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ドルトルージェ王宮に着いた時は、激しい雨が降っていた。
激しい雨が降ることが多いドルトルージェでは、家のそばに大きな葉の木を植える人が多い。
その理由がわかった気がした。
雨や日差しを遮るのに便利で、葉の下では、テーブルと椅子を置き、お茶や食事を楽しむ人をよく見かけた。
今日は、雨宿りをしつつ、戻った私たちを迎えてくれる。
「シルヴィエのおかげで、どこへいっても歓迎されてよかった」
「アレシュ様が人気なんですよ」
「いや、半分以上はシルヴィエを見ていたと思うぞ。俺の顔なんか国民は見飽きているからな」
「見飽きるなんてことありません!」
全力で否定すると、アレシュ様は笑った。
「なら、ずっと――」
「はいはい、そこまでにしてくださいね~。いちゃいちゃするのはいいんですが、みなさんが待ってますからね~」
カミルは容赦なく、バンッと馬車のドアを開ける。
王都へ戻るのに、ひとつ前の町で紋章入りの馬車に乗り換えた。
馬車があまりお好きでないアレシュ様だったけれど、馬に乗っていると、どこへ行くかわからないと、護衛から言われたためだった。
気安く民に声をかけたり、店で買い食いしたりと、自由に振舞い過ぎて、目が届かない。
今回は、私の護衛もあって、カミルは馬車にアレシュ様を押し込んだ。
王宮まで、なんの問題もなく到着し、降りた先には、私たちの帰還を出迎える大勢の人が並んでいた。
「おかえりなさいませ」
ずらりと並んだのは大臣と使用人たち――そして、医療院の方々。
その方々は、私を見るなり、深々と頭を下げた。
「シルヴィエ様。お帰りをお待ちしておりました」
「数百年ぶりとなる毒の神の帰還、王立医療院一同、大変嬉しく思います」
同じ制服を全員身に付け、蛇の紋章が入っている。
「ありがとうございます。でも、あの……?」
まだ詳しくない私は、なぜ彼らがこれほど歓迎してくれたのか、わからなかった。
「王立医療院は、毒の神の加護を受けた王族の方により、創設されました」
「今もなお、医療院に集められた知識により、多くの人間を助けているのです」
「そうだったのですか」
毒の神の化身であるレネは人見知りで、髪飾りに隠れていたけれど、ひょこっと顔だけ出した。
その小さな蛇に、医療院のトップである男性は、深々と頭を下げた。
男性の後ろには、緑の制服を着た侍女たちが並ぶ。
「シルヴィエ様……。旅先でのご活躍を耳にし、ずっと後悔しておりました」
「調子がいいと思われるかもしれませんが、私たちに謝罪させていただけますか」
風の宮の侍女たちが並び、床に手をつき、目を伏せる。
「申し訳ありませんでした」
「お赦しいただけるのであれば、侍女として仕えさせていただけますでしょうか」
侍女たちに近寄り、私はすとんとしゃがみ、同じ目線の高さになる。
顔を上げて、侍女たちは驚き、私を見つめた。
その瞳は涙で濡れていた、
「泣かないでください。誤解されたのも当然です。私は敵国の皇女ですし、すぐに信じてもらえるとは思っていませんでした」
ナタリーが冷たい声で言った。
「それでも、風の宮の主であるアレシュ様が、選ばれた女性です。お世話を放棄するなど、侍女としてあるまじき行為ですね」
「ナタリーはシュテファン様を信頼していますからね」
「シュテファン様ほど、賢く可愛らしい方はいらっしゃいません! もし、シュテファン様がアレシュ様と同じ立場に置かれたらと思うと、胸が痛んで……! 地の果てまで追いつめますよ」
風の宮の侍女だけでなく、水の宮の侍女が、ナタリーの殺気を含んだ低い声に、軽く身を引く。
「おい、ナタリー。俺がまるで、裏切られたみたいな言い方をするなよ」
「裏切られてるんですよ。まあ、私の目が黒いうちは、シュテファン様にそんな真似させませんけどね」
無表情でいることが多いナタリーだけど、シュテファン様に関しては違っていた。
涙をぬぐう真似をし、キッと侍女たちをにらみつけた。
シュテファン様への愛が大きすぎて、そのせいか、なおさら風の宮の侍女にあたりがきつい。
これでは、風の宮の侍女に声をかけづらい……
