テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
太中2連続怒らないで
幼児化中也は可愛い
ヨコハマの風が、いつもより冷たく感じられた。
中原中也は、自分の身に起因する最悪の事態に困惑するだけの知能すら、今の頭には残っていないことを自覚していた。いや、「自覚」という言葉すら大層すぎる。ただ、視界が異様に低いこと、いつも着ている漆黒の外套が、まるで布団か何かのように自分を包み込んで引きずっていること。それだけが、今の彼女の世界のすべてだった。
事の始まりは、敵対組織の異能力者による不意打ちだった。
ポートマフィアの最高幹部として、いつも通り敵を蹂躙していたはずが、気づけば視界がぐにゃりと歪み、身体が急速に縮んでいった。
異能の反動か、あるいは敵の執念か。中也の身体は、精神もろとも、およそ五歳児ほどの文字通り「ちっちゃくて弱い生き物」へと退行してしまったのだ。
「おやおや、これは困ったことになっちゃったねぇ、中也くん」
マフィアの首領、森鴎外は、机の上にちょこんと座らされた、ぶかぶかの服に溺れる幼い少女を見下ろして、困ったように、しかしどこか楽しげに顎を撫でた。
記憶は辛うじてある。自分がマフィアの人間であること、目の前にいるのが首領の森であること。けれど、それを処理する知能が完全に幼児のそれだった。難しい言葉は頭を素通りし、ただ「大変なことが起きた」ということしか分からない。きょとんと大きな青い瞳を見開く中也に、森は優しく言い聞かせるように微笑んだ。
「現在のポートマフィアは武装探偵社と停戦中だ。好都合なことにね。……いいかい、中也くん。君のその状態を治せるのは、世界にただ一人しかいない。探偵社へ行って、太宰くんに異能を無効化して貰いなさい。私たちが手を貸すと、またややこしい牽制が始まってしまうからね。君なら、一人で彼のもとへ行けるだろう?」
それは、五歳の子供に命じるにはあまりにも過酷な、けれど現在のパワーバランスを崩さないための、首領としての冷徹な、しかし中也を信頼しての指示だった。
「だざい」という響きに、幼い中也の胸がトクンと跳ねた。
そうだ。大好きな、そして憎たらしい、自分の恋人。彼なら、この苦しいくらいに小さくなってしまった身体を、元に戻してくれる。
「……ん、わかいまひた」
舌がうまく回らない。中也は、自分の外套の裾を両手でしっかりと握りしめ、ずるずると引きずりながら、首領の部屋を後にした。
しかし、現実は非情だった。
大人の足ならなんてことのないマフィアのビルから探偵社への道のりは、五歳の身体には果てしない荒野のようだった。
いつもなら一歩で進める距離が、十歩歩いても進まない。おまけに、大人用の衣服が重くて、すぐに足がもつれて転んでしまう。
「うぅ……、おもい……」
ヨコハマの雑踏は、ちいさな中也を簡単に飲み込んだ。見上げる大人たちの足は壁のようにそびえ立ち、車の音は獣の咆哮のように鼓膜を震わせる。
探偵社がどちらにあるのか、記憶の引き出しを探ろうとしても、幼児化した頭では引き出しの鍵がうまく開かない。ただ「だざいに会わなきゃ」という一念だけで歩いていたが、気づけば、薄暗い路地裏の片隅に迷い込んでいた。
「う、あ……、どこ、ここ……」
ぽろぽろと、大粒の涙が頬を伝って落ちた。
いつもなら重力を操り、誰も寄せ付けない孤高の幹部が、今はただの、迷子の泣き虫な女の子だった。
冷たいコンクリートの床に座り込み、ぶかぶかの服に顔を埋めて、ふにゃふにゃと声を漏らして泣く。誰も助けてくれない。怖い。寒い。だざい、だざい。心の中で、何度もその名前を叫んだ。
「おや。こんなところで、随分と可愛らしいお嬢さんが泣いているね」
