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眠狂四郎
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上野文
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こはる
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第274話 数字を繰り返す男
【異世界・王都イルダ西部/旧砦へ続く街道・午後】
王都を出た馬車が、西へ伸びる街道を進んでいた。
目的地は、二十年以上前に使われなくなった旧砦。
候補C――意味の分からない数字を繰り返す男性が目撃された場所だ。
馬車にはハレル、サキ、リオ、アデルと三名の警備局員が乗っている。
候補Aの女性は帰還保護区画へ移され、左足の治療を受けていた。
深灰の森で発見された佐野悠真も、ヴェルニたちに付き添われながら王都へ向かっている。
一人目。
二人目。
まだ帰還できたわけではないが、少なくとも生存者を見つけることはできた。
「今度の人は、どれくらい前から砦にいるんですか」
ハレルが尋ねる。
分析室にいるノノの声が返った。
『最初の目撃記録は一年ちょっと前。でも、その時からずっといたかは分からない』
アデルが資料を見る。
「数字を口にしているという話だったな」
『うん。同じ組み合わせを何度も繰り返すらしい』
水晶板を通じて送られてきた記録が表示される。
《六》
《十七》
《二十三》
《九》
そして少し間を空けて、
《四十二》
同じ五つの数字。
順番もほぼ変わらない。
リオが腕を組んだ。
「命令みたいにも見えるな」
『私も最初はそう思った』
ノノが答える。
『Cが名前や記憶へ入り込む時、短い言葉や数字を使う可能性はあるから』
サキがスマートフォンを見る。
「reは?」
画面の中でreは弱く光っているものの、特に警告は出していなかった。
ハレルは数字をもう一度見る。
「でも、本人に聞くまでは分からない」
「ああ」
アデルが頷いた。
「今日はそれを確かめる」
◆ ◆ ◆
【西部旧砦】
砦は丘の上にあった。
石造りの外壁は半分ほど崩れ、門も片側しか残っていない。
周囲には背の高い草が生い茂り、かつて兵士が歩いたであろう通路にも木の根が入り込んでいた。
警備局員の一人が周囲を確認する。
「最近、人が通った跡があります」
草が踏まれている。
砦の中へ続く細い道だ。
アデルが手で合図する。
「武器は抜くな。姿を確認するまでは距離を取る」
全員が頷き、ゆっくり中へ入る。
中央の広場には誰もいない。
壊れた見張り台。
崩れた倉庫。
奥には兵舎だったと思われる細長い建物が残っている。
その時。
サキが小さく言った。
「聞こえる」
全員が止まる。
風の音に混じって。
男の声。
「……六……十七……二十三……九……」
少し間。
「……四十二……」
リオが声の方向を見る。
「奥だ」
アデルが先頭に立つ。
兵舎の裏側へ回ると、崩れた石壁のそばに一人の男が座っていた。
四十歳前後。
髪も髭もかなり伸びている。
着ている服は異世界のものだった
だが、何枚も重ね着しているため、元からこの世界の服だったのか、
あとから手に入れたものなのかは分からない。
男は地面を見つめている。
右手には細い石。
その石で、地面へ数字を書いていた。
6
17
23
9
42
書き終える。
しばらく見つめる。
そして手のひらで消す。
もう一度、最初から書く。
「六……十七……二十三……九……四十二……」
ハレルは少し離れた場所でしゃがんだ。
「聞こえますか」
男の手が止まった。
顔だけがゆっくり上がる。
目はハレルを見るが、すぐ地面へ戻った。
「六……」
「俺たちは王国警備局から来ました」
「十七……」
「あなたを連れていくためじゃなくて、話を聞きに来ました」
「二十三……九……四十二……」
反応がない。
サキが不安そうにアデルを見る。
アデルは急がなかった。
「食べ物を置く」
警備局員から受け取った袋を地面へ置き、数歩下がる。
男の目が一瞬だけ動いた。
だが手は伸ばさない。
ハレルは数字を見る。
何の意味がある。
数字だけを繰り返す。
高瀬が「帰らなければならない」と繰り返していた時とは少し違う。
あの時の高瀬は、言葉を口にするたびに何かに引っ張られているようだった。
この男は違う。
忘れないために。
何度も確かめているように見える。
「数字を忘れたくないんですか」
