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それはまさに、晴天の霹靂。轟音と共に曇天を貫く閃光を目の当たりにして、そんな言葉が頭に浮かんだ。
ここは本部から少し離れた訓練所。
定期的に行われるヒーロー適性検査を受けた後の、休憩室。
分厚い強化ガラスの内側から見るそれは、曇り空に慣れた目にとってあまりに鮮烈で、眩しくて、僕はすっかり心を奪われてしまった。
きっとあの先端には迷いなんかひとつも無いまっすぐな瞳のきみが、電光石火の如く駆け抜けているんだろう。ただでさえ美しいほどに鍛え上げた肉体に、強力なデバイスを使いこなして仮想敵を一掃する。
リトくんは、東の国の麒麟児と呼ぶに相応しかった。
でもきみは、本当はとても優しい人だから。
敵だろうが命を奪うことには未だに抵抗があるだろうし、その力は本来、助けを求める人の手を握るために鍛えたものなんだろう。
でもきみは、とてもとても強い人だから。
敵をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、雷を落としてこんがり焼き上げ、あっという間に骸の山を築き上げることができてしまうほど、きみの力はあまりに強大で。本当は道端の花を踏むことすら躊躇うほど優しい心を持ちながら、1人でも多くの人を救うためにきみは今日も敵の前に立つ。
その信念こそが何よりも強く優しく気高いのだと、僕は知っている。僕にとって目指すべき正義とは、ヒーローとは、まさにきみのことだった。
瞬く間に視界に満ちた光に、手元の『判定 E』と書かれた紙をくしゃりと握りしめる。
思い出したようにヘドロのような劣等感が這い寄ってきて、「喫煙所どこだっけな」なんて呟いて思考と目を逸らした。
§ § §
単純作業をしていると、いかんせん余計なことを考えてしまっていけないな。慣れない折り鶴作りの最中、つい数年前の出来事を思い出しながら僕は思った。
あれはまだ僕がヒーローを志し始めたばかりの頃。久しぶりに見たリトくんは昔と何にも変わらないまま、立派なヒーローになっていた。うっかり呪いをかけられたせいで大学3年生から抜け出せなくなった僕と比べて、彼はあまりにも遠い存在になっていて。
今は奇跡的に再び同じ場所に立てているけれど、それもつい昨日取り上げられたばかりだ。
「……ほんで? ライはなんて?」
青い折り紙で鶴を折りながら、突然マナくんが聞いてくる。僕は次の紙へと伸ばしかけた手を止めて先に答えることにした。
「えっと……実物も送って見てもらったんだけど、特に異常は無いらしいんだよね。西の方ではあんまり無い技術だから詳しいことは分からないけど、故障とか破損は見当たらないって」
「じゃあやっぱ、テツのメンタル的な問題なんかな」
そう言って唸り声を上げつつ、鶴の翼の部分を器用に折り広げていく。几帳面なマナくんの折った鶴は角もぴったり重なっていて、白いところが少しも見えないのがすごい。
僕の折った鶴はこんなにもガタガタなのに、と手元を見つめた後に視線を少し上げる。春の柔らかい西陽が病室に差し込んで、相も変わらず瑞々しく咲いた花を鮮やかに照らしていた。
昨日あれからアジトに戻った後、ウェンくんとマナくんに全て話すことにした。今の僕にはリトくんの周りだけ花が咲いて見えること、どうやらそれがPTSDによる幻覚らしいということ、そしてそのせいでヒーロー活動をしばらく休ませてもらうことになって、2人には迷惑をかけるということ。
どうせ本部にはすでに伝わっているんだろうし、2人に拒否権はない。それが僕には心苦しくてたまらなかったけど、ウェンくんもマナくんもむしろ僕の方を心配してくれた。僕は本当に良い仲間を持てたんだなと改めて実感して、思わず目頭が熱くなった。
それで──この幻覚はゴーグルにも原因があるんじゃないかという話になって、西の国のメカニックであるライくんに見てもらおうということになった。こちらの国の技術者でも別に良いんだけど、組織を組んでいる以上機密事項というのはどうしてもあるものだから。……というのはライくん本人の談。
無事届いたという連絡の後1時間も経たずに長文のメールが届いた時は流石にびっくりした。
要約すると、『生体機能拡張デバイスとしては正常に稼働するものの、そもそも性能に癖がありすぎて正しく機能しているのかまでは判断がつかない。とりあえず暴走した痕跡は見当たらないので幻覚の原因ではなさそう。あと硬化プラスチックがこんなに傷だらけなの見たことない。もっと丁寧に扱え。ついでにこんなの身体に負担かかるに決まってるんだから乱用しないで使い所を見極めて使えよ』とのこと。後半ほとんど説教だったな。
マナくんはもう次の折り紙に手を伸ばしている。気休めに千羽鶴を作るって言ったのは僕だけど、もしかして本当に千羽折るつもりなんだろうか。
「まぁ、しゃーなしやろ。誰でもメンタル弱ることくらいあるって。そんな気ぃ落とさんでも──」
「……僕、メンタルは強い方だと思ってたんだけどなぁ……」
