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まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
☁︎·₊°
春の季節、木にはまだちらほらと桃色の花びらが見えるけれど、ほとんどの花びらが地面に落ちて踏まれて少し黒ずんでいた。それを少し見つめてから顔を上げて前を向く。
その春、私は地元から少し離れた大学に入学した。
過保護な両親から少しでも自立して暮らしてみたくて、反対されていたのを押し切り、初めて親の目に届かない場所で生活を始める。
少し移動するだけで自由になれた気がして、この大学の4年間の生活が良い物になる事を期待して胸が躍っていた。
入学してから数日経過しても、まだサークルの勧誘活動がどこも活発に動いていて、友人とキャンパス内を歩いているだけでもかなりの数の勧誘を受けた。
「どのサークルに入る?」
「夏帆は気になった所あった?」
友人と相談しながら、受け取った数枚のチラシを一緒に見ている。
運動は二人とも得意ではないので、写真サークルや映研など、文科系のサークルを視野に入れていたけれど、特にこれといったものはなかった。
友人も同じようで、険しい表情でチラシを眺めている。
「うーん、あんまりパッとしないなぁ。旅行サークルとかもあるんだって」
「旅行サークルなんてあるの? 楽しそうね」
チラシを見ながら歩きつつ、前方をちらっと確認すると、数名の男子がこちらに歩いてきていた。
その中に、特別綺麗な顔をした男子がいた。その人が、雅だった。
大げさかもしれないけれど、こんなに綺麗な顔をした男性に出会ったことはなかった。一瞬にして目を奪われ、まさかの一目惚れだった。人生で初めての感覚に、胸が高鳴る。
思わず長い間見つめてしまい、気づけば彼もふと目を上げて目が合う。
見すぎて目が合ってしまったことが恥ずかしく、慌てて視線を下にずらす。顔にかかっていた髪を耳に掛け、気にしていないふりをした。
それでも心臓はバクバクと鳴っていて、顔が赤くなっていないか、と気にしながらも必死にポーカーフェイスを装った。
「そこの子達、サークル悩んでる?」
雅の隣にいた男子に声をかけられ、私は顔を上げられず、代わりに友人が答えてくれた。
まだ顔が熱く、雅の顔をもう一度見たら一目惚れしたことがバレてしまうのではと怖かった。
当然、話は頭に入らず、下に視線を落として周りの靴を眺めていた。
「夏帆、ここにしようよ!」
「え、ごめん、聞いてなかった」
「もう! 旅行サークル! 気にしてたじゃん~!」
「あー……」
苦笑いを漏らし、前方の男子三人を見る。
そのうちの一人が「気になってくれてるなら、入るしかないじゃんね!」と笑顔を向けてくれた。
私は思わずもう一度、雅の方を見た。すると、彼は目を逸らすことなく、真っ直ぐ私を見返していた。
目が離せなくなった私を見て、彼はふっと笑みを零す。そして少し屈んで目線を合わせ、「おいでよ」と声をかけた。
その瞬間の、私の顔は真っ赤だったと思う。今まで感じたことのない熱に包まれ、恋に落ちるまでのカウントダウンが鳴り響いているようだった。
好きになりかけている人に、こんな誘われ方をされたら断れるはずもなく、私は首を縦に振りサークルに加入した。
⏲
それから数日後、サークルの新入歓迎会があった。
人はそれなりにいて、この空気に慣れない私は、隅の方でソフトドリンクをちょびちょびと口にしていた。
友人も最初はそばにいたが、先輩方に呼ばれて楽しそうに話し込んでいる。
私はこういう場に打ち解けるのがとにかく苦手で、どのグループにも入れなかった。
このままこっそり帰っても、誰も気づかないかもしれない。そう思いながらスマートフォンを開く。時計は午後九時を指していた。そろそろ帰ろうと、鞄に手を伸ばす。
その時、空いていた隣の席に誰かが座り、突然手首を掴まれた。
驚いてそちらを見ると、雅だった。
まさか、気になっていた人がこんな風に近づいてくるなんて、と鼓動が鳴り、思わず息を呑む。
「もう帰んの?」
「え、あ、はい」
突然来て、突然話しかけられ、私は上手く言葉を出せないでいる。
すると雅は、握っていた手首を今度は両手で包み込み、ぎゅっと握った。
「今帰られると寂しいから、もうちょっとだけ話してかない?」
そのふれあいだけで、鼓動は早くなる。雅から手を離すことなんて、もうできなかった。
「あ……、でも、私、こういう場苦手で……」