男の手が止まった。
初めて。
明確な反応だった。
ハレルは続ける。
「それ、大事な数字ですか」
男の唇が動く。
「……消える」
「何が?」
「忘れる」
声は掠れていた。
「忘れるから……書く」
ハレルとアデルが視線を交わす。
命令ではない。
少なくとも本人はそう認識している。
「何を忘れるんですか」
「分からない」
男は首を押さえた。
「でも、これを忘れたら……全部なくなる」
◆ ◆ ◆
【王国警備局/臨時分析室】
ノノはすぐに五つの数字を記録した。
六。
十七。
二十三。
九。
四十二。
同じ組み合わせを複数の現実側データベースへ送る。
日下部にも照合を依頼する。
『数字だけだと候補が多すぎる』
日下部の声が返る。
『日付、時間、住所、電話番号、駅番号、何にでも当てはまります』
「分かってる。でも、一個ずつ見る」
ノノは男の反応波形も確認した。
数字を口にするたび、意識反応がわずかに強くなる。
逆に、数字を言わずにいる時間が長くなると反応が落ちる。
「命令じゃない」
セラが尋ねる。
「分かるのですか」
「少なくとも、言わされてる反応じゃない」
ノノは波形を指す。
「自分から思い出そうとしてる時の動きに近い」
別の水晶板には高瀬の過去データ。
高瀬が外部から混ぜられた言葉を口にした時とは、反応が違う。
「この人、自分で数字を残してる」
セラが静かに言った。
「記憶を失わないために?」
「たぶん」
ノノは五つの数字を見る。
「問題は、何を残したかったのか」
◆ ◆ ◆
【西部旧砦】
男はようやく食べ物へ手を伸ばした。
パンを少しずつちぎり、ゆっくり口へ運ぶ。
ハレルたちは距離を保ったまま待っている。
サキが地面の数字を見る。
「六と十七って、六月十七日とか?」
男の手が止まった。
ハレルが気づく。
「六月十七日?」
男の眉が寄る。
何かが浮かびかける。
だが。
「違う……」
頭を押さえる。
「違う?」
「六……」
男は苦しそうに目を閉じる。
「六時……」
ハレルが息を止める。
「六時?」
「十七……」
その先が出ない。
リオが口を挟まずに男を見ている。
アデルも待つ。
男は地面へ十七と書いた。
「十七……番……」
「十七番?」
「二十三……」
今度は自分から続ける。
「二十三……時……?」
男自身も確信がない。
記憶が断片になっている。
ハレルは通信へ尋ねた。
「ノノ、何か分かった?」
『今照合してる。もう少し待って』
男が四十二を書く。
そして九。
先ほどとは順番が変わった。
サキが気づいた。
「数字の順番、絶対じゃないのかも」
「そうかもしれない」
ハレルは五つを別々に見る。
一つの暗号ではなく。
それぞれ別の記憶。
それを忘れないように、まとめて繰り返していたのではないか。
イヤーカフから日下部の声が入った。
『一件、候補があります』
ハレルたちが耳を傾ける。
『現実側の失踪者記録から、男性の身体的特徴が近い人物を絞り込みました』
ノノが続ける。
『名前は三浦啓介。失踪当時四十一歳』
男の手が止まった。
地面に落ちていた石が転がる。
ハレルは男を見る。
「三浦……啓介」
男の唇が震えた。
「み……うら……」
サキが息を呑む。
「知ってる?」
男は胸を押さえる。
「啓介……」
反応が一気に強くなる。
ノノの声も少し上ずった。
『名前反応、出てる!』
ハレルはそれ以上近づかなかった。
「あなたの名前ですか」
男は目を閉じた。
長い間。
そして。
「……そうだ」
目を開く。
「俺は……三浦啓介」
◆ ◆ ◆
名前が戻ったことで、数字の一部も急に形を持ち始めた。
日下部が現実側の三浦啓介の記録を調べる。
『失踪当日、午後六時十七分に駅の改札を通過しています』
ハレルが地面を見る。
六。
十七。
『その後、二十三番のコインロッカーを使用』
二十三。
三浦の顔が変わる。
「鞄……」
「鞄?」
「入れた……ロッカーに」
日下部が続ける。
『ロッカー番号二十三。警察記録にも残っています。失踪後に回収されています』
残る数字。
九。
四十二。
ノノが聞く。
『住所は?』
日下部が調べる。
少し間。
『東京都内。番地に九があります。ただし四十二はありません』
三浦が突然顔を上げる。
「四十二……」
手を震わせながら、自分の左手を見る。
「四十二……」
何かを思い出す。
「四十二号室」
日下部が検索する。
『勤務先……違います』
次。
『失踪当時、入院中の母親がいた病院』
三浦の呼吸が止まる。
『病室――四十二号室』
「母さん……」
声が変わった。
数字ではない。
人を思い出した声。
「母さんの病室だ」