堪えきれずに漏れ出た弱音に、マナくんは暗い顔をする。こんなところで気を遣わせたいわけじゃないけど、今回ばかりは僕もかなり参ってしまっている。
僕はそもそも、技能的な面では全然ヒーローに向いていないのだ。力もなければ打たれ強くもないし、マナくんほどスピード特化なわけでもない。機械の扱いに長けてもいないし、特殊な能力を持ってもいなければ、隠密行動が得意でもない。ただちょっと身軽でデバイスに適合したというだけで、この場に身を置くことを許されているだけの半人前だ。
長い見習い期間を経てようやく本物のヒーローになれたっていうのに、いきなりこんなことになってしまって。どうにか精神性だけで乗り切ってきたのに突然はしごを外された気分だ。
「……でも、怪我したリトをここまで運んでくれたのはテツやろ」
「それ記憶ないんだよねぇ。僕はもう血見た時点で記憶途切れてて、てっきり他の誰かが運んでくれたんだと思ってたのに。昨日看護師さんに『あの時同行されてた方ですよね?』って急に聞かれてびっくりした」
「気失ってても怪我人は守り通すとかめっちゃかっこええやん」
「……そうかなぁ〜」
「せやでぇ〜」
空気が重くならないようにわざとおどけて言うマナくんに、なんだか泣きそうになってしまう。どうも本格的にメンタルが弱っているらしい。やっぱり優しいなぁ、マナくんは。そんな彼に気遣わせて俺何やってんだろ。
右手に乗せた不恰好な鶴を見つめながら自分の不甲斐なさを噛み締めていると、マナくんが「あっ」と声を上げた。
「やったわ。まーた翼開いてもうた。何とかこの状態から元に────……、」
「……? どうしたの?」
言葉を途中で切って、マナくんはそのまま固まってしまった。視線はリトくんの方に向いている。マナくんは何も言わないまま、とうとう唇を結んでしまう。
花が邪魔で僕には見えないけど、何か容態が変わっているんだろうか。途端に不安になってきて、花に埋もれている、恐らく顔があるであろう場所に耳を近づけてみる。さっきまでと何も変わらず、酸素供給機の稼働音しか聞こえない。
「……ごめん。何でもない。今リトが、……目ぇ覚ましたように見えただけや」
「ほ、本当に? ……何も変わってない?」
「うん。……ほんまごめん、俺も結構キとるみたいや」
マナくんはそう言って眉間を揉みつつ、顔を背けた。そりゃマナくんだって参っちゃうよな。いきなり主戦力のリトくんと、ついでに僕まで使い物にならなくなっちゃうんだから。今日だってウェンくん1人にパトロールを任せてしまっているわけだし。
もう一度リトくんの方を見る。今の僕にはリトくんの顔どころか、着ている病衣の色すら分からない。人型にこんもりと山を作る花々がまるで棺桶に敷き詰められたそれのように見えて、心臓が嫌な鳴り方をする。
「……ねぇ、マナくん。リトくんは、いつか本当に起きるのかな。もし、もしも……ずっと、このままだったら──」
「それは無い。絶対に。リトはそんな奴やないって、テツも分かっとるやろ」
マナくんはリトくんの方を向いたまま、きっぱりと否定する。その瞳は一切の迷いが無かった。
分かってるよ、それくらい。
リトくんは何度打ちのめされたって絶対に立ち上がれる、そんな強い『ヒーロー』だから。
でも、今の僕にはそんなヒーローの姿がどうやったって見えないんだ。あの太陽みたいに明るいオレンジ色も、側に居てくれるだけで心強い屈強な身体も、それに似つかわしくないくらい優しげで幼い顔だって、何にも見えやしないんだ。代わりに儚さの象徴でもある花なんかに囲まれちゃって、だからどうしたって不安で、どうしようもなく心細くて。
きみの姿が見えないだけで、僕の心はこんなにも不安定だ。
「テツ。お前もう帰った方がええで」
「……え? な、なんで?」
「お前今、自分の顔色めっちゃ悪いの気付いてへんやろ。待ってる側が死にそうな顔しててどうすんねん」
マナくんは僕を叱りながら、自分の下瞼をトン、と差した。それが意味することに思い至って、慌てて両手で覆い隠す。昨日も今日もよく眠れていなくて、隈がひどいことを指摘されているようだ。
「俺も別に責めてるんとちゃうから……あんま自分でも責めんと、元気んなってからまた明日来ればええやろ? な」
「……うん」
よっぽど僕がばつの悪そうな顔をしていたのか、マナくんは眉尻を下げて子供に言い聞かせるように言う。ぽん、と背中を叩く手があんまり優しくて暖かいから、何だか本当に子供の頃に戻ったみたいだ。
ベッドサイドに散らばった折り紙をまとめてコンビニ袋に入れて、収納棚にしまう。千羽鶴が完成する前に起きてくれるのが、本当は一番良いんだけど。
病室を出る前、最後にもう一度振り返ると、マナくんがこちらに手を振ってくれていた。「またね」と僕も小さく振り返して、早々にドアに手をかける。マナくんの向こう側に見える花々を、あまり長く見ていたくなかった。
コメント
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ずっと悶えてた、がちで、ホンマに… うぁあああああああああああああテツぅうううううあああああああああああ泣泣泣 ありがとうこざいます神よ……泣泣