そう思っていると、たたたっと小さな足音がして、明るい声が響いた。
「ナタリー! おかえり!」
ぎゅっとナタリーに抱きついたのは、シュテファン様だった。
「シュテファン様っ……! もう十歳ですよ? こんな子供のような……。また身長が伸びたのではありませんか?」
「変わってないよー。一ヶ月くらいじゃ、そんな伸びないって」
「一ヶ月もです!」
「うん。僕のお願いをきいてくれて、ありがとう、ナタリー」
シュテファン様は、ナタリーの頬にちゅっとキスをする。
その瞬間、ナタリーが倒れ、動かなくなった。
「ナタリー!? ゼレナっ! ナタリーを助けて!?」
シュテファン様が慌てて、ミドリガメのゼレナ……いえ、水の神の化身であるゼレナを取り出したけど、あれはちょっとした発作だから、癒しの力は必要ないと思う。
幸せそうな水の宮の二人を眺め、そして、私は風の宮の侍女に視線を戻す。
「そうですね。では、風の宮の侍女たちには、私からの罰を受けていただきます」
びくっと侍女たちは身を震わせた。
私も少し緊張気味に、侍女たちに罰を発表した。
「私と一緒にゲームをしてください!」
「ゲーム……?」
「はい! 今まで誰とも、チェスやガードゲームなどで、遊んだことがないのです」
旅の間、アレシュ様とカミルが、楽しそうにゲームしているのを眺めているだけだった私。
二人は強くて、誰も勝てなかった。
ルールがわからなかったし、楽しそうにしている二人に水を差すのも悪くて、言い出せなかったのだ。
「私が強くなるまで、付き合ってもらいますからね!」
覚悟してくださいと、侍女たちに宣言すると、全員、なぜか泣き出してしまった。
「あっ! も、もしかして、ゲームを知らないとか……?」
うろたえた私に、アレシュ様は笑った。
「違う。可愛らしい罰だったからだ」
「そうでしょうか」
「そうだな。シルヴィエがゲームで、俺に勝ったら、全員に褒美を与えよう」
今度は歓声が上がる。
ナタリーはそれを見て、無表情だったけれど、ぼそりと言った。
「女主人を迎え、これで、風の宮は安泰ですね。やはり、主が不在では規律が乱れますから」
風の宮の侍女たちは、これで落ち着いた。
けれど、私たちが帰るのを一番待っていたのは、国王陛下だったかもしれない。
「父上と母上が、庭で待ってるよ! ハヴェルが庭をすごく綺麗にしてくれたんだ」
シュテファン様の案内で、私とアレシュ様は庭へ行く。
そこには、ドルトルージェ王国らしい鮮やかな花が増え、私が好きな|雪《スニフ》の花も植えられていた。
「おかえりなさいませ」
ドルトルージェ王国の庭師たちと庭で作業をしていたハヴェルが、こちらを向き、挨拶をした。
「ただいま帰りました。ハヴェル、とても美しい庭ですね」
「完成にはまだ遠いですが、シルヴィエ様の意見をお聞きしたいと思い、お帰りを心待ちにしておりました。旅はいかがでしたか?」
「とても有意義でした。見てください。私の髪飾りのところに、レネがいるんですよ」
「これが、毒の神……」
初めて見たらしく、ハヴェルは驚いていた。
「ええ。呪いではなく、加護だったんです。みなさんと手を繋いでも平気ですし、食事も一緒に食べられて、ヴェールも手袋もいらないんです」
前に手を伸ばし、旅で少し日焼けした肌を見せて、私は笑った。
ハヴェルの黒髪に埋もれた青い目が、優しく私を見つめていた。
「見事な庭だ。父上も褒めていたが、腕は確かだな」
「王宮すべての庭を任せていただき、感謝しております」
一ヶ月の間に、ハヴェルは信頼を得て、王宮の庭をすべて管理できるようになっていた。
「聞いたところによると、シルヴィエ様は薬草にも興味があるとか」
「ええ。解毒薬や薬の研究をしていけたらと思っているんですよ」
毒の神の力を生かし、医療院で働く薬草師を目指すつもりだった。
「お望みなら、薬草園を作ることも可能です」
「シルヴィエのために、薬草園を作ってくれ。きっと役にたつだろう」
「アレシュ様、庭を使ってもよろしいのですか?」
「風の宮の女主人だ。ヴァルトルがとまる木さえあれば、あとは好きにしてもらって構わない」
最大の贈り物をいただいた気分になった。
では、畑をおねがいしましょう!