三浦は両手で顔を覆った。
「俺……何で……」
ハレルは黙って待った。
「仕事のあと……病院に行くつもりで」
記憶が少しずつ繋がる。
六時十七分。
駅。
二十三番ロッカー。
住所の九。
母親の四十二号室。
全部。
三浦啓介が自分の生活を失わないために、最後まで握っていた数字だった。
「だから書いてたんだ」
サキが小さく言う。
三浦が頷く。
「名前を忘れた」
「家も、駅も、顔も……」
地面の数字を見る。
「でも、数字だけ残った」
アデルが静かに尋ねた。
「誰かに数字を言えと命じられたわけではないんだな」
三浦の表情が硬くなる。
「声は……あった」
「どんな声だ」
「名前を聞く声」
ハレルたちの空気が変わる。
佐野悠真も同じことを言っていた。
黒い服の者たちに追われ、頭の中で名前を言えと聞かれた。
「答えた?」
三浦は首を振る。
「忘れてたから」
皮肉だった。
名前を失っていたからこそ。
敵にも名前を渡さずに済んだ可能性がある。
リオが低く言った。
「見つけられなかったんだな」
アデルが頷く。
「だから放置された」
三浦は二人を見る。
意味は分かっていない。
今は説明する必要もない。
ハレルが尋ねた。
「三浦さん」
「……はい」
名前を呼ばれるたび、三浦の意識反応が少しずつ安定する。
「今、帰りたい場所はありますか」
三浦は黙った。
地面に残る四十二を見る。
「母は……」
日下部の声が一瞬止まった。
失踪から一年以上。
確認しなければならない。
だが今この場で、軽々しく答えることもできない。
『現在の状況を調べます』
日下部が言った。
『確認してから伝えます』
三浦は目を閉じる。
それから。
「日本に帰りたい」
はっきりと言った。
「何が残ってるか分からなくても」
一度息を吸う。
「自分で確かめたい」
ハレルが頷いた。
「分かりました」
アデルが警備局員へ合図する。
「帰還保護区画へ移送する」
三浦は警戒した様子を見せなかった。
先ほどまでとは違う。
まだ記憶は欠けている。
それでも。
自分の名前がある。
帰りたい場所もある。
◆ ◆ ◆
【現実世界・関東圏/福祉施設・午後】
城ヶ峰と木崎は、古い三階建ての建物の前に立っていた。
見つかった異世界出身者候補。
七年前、身元不明の状態で公園に倒れていた男性が、現在暮らしている施設だ。
日下部は臨時分析室から遠隔で支援している。
木崎が建物を見上げる。
「七年か」
「ああ」
「その間ずっと、こっちで生きてきたんだよな」
城ヶ峰は答えなかった。
施設職員には、「過去の身元確認に関する再調査」
とだけ説明してある。
異世界。
転移。
そんな言葉はまだ使っていない。
受付を済ませ、二人は面談室へ案内された。
数分後。
扉が開く。
一人の男性が入ってくる。
年齢は五十歳前後。
短く整えられた髪。
普通のシャツ。
普通のズボン。
七年前に王都の長衣を着て倒れていた人間には見えない。
男性は城ヶ峰たちの前へ座る。
「警察の方だと聞きました」
日本語だった。
少し訛りはある。
だが、問題なく話している。
城ヶ峰が尋ねた。
「日本語は、こちらへ来てから?」
男性の顔が止まった。
「……こちらへ?」
城ヶ峰はその反応を見逃さない。
「失礼。七年前に保護されてから、という意味です」
男性は少し警戒しながら頷いた。
「そうです」
木崎が机の上へ一枚の写真を置いた。
七年前に押収された硬貨。
王都イルダの紋章に似たもの。
男性の顔から、表情が消えた。
「これを覚えていますか」
男性は長い間、写真を見つめた。
そして、震える指で触れた。
「……イルダ」
城ヶ峰と木崎は何も言わない。
男性が顔を上げる。
「なぜ」
声が揺れる。
「なぜ、あなたたちがこれを持っているんですか」
現実世界側でも、一つの失われた名前が
もう一度、元の世界へ繋がろうとしていた。
コメント
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第274話、じっくり読ませていただきました。「数字を繰り返す男」が、ただの命令ではなく、**忘れないための自分なりの抵抗**だったという真相に、胸がぎゅっと締めつけられました。特に「名前を忘れていたから敵に名前を渡さずに済んだ」という皮肉な運命の巡り合わせが、とても切なかったです。三浦さんが「母さんの病室だ」と気づく瞬間、声を思い出したみたいに震えました。現実世界側でも新たな手がかりが動き出し、どちらの世界も同時進行で戻っていく感じが、この物語の厚みを感じさせてくれます。次も楽しみにしています🌷