テラーノベル
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それは、ほんの一瞬の油断から始まった。
「っテツ!! 後ろ────」
鋭い叫びに反応が遅れ、瞬きの間に視野の端に移ったのは、ゴーグル越しでも眩しいくらいの黄金色に煌めく雷光。それが尾を引いて見えなくなるまでにかかった時間は、およそ0.1秒にも満たないだろう。
振り返りそびれた背後からものすごく嫌な音がして、次に花びらがぶわりと舞った。
──花びら?
「……リトくん?」
念の為呼んでみるが、返事は返ってこない。足元には色とりどりの花が咲き乱れている。
白、黄色、青、みどり、ピンク。何かを取り囲むように地面を埋め尽くさんばかりそれらを、しばらく呆然と見つめる。
「リトくん、」
もう一度、震える声で呼びかける。
やっぱり返事が来ないので、爪先をその小さな花畑に向けて、一歩、また一歩と近づいていく。
嫌な予感がする。
いや、何が起きたのかはわざわざ見なくとも直感で理解していた。しかしそれを受け入れることを脳が拒否している。
確かめないと。
吐く息ばかり荒い呼吸をしながら、ゴーグルのベルトに指をかける。上手く指先に力が入らなくて、何度も手を滑らせる。
ちゃんとこの目で見て、確かめないと。
ようやく何とかゴーグルを剥ぎ取ると、暗くくすんだ視界がクリアになって、リトくんを覆う花たちの正体を知る。
「────ぁ、」
僕が覚えているのは、ここまで。
§ § §
僕こと、佐伯イッテツのゴーグルにはヒミツがある。
暗視装置・望遠レンズ付き、市民の皆さんを怖がらせないための表情代理表示機能もついている上に見た目ももちろん超かっこいいこのゴーグルだが、中でも一番大事な役目は『脳内変換フィルター機能』だ。
技術者じゃないから僕にもよく分からないんだけど、ざっくり言うと「ストレスの脳波をキャッチすると、その原因となる対象物を別のものに変換して認識させる機能」……がついているらしい。ちょっとよくわかんないよね、もっとわかりやすく説明しようか。
まず「ストレスの原因となる対象物」。これは僕の場合、血とか怪我とか、とにかくそういうグロ注意なものを指す。戦闘中にうっかり血がブシャーってなった場合、その時点で僕はもう使い物にならないからね。
そしてそれに置き換わる「別のもの」。これは場合によるっちゃよるんだけど、大体は花に変換されることが多い。僕は花に詳しくないから種類とかはよく分からないけど、結構バリエーションとかあるしファンシーな感じに見えるかな。
でもこれはあくまでそう認識させられているだけであって、僕が実際血とかを見ていることには変わりない。変身スタイルになると現れるネコミミみたいなパーツが僕の脳をアレしてくれるおかげで、僕はいつも快適に戦闘ができるんだ。かがくの ちからって すげー!
……なんて現実逃避をしたところで、現状が何か変わるわけじゃないんだけど。
「……テツはほんまに病室まで行かんでええの?」
「う、うん……」
ヒーロー本部に隣接されている病院のロビーにて、マナくんに最終確認を取ってくれる。
先日の戦闘でリトくんは大怪我を負い、一命は取り留めたものの未だに意識は戻っていない。つい昨日集中治療室から出て面会ができるようになったため、Oriens全員でお見舞いに来ている──んだけど。
「何度も言うてるけど、リトの怪我は別にテツのせいやないで」
「ん……いや、僕のせいだよ。僕を庇ってリトくんは怪我をしたんだ。そこを言い訳するつもりはないかな」
「言い訳って……」
「僕は大丈夫だから……先生の話も、2人で聞いてきてくれると嬉しい」
マナくんは何か言いたげに口を開いたけど、またすぐにつぐんでしまった。マナくんは優しいから、落ち込んでいる僕に強い言葉をかけないようにしてくれているんだろう。いつも気を遣わせちゃって申し訳ないな、僕に返せるものが何かひとつでもあればいいんだけど。
「……いや、僕は引きずってでも連れてくよ」
それまで黙っていたウェンくんが語気を強めて僕に言う。
片手に持った大きなカゴには日持ちのする果物がたくさん入っていて、目が覚めたら食べさせてあげるつもりだと言っていたっけ。さすがにその時『本当にいつかは目が覚めるのかな』なんて弱音は吐けなかったけど。
ウェンくんはそのカゴを僕に押し付けて、じっと僕の目を見つめた。