「俺も本当は大人数で話すより、二人で話す方が好き」
「え、でもさっきあんなに囲まれてましたよね?」
「寄ってくるんだよね、何か。本当はずっと早く話してみたかったのに、おかげで来るの遅れた」
雅の言葉に、胸がじんわりと熱くなる。
特別扱いじゃないなんて、そんなのはわかっている。
それでも、こんなふうに気にかけてもらえるのは、やっぱり嬉しかった。
「何で、話してみたいって思ってくれたんですか?」
「初めて会った時、目が合ってずっとどんな子なのかなって思ってた。サークルも他に行ってほしくなくてアプローチしたの俺だし」
「……そうやってサークルの人集めてるんですか?」
「何言ってんの。誰にでもしないよ。それにサークルの人数なんて俺からしたらどうでもいいし」
絶対に嘘だとわかっているのに、話しているうちにどんどん惹かれていく。
帰ろうと思っていたのに、その場でしばらく雅と話し込んでしまった。二次会の話で周りは盛り上がっていたけれど、私たちは完全に別世界で、笑いながら二人で話すことに夢中だった。
「夏帆ちゃんは、こういう居酒屋とかよりもバーとかのが好きそう」
「行った事無いです。お酒まだ飲んだ事無いですし」
「真面目。バーはノンアルも扱ってる所多いから、夏帆ちゃんも気に入る飲み物あると思うよ。今度一緒に行ってみる?」
「え、一緒に?」
「嫌?」
雅の言葉に顔を横に振ると笑って「良かった」と言葉を零した。
まだ周りは二次会に向けて盛り上がる気配もなく、雑然と騒いでいるだけ。
それを見て、雅はそっと私の方に寄り、声をかけた。
「ねぇ」
その声で引っ張られるようにもう一度雅の方を見る。
「この後、用事なければ抜け出さない?」
耳元で囁かれて、顔が熱くなる。
雅も、もしかしたら私との時間が終わるのが惜しいのかも、なんてそんな風に勘違いしそうになった。
周りには綺麗な人やノリのいい人がたくさんいたのに、どうして私だったのかと、不思議だった。
「何で……?」
「もっと、二人でいたいから」
そんな言葉を聞いたら、拒めるわけがない。
ここで捕まったらまずいと分かっていても、この悪い誘いに乗って、誰にもバレないようにこっそり店を出てしまった。
幸い、誰にも気付かれなさそうで安堵する。でも、人気のあるこの人をひとり占めしていると思うと、少しだけ罪悪感もあった。
私なんかが、この人と二人で過ごしていいのだろうか、と。
その複雑な気持ちとは裏腹に、雅は前だけを向いて歩く。店を出てからずっと、私の手を離さないで、逃がさないようにしているみたいに。
「誰にも言わないで、良かったんですかね」
「良いよ。誰も気にしてないから。でも、面倒だし、二人の秘密」
大人っぽい雰囲気で、会話もリードしてくれる雅。
同級生では感じられなかったときめきが、目の前の彼には溢れていて、見た目もタイプで、恋に落ちるのは一瞬だった。
二人で居酒屋を出て、どこに行くかもわからない。
危険だと思う気持ちもあるのに、この人となら、どんなことがあってもいいかもしれないと、そう思ってしまった。
「あの……、雅先輩。この後は……?」
「二人きりになれる所」
そう言われ、自然と頭に浮かぶのは、入ったこともないけれど、ネオン街に光る大人のホテルだった。
雅はきっと家に女性を連れ込むような人じゃない。そう思ったのは、どこか雅の警戒心の強さを感じたからだ。誰と話すにも一線を引き、簡単には気を許さない。きっと誰も簡単に自分のテリトリーには入れない。
ホテルなんかに連れ込まれたら、間違いなくただの後輩ではいられない。その上、彼女にもなれないと思った。
そして何より、私は男性とそういう経験がない。もし初めてだとバレたら、面倒だと思われて離れられるかもしれない。
雅を見ると、彼は軽く首を傾げてこちらを見つめる。その視線のまま、手を引かれ、触れるだけのキスを唇に落とされた。
簡単に奪われ、思わず固まる。
あっさり奪われたキスなのに、嫌な気持ちはしない。
至近距離で見つめ合う視線に、心臓がうるさく鳴る。
「俺の家、近いんだけど、来る?」
家に呼ばれた瞬間、驚きで息が止まる。こうなる覚悟はしていたけれど、まさか家に呼ばれるなんて思ってもいなかった。
安直で判断力のない私と、手慣れた危険な彼。
引くなら今しかない。
そう分かっていても、この関係をここで切りたくない。
そんな不安と好意を抱えたまま、首を縦に振る。
もし、一夜でも彼に”初めて”を捧げられるなら、一生の思い出になるかもしれない。だけど、初めてだということは絶対に隠さないといけない。
