなくていいです」
それだけ。
でも、その「全部じゃなくていい」という言葉に、ミンジュは一瞬だけ動きを止めた。
彼女は、何も言わず頷いた。
⸻
その日の昼休み。
職員室の前の廊下で、件のセクハラ教師が女子生徒に声をかけているのを、ミンジュは遠くから見ていた。
女子生徒は笑っていたが、目は笑っていなかった。
彼女はすぐにその場に歩み寄り、先生に声をかける。
「○○先生、少しよろしいですか?文化祭の管理表に記入をお願いしたいので、時間をいただけますか」
「ああ?今ちょっとだけど──」
「“今”、です。生徒との時間は、後に回していただけますか」
先生の表情がわずかに強張ったが、ミンジュはにこりともせず、ただ静かに目を見ていた。
その背筋の通った態度に、先生は「あー、はいはい」と苦笑しながら職員室へと戻っていった。
後に残された女子生徒が、小さく呟く。
「……ありがとうございます、会長」
「大丈夫。私が全部見てる」
その声は柔らかい。でも、絶対に揺らがなかった。
⸻
放課後。
生徒会室に残ったメンバーは、いつものように作業を進めていた。
だが、全員が知っている。
ミンジュは、自分よりも他人のことを怒る人間だ。
自分が何をされても耐えられる。
でも、自分の“守るべき誰か”が傷つくことだけは、絶対に許さない。
その背中を、7人はただ静かに見ていた。
彼らの目に、少しだけ色が宿っていた。
⸻
そして、文化祭当日が迫る──
完璧に組まれたスケジュール、
完璧に進む準備、
そして──完璧に感情を封じた会長。
けれど、その中で少しずつ芽吹き始めていたものがある。
それは、ミンジュに対する「感情」ではなく、「理解」。
7人の誰もが“彼女を守る”とは言わない。
でも、**「彼女を放っておかない」**という選択が、静かに心のどこかに芽生え始めていた。
⸻
第9章
その瞬間、空気が変わった
文化祭前日。
校舎の中は、熱気と焦燥で満ちていた。
「会長、音響トラブルで体育館のマイクが一部使えません!」
「放送部の予備マイクを借ります。使用枠に確認を入れて、15分以内に再調整してください」
「はいっ!」
飛び交う声と走る足音の中、ミンジュは普段通り、生徒会長としての任務を淡々とこなしていた。
一人ひとりに平等に対応し、正確に判断し、すべてを把握して動かしていく──まるで舞台監督のように。
そのときだった。
視界の端に、不自然に開けた倉庫室の扉が映った。
不自然な角度、そして微かに聞こえる、押し殺したような声。
違和感。それは一瞬で確信に変わった。
ミンジュは一言も発さず、足音も立てずに歩き出した。
それは静かなのに、どこか異常な“速さ”を感じさせる移動だった。
──そして、扉を開けた瞬間、彼女は“見てしまった”。
女子生徒の制服が乱れ、後退りしながら肩を押さえ、目には怯えた光。
その正面には、あの教師。
手は、生徒の腰に触れていた。
空気が、凍った。
教師が振り返る。
「あっ、会長……これは――」
「……今、何をしていましたか?」
ミンジュの声はいつもと同じ。
静かで、明瞭で、よく通る声。
けれど、その場にいた誰もが理解した。
彼女は、完全に怒っていた。
目の奥が鋭く光る。
声に込められた静かな怒気が、空気を刺すように走る。
「あなたのその手、触れてはいけないところに触れていましたよね」
「い、いや……これは、生徒と少しコミュニケーションを……っ」
「“コミュニケーション”と呼べるものではありません」
一歩、ミンジュが踏み出す。
その足取りは静かだが、重かった。床が軋むような圧を纏っていた。
「文化祭前日のこの時に、生徒を一人倉庫室に呼び出して、個人的に体へ接触していた。これが“教育的配慮”に基づく行為だと、本当にお考えですか?」
その瞬間、教師の手がミンジュの腕をガシッと掴んだ。
ガシッ──
「……っ!」
教師の手が、ミンジュの腕を掴んだ。
「いい加減にしろよ。俺を敵に回して、ただで済むと思ってんのか?」
制服の袖越しに、明らかに力が入っていた。
赤くなっていく肌。けれどミンジュは、動じなかった。
「……手を離してください。今すぐに」
「なに様のつもりだ、生徒のくせに──!」
「生徒会長です」
教師がたじろぐ。
「私は、生徒の安全を守る責任を持つ立場です。ですので、あなたのその行為は見過ごせません。……手を、離してください」
冷たく、はっきりとした声。
決して怒鳴らない。
だけど、空気を支配する強さがそこにはあった。
──その時。
「……会長」
静かに扉が開く音。
振り返ると、BTSの7人がそこにいた。
手には配線用の書類や装備。どうやら偶然、現場に来てしまったようだった。
けれど、誰一人、空気を読み違えなかった。
ジョングクがすっと前に出て、教師の手に視線を落とす。
「その手、離してください」
ジンが静かに女子生徒の横に立ち、そっと離すように視線で促す。
ナムジュンはミンジュの腕を見て、表情を微かに曇らせた。