「怪我させたって負い目があるんなら、尚更会いに行かないでどうすんの? これからリトが退院するってなった時だけノコノコ出てきて『治って良かったね〜』とか言うつもり?」
「っそれは……」
ウェンくんの歯に衣着せぬ言葉が、ナイフみたいに僕の心臓を貫いた。
そうだ。僕はいつもこうして最悪の想像ばかりして、次にどう行動するかを考えるのをやめてしまう。
今回だってそうだ。真後ろに影が迫っていることには気付けたのに、どうせ残機があるし死んでもいいや、なんて諦めてしまったから逃げるのが一瞬遅れてしまった。リトくんは例え残機があったとしても見捨てられないお人好しだって、よく分かっていたはずなのに。
ぐらつきかけた僕の心を更に揺さぶるように、マナくんもそれに加勢する。
「せやせや! リトが目ぇ覚ました時真っ先にごめんなさいせんとやろ? やったら今のうちに通っとかな」
「……でも、リトくん怒ってないかな」
「怒ってるんじゃない? テツが捨て身で行動したこと。だからこそ謝んなきゃ」
そうかな、やっぱりそうかも。そんな気がする。
ウェンくんの言葉と声には妙な説得力があって、それをマナくんが補強していくせいで、いつもどれだけ強引な理論を展開されても丸め込まれてしまうから不思議だ。
また後で悔やむことになったとしても、この2人の口車に乗せられてしまったら最後、降りる方法なんて無い。
お腹にグッと力を込めて、深く息を吐く。
覚悟を決めろ、イッテツ。
「……わかった。僕も病室まで行くことにする」
「よう言うたテツ!」
「そうそう、その意気!」
ウェンくんに差し出されたカゴを受け取って、文字通り2人に背中を押されつつリトくんの病室に向かうことにした。
リトくんの顔を頭の中で浮かべた時、一面に広がるあの赤色を思い出さぬよう掻き消しながら。
§ § §
「ッ……やっぱ無理かも……!!」
「何言うてんねん今更」
「ほら早く入った入った〜」
リトくんの名前が書かれたプレートを前にして怖気付く僕に、2人は力づくでドアをこじ開けようとする。
待ってくれよ。僕にだってこう、心の準備とかがあるんだよ。
ドアの手すりにしがみついて駄々を捏ねる僕を、看護師さんや患者さんが冷ややかな目で見つめる。病院で騒ぐなって教わらなかったのか? とでも言わんばかりの顔つき。冷たいねぇ都会の人は……えっ違う?
「あーもうまどろっこしいなぁ! 行くって言ったのテツでしょ、せめて顔ぐらい見て帰れよ、って! マナ!」
「よし来た!」
「うわっちょ、押さないでマナくん……!」
ウェンくんが僕の手を手すりから引っ剥がし、マナくんが重心を失った僕を病室の中へと押し出す。なんて息の合った連携プレーなんだ、これを食らう敵はたまったもんじゃないな。
何とか転けずに足を踏み込むと、がらんとした相部屋の奥の一画だけがカーテンで仕切られていた。ここは元々あった病院を再利用したものだから、利用数は少なくても個室はほとんど使われていないらしい……というのは、僕がヒーローになったばかりの頃リトくんに教えてもらった知識だ。
ウェンくんとマナくんからの無言の圧を後ろから感じつつ、その清潔なアイボリーのカーテンに近づいていく。
隣のベッドとの隙間に入って、カーテンの端に指をかける。
「お、お邪魔しま────……」
そっと覗いた僕の目に飛び込んできたのは、ベッドに横たわるリトくん──を覆い尽くさんばかりの、花、花、花。
あの時と全く同じ花。同じ景色。
ひゅっ、と喉の奥から空気が漏れて、急速に頭が冷えていくのがわかる。
「──な、なんで、」
咄嗟に目元に手を当てる。指先は硬化プラスチックに触れることなく、空を切って前髪を乱すだけだった。
当たり前だ、今は変身してもいなければ、ゴーグルを着けてもいないんだから。じゃあこれは現実で、じゃあどうしてリトくんは花に埋もれているのか。
全ての音が一瞬遠のいて、いつの間にか僕はカゴを落としてしまったらしい。ウェンくんとマナくんの慌てる声に何も反応できず、ただ目の前の光景から目を離すことができないでいた。
足に力が入らなくなって倒れそうになった僕をマナくんが支えてくれる。
「ちょ、テツ!? どないしたん、急に!」
「っだ、だって、なんで、花が──」
「……花?」
困惑したマナくんの顔と、カーテンの内側を交互に見比べる。
「……もしかして、マナくん達には見えてないの?」
「…………テツには何が見えとるん?」
質問を質問で返されて、目眩がした。
どうやらこの花が見えているのは、僕だけらしい。