頭上から降ってきたのは、聞き間違えるはずのない、軽薄で、心地よくて、大嫌いで、大好きな声だった。
中也が涙に濡れた顔を跳ね上げると、そこには砂色の外套をなびかせた、包帯を巻いたの青年が立っていた。
武装探偵社の太宰治。現在、彼女と秘密の恋人関係にある男。
太宰は、足元に転がっている「マフィアの幹部の服を着た幼女」を見て、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。しかし、すぐにその優れた頭脳ですべてを察したのだろう。彼はにやにやとした、底意地の悪い笑みを浮かべて中也の前にしゃがみ込んだ。
「やっぱりね。マフィアの周辺で『中也が敵の異能を喰らった』って噂が流れていたから、様子を見に来てみれば……。まさか、本当にちっちゃくて、弱っちい生き物になっちゃっているなんて」
「だ、ざ……っ、うああん!」
中也は、知能が縮んでいることも忘れて、目の前の男の胸に飛び込んだ。
太宰は一瞬、その小さな身体を受け止めるのに躊躇した。なぜなら、自分の異能『人間失格』は、触れたあらゆる異能を無効化する。触れた瞬間に、中也は元の二十二歳の姿に戻り、彼女を抱きとめる羽目になると思っていたからだ。
しかし。
「……あれ?」
太宰が中也の小さな背中に触れ、そのまま抱き上げても、ぽん、と元の姿に戻る気配はなかった。中也は相変わらず、五歳の愛らしい姿のままで、太宰の首にしがみついて泣いている。
太宰は少し目を見張った。触れても治らない。だが、中也の体内で異能の残滓が激しく抵抗しているのは感じられた。
(なるほど……。根が深い異能だね。一瞬触れただけじゃ無効化しきれない。どうやら、長時間触れて、少しずつ異能の術式を摩耗させていかないとダメらしい)
そう結論づけた太宰は、ふっと口元を歪めた。
つまり、しばらくの間は、この最高に無防備で、最高にちっちゃくて、最高に可愛い中也を、合法的に独り占めできるということだ。
「よしよし、可哀想に。怖かったねぇ、ちび中也」
太宰は中也をしっかりと横抱きに抱っこした。中也の身体は驚くほど軽かった。大人の頃の引き締まった肢体とは違い、まるでお菓子のように柔らかくて、壊れてしまいそうだ。
中也は太宰の胸に顔を押し付け、涙で彼のシャツを汚しながら、ふにゃふにゃと安堵の息を漏らしている。
「だざい……、だざい、あいたかった……」
「はいはい、会いたかったね。でも中也、君、マフィアの最高幹部なのに迷子になって泣くなんて、前代未聞だよ? 格好悪いねぇ」
「うう……、だって、あし、おっきいひとばっかりで……、わかんなかったんだもん……」
むくれたように頬を膨らませる中也。知能まで幼くなっているせいで、普段なら絶対に言わないような素直な甘え文句がぽろぽろと飛び出す。
太宰のサディスティックな心が、その様子を見て激しく揺さぶられた。可愛い。あまりにも可愛すぎる。普段は「手前、ぶっ殺すぞ!」とナイフのような視線を向けてくる恋人が、今は自分なしでは生きていけない雛鳥のようになっているのだ。
いじめてみたくなるのは、太宰治という人間の性だった。
太宰は中也を抱っこしたまま、人通りの少ない静かな公園のベンチへと移動した。
膝の上に中也を乗せ、太宰の長い腕で包み込むようにしてホールドする。こうして密着していれば、異能は少しずつ解けていくはずだった。
「ねぇ、中也」
「ん……?」
涙が引いて、少し落ち着いた中也が、太宰の顔を見上げる。その無垢な瞳を見つめながら、太宰は意地悪な声色を作った。
「君、元の姿に戻りたい?」
「もどる。おっきく、なりたい。おしごと、あるもん」
「ふーん。でもさ、君のその異能、私の無効化の力が効きにくいみたいなんだよね。だから、私がこうしてずっと触れててあげなきゃいけないんだけど……。もし、君が私に反抗したり、生意気な態度をとったりしたら、手を離しちゃおうかな」