そう思ったけど、庭に用意された立派なお茶会の様子を見たら、言い出せなかった。
国王陛下と王妃様が待つお茶会の席は、ガラスの水差しにいっぱいに花が飾られ、果物のタルトが何種類も用意されている。
白い果肉の果物が美味しいと言ったからか、その果物とカスタードクリームがたっぷり入ったパイまである。
満開の花の中でのお茶会は、まるで一枚の絵画のようだった。
――私が好きだと言った果物のお菓子。これは、私のために用意してくれたもの。
それに気づき、思わず、泣きそうになった。
「二人とも、やっと戻ったな! 待っていたぞ!」
「レネと名付けたのでしょう? 私が妃になった時のことを思い出すわ」
王妃様は赤い毛の猫を撫でる。
火の神の化身だという王妃様の猫は、高貴な顔立ちで、すっと伸びた尻尾を左右に動かした。
「素敵なお茶会を開いてくださり、ありがとうございます。毒の神の化身をレネと名付け、戻って参りました」
銀の髪飾りから、ほんの少しだけ顔を覗かせた小さな蛇を見て、国王陛下と王妃様は微笑んだ。
風の宮の侍女がサッと現れて、椅子を引く。
シュテファン様のそばには、ナタリーが控えており、それぞれの宮の侍女たちが、世話をするためにいた。
「侍女たちは少しの間、席をはずしてくれ」
お茶がティーカップに注ぎ終わると、国王陛下は侍女たちを全員、下がらせた。
王族だけの会話――つまり、これからされる話が、内密な話であることがわかる。
それがなんであるか、すでにアレシュ様にはわかっていた。
「父上。途中で使者から聞きました。レグヴラーナ帝国から、ラドヴァン皇子とロザリエ皇女がやってくるというのは、本当ですか?」
――お兄様とロザリエが、こちらへ?
なぜ、二人がドルトルージェ王国へやってくるのだろう。
二度と来ないと思っていた。
アレシュ様の表情は険しく、国王陛下と王妃様も同じ。
「帝国は以前より、こちらを敵国とみなしているからな。だが、皇位継承権を持つ子供を二人同時に寄越すのには、意味があるのか」
「俺が誕生パーティーへ行った時、ロザリエ皇女の体は弱かった。健康であると見せかけたいのかもしれないですね」
アレシュ様はロザリエをよく思っていないらしく、笑っていたけれど、目は冷ややかだった。
「俺としては、ラドヴァン皇子が皇帝になったほうがいいと思ってますよ。今のレグヴラーナ帝国の民に必要なのは、戦争で荒れた土地を癒す内政者です」
――アレシュ様はよく人を見ていらっしゃる。
お兄様は民の生活に目を向けた本をよく読まれていた。
私に貸してくれた本は、そんな本が多かった。
お兄様が得た知識は、暗殺計画のために使われるものではなかったのに……
「領土を豊かにしたい帝国の貴族たちも同じ気持ちだろう。事実、ロザリエ皇女の即位を反対しているらしい」
「皇帝陛下が命じても、貴族たちがロザリエ皇女の結婚相手として、名乗りをあげないのは、無言の訴えなのよね……。気づいていないようだけど」
王妃様は頬に手をあて、ため息をついた。
お父様も貴族たちの反対を押しきって、ロザリエを即位させるのは難しいと知った。
でも、お父様はなにかたくらんでいるはず。
意味もなく、ロザリエを敵国へ寄越すとは思えない。
「アレシュ、どうする? お前が帰ってきてから、向こうへ返事をしようと思っていたが」
お兄様は前回の失敗により、皇位継承者から外された。
もう一度、その地位に戻るには、なにか功績が必要だった。
お父様はお兄様に提案しただろう。
――アレシュ様を殺してこいと。
「向こうが来たいというのであれば、来ればいい。父上、受けてください」
アレシュ様は余裕の表情で、お茶を口にする。
「お前は本当に好戦的だな」
「血筋ですよ」
国王陛下は反対せず、二人はよく似た顔で微笑みあった。
アレシュ様は強く、私にはレネがいるから、心配する必要はない。
――大丈夫。
そう思った私の視線の先に、ちらりと見えたのは、黒髪の男。
ハヴェルが草木の陰に潜んでいた。
私が見ていることに気づくと、ハヴェルは身を翻し、去っていくのがわかった。
その姿を見つめ、この国に帝国が、争いを持ち込まないことを私は、心から祈っていた――