§ § §
「──いわゆる、PTSDの一種でしょうね」
そう告げる無機質な主治医の声を、どこか他人事で聞いていた。
PTSD──強い精神的なストレスを受けたことによって、フラッシュバック、不眠、パニックなどの症状が起こり、日常生活に支障を来たしている状態のこと。またの名を心的外傷後ストレス障害。
当然聞いたことはある。ゲームでだけど。でもまさかそれが自分の身に起こるなんて考えもしなかった。だって僕はそれを避けるために、わざわざあんなゴーグルまで用意してもらったのに。
「……佐伯さん?」
「あ、え、ああ……すみません、ちょっと自分でも、受け入れるのに時間がかかって……」
「無理もないことです。カウンセリングの結果から……幻覚以外の症状は出ていなかったようですから、かなり限定的なものだと思われます。……それと──」
先生はもう一枚分厚いファイルを手に取って、何度か目を通してから僕に向き直った。
「佐伯さんは、普段ヒーローとして活動してらっしゃるようで」
「あっ、はい! 若輩者ながら尽力させて頂いております」
「ではその活動を、しばらくお控えください」
「…………はい?」
言われたことの意味がわからない。
ヒーロー活動を控えろだって? ようやくインターンが終わって、これから本腰を入れて大っぴらに活動できるところなのに、よりによって今?
不満が顔に出ていたのか、先生は僕の顔を見てため息をつくと、ファイルに綴じられている資料を一部見せてくれた。
「佐伯さん、貴方が普段使用しているデバイス──特に、このゴーグル。これはあくまで医者の立場から言わせてもらえば、健康な人間が常用するべきものではありません」
「……というと?」
「これはですね、頭頂部に設置したアンテナから脳波をキャッチして、同時に視界をジャックする……専門外ですので詳しいことは分かりませんが、とても高度な技術だと思います。けれど同時に、脳にとても強い負荷を与えるものでもあるんですよ」
資料は英語で書かれているので断片的にしか読めないが、あらかた先生が言ったのと同じような内容だった。というか、それに関してはヒーローになる際に死ぬほど説明されたし同意書的なものも死ぬほど書かされたので、今更おさらいをするまでも無いと思うんだけど。
僕が資料に目を通したことを確認すると、先生はファイルを閉じてこちらに向き直った。
「……言葉を選ばずに言えば、到底人間に使用していいものではありません。進行形で脳はストレスを受けているはずなのに、視覚情報を操作することでそれを打ち消しているわけですから。どれだけ精密に作られていたとしても、視覚情報と精神に必ずズレが生じるはずなんですが……思い当たることはありませんか?」
「……ええと……」
視覚情報と精神の間に生じるズレ。正直に言って、全く感じたことがない。
僕は元々視力が良い方だし、動体視力の検査なんかも毎回良い成績を出してきた。そして目の前に例の如く花畑が現れた時、僕はそれを即座に『何かが花に変換された光景』と認識した上でストレスなく見渡すことができている。
無い、と断言できてしまう。またもや言い淀む僕に先生は、やるせないといった表情で軽くため息をついた。
「……『適合』。つまり、そういうことなんでしょうね」
先生はしばらくファイルと見つめ合った後、引き出しから別の書類を取り出して僕に手渡した。6秒ぶりに見た先生はさっきまでと何も変わらない、無機質な顔をしている。
「とにかく、症状が落ち着くまではヒーロー活動を休むか、デバイスの使用を避けてください。処方箋は出しておきますが──これはあくまで症状を抑えるものであり、貴方の心を治すものではありません。今は休息が1番の薬だとお思いください」
「…………はい」
納得はしていない。それはきっと先生も分かった上で言っているんだろう。決して薄くはない書類の束を、僕は苦々しい気持ちで受け取った。
本部の方にはすでに話がついているんだろうか。ウェンくんとマナくんはなんて言うかな。ただでさえリトくんという主戦力を潰したくせに、僕はその償いすらもできないのか。
「お大事に」と無愛想な声を背中に受けながら、僕は診察室を後にした。
コメント
4件
文章の書き方もストーリーも何もかも好きです...( ; ; )
ひぃっ…話を作り出すのが上手すぎる…えぐい…(褒め言葉) まじでどんな脳みその構造したらこんなの書けるんだ…(すごい褒めてる)