「え……?」
中也の青い瞳が、不安げに揺れた。太宰はさらに顔を近づけ、大真面目な顔をして嘘を重ねる。
「いい? もし今、私に抵抗して逃げ出したりしたら、一生その姿のままになっちゃうかもしれないよ? そうなったら、大好きな高級ワインも一生飲めない。あの生意気な赤いバイクにだって、足が届かないから二度と乗れない。ずっと、そのちっちゃくて弱い、何もできない子供のままだ。……それでもいいのかい?」
幼児化した中也の頭にとって、「一生このまま」という言葉は、この世の終わりと同義だった。太宰の少し低い声が、恐怖を煽る。
「や、やだぁ……!」
中也の目から、再びじわりと涙があふれ出した。恐怖と悲しみで、小さな肩が震える。
太宰のシャツの胸元をぎゅっと掴み、必死に首を振った。
「やだ、もどりたいっ……! わいん、のむ……! ばいく、のるの……! だざい、おてて、はなさないでぇ……!」
「じゃあ、大人しく私のおもちゃになる? 嫌だって言って、暴れたりしない?」
「う、ううん……。あばれない……。やめてって、いわない……」
中也は半べそをかきながら、コクコクと頷いた。
その健気で必死な姿に、太宰の胸の奥がキュンと鳴った。いじめているのは自分なのに、あまりの愛らしさに理性が溶けそうになる。
「よろしい。じゃあ、ちょっとだけご褒美ね」
太宰は、中也の柔らかい頬を指先でぷにぷにと突き始めた。
「あ、う……、だざ、くすぐったい……」
「ほらほら、抵抗しちゃダメなんだよ? 一生このままになってもいいの?」
「うぅ……、やだ、やめてぇ……」
中也はふにゃふにゃと両手を動かして、太宰の指を押し返そうとするが、五歳の腕力では何の抵抗にもなっていない。むしろ、太宰の指を小さな両手で包み込むような形になってしまい、余計に可愛い。
太宰はさらに、中也の細い脇腹をくすぐったり、おでこを小突いたりと、他愛のない悪戯を繰り返した。中也はそのたびに「ひゃっ」「やだぁ」と声を上げ、涙目で太宰を睨む。だが、その睨みも、今の姿では子猫の威嚇にすらならなかった。
「本当に中也はちっちゃくて可愛いなぁ。ずっとこのままでもいい気がしてきたよ」
「だめぇ……! おっきくなるのっ……!」
ぷんぷんと怒る中也の頭を、太宰は大きな手で、今度は優しく、愛おしそうになでなでした。
「よしよし、よく頑張りました」
掌から伝わる、中也の髪の柔らかさ。幼い温もり。
太宰に頭を撫でられると、中也は少しだけ安心したように、ふにゃりと表情を緩めた。なんだかんだ言っても、太宰が自分を裏切らないこと、守ってくれていることを、本能のどこかで理解しているのだろう。
しばらくの間、太宰は中也を抱きしめたまま、静かにヨコハマの海を眺めていた。中也は太宰の心地よい体温と、絶え間なく注がれる異能無効化の刺激に包まれ、次第にとろとろと眠気に襲われ始めた。
「だざい……」
「ん?」
「……すき」
消え入りそうな声で、中也が呟いた。
太宰は目を見張り、それから、誰にも見せたことのないような、心底愛おしそうな苦笑を浮かべた。
「ずるいねぇ、中也は。そんな姿で、そんなことを言うなんて」
それから、数時間が経過した。
西の空が茜色に染まり、影が長く伸びる頃。
太宰の膝の上で、すやすやと眠っていた中也の身体に、異変が起きた。
体内に残っていた敵の異能が、数時間に及ぶ『人間失格』の接触によって、完全に摩耗し、限界を迎えたのだ。
ぽん。
静かな公園に、間抜けたような、しかし小気味いい音が響いた。
次の瞬間、太宰の腕の中にあった「ちっちゃくて軽い生き物」が、一気に質量を増した。
「……う、ん……」
低く、聞き馴染みのある、しかし大人の女性の艶を含んだ声が漏れる。