ホソクは何も言わないが、真顔で教師をじっと見つめていた。
ユンギの視線は鋭く、テヒョンの立ち方は“壁”そのものだった。
ジミンは、生徒の表情にだけ集中し、支えるように優しく立っていた。
テヒョンは、ゴミを見るような視線で完全に相手を封じていた。
教師は、ひとつ息を吐き、渋々手を離した。
ミンジュは微動だにせず、そのまま教師を見つめていた。
「……この件については、生徒会として正式に報告・提出させていただきます。校長・教頭・倫理指導担当に、責任をもってお伝えします」
「……!」
「あなたがそれを不服とするなら、教師という立場で然るべき手段を取ってください。私は、生徒のために動きます。それが“会長”としての務めですから」
そのまま、ミンジュは女子生徒の方に顔を向け、穏やかに微笑む。
「もう大丈夫です。……私が一緒に行きますね」
BTSの7人は、何も言わなかった。
けれど、ミンジュが生徒を守り、その覚悟を全身で示した瞬間を、
彼らだけが確かに目撃していた。
⸻
⸻
第10章
「私は、黙りません」
翌日。午前9時30分。
ミンジュは、生徒会の報告書と証言記録を手に、職員室の奥──教頭室へと向かった。
制服の襟元を正し、髪をきちんとまとめる。
まるでいつも通りの彼女の姿。
けれど、手にしている書類の重みは、今までとは比べものにならなかった。
ノック。
「失礼いたします。生徒会長のキム・ミンジュです」
中にいたのは、教頭、倫理担当の教員、そしてあの教師と懇意にしている複数の中年教師たち。
彼らは、ミンジュの顔を見るなり微妙な表情を浮かべた。
「……文化祭前で慌ただしいのに、何の用件かね?」
ミンジュは静かに一礼し、持っていた資料を机の上に置く。
「昨日発生した、不適切な教師の言動および接触行為について、生徒会として正式に報告を提出いたします」
空気が張り詰めた。
教師陣の中には、あからさまに顔を曇らせた者もいた。
「ミンジュ会長……君の立場はわかるが、これは少し行き過ぎではないかね」
「どこが“行き過ぎ”か、ご指摘いただけますか?」
彼女は微笑みながら、けれど一切の妥協もなく切り返す。
「この中にあるのは、事実のみです。主観や誇張は入っておりません」
「だが、証拠は?」
「現場で私が目撃し、被害生徒の証言も得ています。今後必要であれば、第三者の確認も可能です。……ただ、私がここに来たのは“処罰”を求めるためではありません。生徒を守る仕組みの不在を、はっきりさせるためです」
「そんな言い方をされては、こちらの立場も──」
「“立場”よりも、“安全”を優先してください。もし、今ここで私がこれを提出しなければ、次に傷つく生徒は、私の責任になります」
静かで、凛とした声だった。
いつものように丁寧な口調、いつものように冷静な目線。
でもその中にあったのは、明確な意志だった。
「……わかった。内容は受理しよう。ただし、処分には慎重を要する」
「承知しております。生徒会として、今後の対応を注視させていただきます」
ぴたりと頭を下げる。
誰よりも“礼儀正しい反抗”だった。
⸻
職員室を出た直後。
生徒会室に戻る途中で、ミンジュは廊下に立っていたナムジュンとすれ違った。
彼はミンジュの顔を見ると、一言だけ言った。
「……すごいな」
ミンジュはきょとんとした顔をして、笑って返した。
「何が?」
「“生徒会長”って、ほんとに全部背負うんだね」
「ええ。だってそれが、仕事ですから」
さらりとそう答えるミンジュの背中に、
ナムジュンは何も言わず、ただ一瞬目を伏せてから、小さく頷いた。
⸻
午後。
校内掲示板に、一通の文書が張り出された。
【生徒会:文化祭準備期間中に発生した問題への対応】
そこには、加害教師の名前こそ伏せられていたが、
“生徒が不安を抱く状況があったこと”と、“今後の防止策”について、生徒会の方針が記されていた。
生徒たちの間に、静かなざわめきが広がる。
──「これ、会長が出したの?」
──「マジで本気なんだ……」
──「あの人、本当に“言葉通り”の人なんだな」
一部の生徒は、その張り紙の前で立ち止まり、長く目を通していた。
中には、小さく拍手をして去っていく女子もいた。
⸻
その夜。
生徒会室の片付けを終えたミンジュが、やっと椅子に腰を下ろしたとき。
コンコン。
ノックの音に振り返ると、ジミンがドアを開けて顔を覗かせた。
「……疲れてるでしょ?」
ミンジュは微笑んで返す。
「大丈夫よ。まだやることがあるから」
ジミンは部屋に入ると、机の上に紙袋を置いた。
「これ、購買で買ってきた。甘いの好きでしょ?」
「……ありがとう」
静かなやりとり。
それは、感情を交わすというよりも、“労い”という言葉を知らない人間たちの、やっとのコミュニケーションだった。
ミンジュは、袋の中のチョコパンを見て、小さく微笑んだ。
「……甘いのは、ちょっとだけ癒されるから」
「うん、それでいいんだよ」
その言葉が、なぜか心に響いた。