緊張と恐怖が入り混じる胸の中で、私は後戻りできないことを悟った。
雅のアパートに入った瞬間、照明を点ける間もなく壁に押し付けられた。背中に走る硬い衝撃と同時に、熱い唇が重なる。
先ほど外で交わした、触れるだけの形ばかりのキスじゃない。私の唇を何度も深く食むような口づけ。それだけで頭の芯が痺れ、視界がふわふわと溶け始めていく。
唇が離れたそのわずかな間に「……口、開けられる?」と掠れた声が降ってきた。促されるまま震える唇を割くと、「いい子」と満足げに目を細め、熱を帯びた舌が侵入してくる。
経験したことのない深さに呼吸の仕方を忘れ、苦しさで軽く雅の胸元を叩くと、ようやく唇が離れた。
「……初めて?」
耳元で甘く名前を呼ばれる。その響きだけで背筋をゾクッとした快感が駆け抜けた。私はこの人の声さえも好きだと思い知らされる。
「教えて、夏帆」
耳元で甘く囁かれる言葉と、呼び捨てにされている自分の名前を聞かされただけで、何故かゾクッとした。きっとこの人の声も好きだったのだと思う。
「……初めて、じゃないけど、回数は多くないから、慣れてないかも……」
初めてだと知られたら、遊び慣れたこの人に飽きられてしまう。
そんな恐怖から、すぐに露呈するような嘘を吐いた。雅がどんな表情をしているのか直視できず、逃げるように視線を斜め下に落とす。
「へぇ、初めてじゃないんだ」
地を這うような低い声が聞こえてきたけれど、私は自分の嘘を突き通すことだけに必死だった。
「口開けて。キス中も息ゆっくり吸って吐かないと死ぬから、頑張って息して」
今度は、先ほどのような優しさは微塵もなかった。逃げようとする頭を強引に固定され、激しく、深く、舌を絡め取られる。
気のせいかもしれないけれど、彼の指先や雰囲気が、ほんの少し、どこか怒っているように感じた。
かろうじて出てきた優しさで「息して」と促されても、それに応える余裕など微塵もない。
必死に食らいつく私を、彼は時折解放しては、肩で息をする様子を静かに見つめる。そして、酸素を吸い込んだ唇を再び何度も執拗に奪った。キスという行為がこれほどまでに甘く、脳を溶かすものなのだと骨の髄まで教え込まれていく。
「初めてじゃないなら遠慮いらないよな。ここでする? 大きな声出したら隣の人に聞かれそうだけど」
口付けの合間にそう耳元で低く囁かれ、私は必死に首を振った。いくら嘘を吐いたとはいえ、玄関先で”初めて”が終わってしまうなんて、悲しすぎる。
雅の胸元のシャツを縋るように掴んで見上げると、彼はわずかに口角を上げ、私の頬に優しく口付けた。
「上がって」
言われるがまま靴を脱ぎ、部屋の奥へ進。角に置かれたシングルベッドに腕を引かれ、抗う間もなく倒れ込んだ。
覚悟はしてきたはずなのに、いざ現実が熱を帯びて肌に迫ると、恐怖が頭のてっぺんから足のつま先まで支配し、身体が震える。
「あの……、雅先輩。シャワー……」
そう言って、ほんの少しでもいいから覚悟を決める時間を稼ごうとしたのだけれど、雅に聞き入れる気など微塵もないようだった。
「いいよ、そんなん。これ以上待てない」
遮るように強引に唇を塞がれた。
私が密かに震えていることに気付いたのか、彼は不意に指を絡め、恋人同士のような深い繋ぎ方をしてくる。
先ほどまでの乱暴さが嘘のように、今の彼は驚くほど優しい。まるで愛されているのだと錯覚させるような、甘い手つき。
体を重ねている間も、私の気持ちがどんどん彼に溺れていくのを感じ、息が詰まりそうだった。
この時間が終われば、きっと何事もなかったかのように”彼女”という肩書きさえ得られぬまま、私はまたいつも通りの渇いた日常に放り出されるのだと思う。
コメント
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うわあ……もう、すごくドキドキした……(>_<)💕 初めて会ったときの一目惚れから、サークル勧誘、歓迎会で二人きりになるところ、そして家に連れて行かれるまでの流れ、全部が甘くて苦しくて、読んでるこっちの心臓までバクバクしてしまいました。特に雅先輩の「おいでよ」って一言に全部持ってかれる夏帆ちゃんの気持ち、すごくわかる……。 でも「初めてじゃない」って嘘をつくところ、切なすぎるよ。怖いのに、それでも好きでいることを選んでしまう心情がリアルで、もっと続きが読みたくなりました。陽瀬さんの描く恋愛の温度感、大好きです🥀🤍