太宰の膝の上に収まっていたはずの身体は、長い四肢を取り戻し、ベンチからはみ出すようにして横たわっていた。
中也はゆっくりと、二十二歳の、ポートマフィア最高幹部としての鋭い青い瞳を開いた。
「……あ? ……ここは……」
中也は頭を振る。知能が急速に大人へと戻り、これまでの記憶が鮮明に蘇ってきた。
迷子になって泣いたこと。太宰に拾われたこと。一生このままだと脅されて、半べそをかいて「離さないで」と縋ったこと。そして、最後に「すき」と言ったことまで。
「ッ!!!!」
中也の顔が、一瞬で真っ赤に染まった。
「て、手前ェ!! 太宰!! 」
ガバッと起き上がり、太宰の胸ぐらを掴もうとする中也。
しかし、その瞬間、二人はあることに気づいた。
中也は幼児化している間、大人の頃にベースとして着ていた服を、ずっと「引きずって」着ていた。つまり、ワイシャツやベスト、上着といった衣服は、サイズこそぶかぶかだったが、中也の身体を常に覆っていたのだ。
そのため、元の二十二歳の身体に戻った瞬間。
「……あれ。裸じゃない」
太宰が、本気でつまらなさそうな、心底残念そうな声を上げた。
中也の身体には、いつも通り、ぴったりとサイズの合ったマフィアの衣服が、何一つ乱れることなく収まっていた。身体が大きくなったことで、引きずっていた裾がちょうど良い長さに戻っただけだった。
中也は自分の身体を見下ろし、服がちゃんと着られていることを確認して、ホッと胸を撫で下ろした。だが、太宰のその「つまらん」と言わんばかりの表情を見て、再び怒りが頂点に達した。
「何残念そうにしてんだ、この変態青鯖!! 手前、俺がちっちゃくなってるのをいいことに、散々弄びやがって……!」
「酷い言い草だねぇ、中也。私は君を迷子から救い出し、数時間もこうして抱っこして、異能を治してあげた命の恩人だよ? 感謝されてもいいはずだ」
「脅して泣かせただろうが!!」
中也はベンチから立ち上がり、太宰を威嚇するように睨みつける。いつもの、傲岸不遜で、強くて、美しい中原中也がそこに戻っていた。
太宰はベンチに背を預け、そんな彼女を、どこか名残惜しそうに見上げた。
「まぁ、元のサイズの中也も、怒った顔が相変わらず狂暴で、私好みではあるけれどね。……でも、さっきの『だざい、すき』ってやつ、もう一回言ってくれない?」
「死んでも言うかァァァッ!!!」
真っ赤になった中也が、渾身の力で太宰の脛を蹴り飛ばした。
「痛いっ! 暴力反対! 停戦中だよ!?」
「うるせぇ! これは私闘だ!!」
夕暮れの公園に、二人の騒がしい声が響き渡る。
身体も知能も元通り。けれど、繋いだ手の感触と、夕日の暖かさだけは、ちっちゃかったあの時間から、ずっと変わらずにそこにあった。
コメント
6件
中也の幼児化なんて絶対可愛いに決まってる!!正直なところ、幼児化した中也が普段なら絶対着ないめちゃかわな服を着てたり、裸になってしまって大人の時間な展開になったりも好きだけど、今回のような平和な感じがベストヒットでした!!!次回も楽しみです!!
めちゃ癒し作品でした 文面からでも癒しの空間が体験できて最高!! 中也♀が迷子なって泣いちゃう姿や言葉が覚束ない様子は勿論なんですが、何よりも幼くなった影響が精神面にも反映されて、太宰さんに「好き」って言ってる中也♀が天使すぎました。 その様子を楽しんで虐めてる太宰さんと、翻弄されてる中也♀が最高でした。 “太中2連続”を怒る人は、まだ太中の魅力に出会えてない方です!!(持論)
太宰さんって中也とかのことからかうのうまいんだよなぁ…… ちゅやはおとなしく太宰さんに従っててください(?) 夏の穂さんの小説読めてまじで楽しかったです!(*'▽')(⋈◍>◡<◍)。✧♡
霰石
1,010
じこまん
49
怜
206
碧瑠(みどる)&理雨
44