夜の静けさに包まれたスタジオを後にして、二人は歩いていた。
録り終えた曲の余韻がまだ耳の奥に残っていて、足取りは少し軽い。
街の灯りは遠くに滲んで、ほとんど人影のない小さな公園に差しかかる。
「ちょっと休もうか」
元貴がそう言って、ベンチに腰を下ろした。
藤澤も隣に座り、夜風を胸いっぱいに吸い込む。
「今日のテイク、よかったね」
「うん。涼ちゃんのキーボード、やっぱり頼りになるよ」
他愛もない会話。
いつもと同じ、仲間同士の穏やかなやりとり。
けれど今夜の元貴の胸の奥はざわついていた。
(……やっぱり俺、涼ちゃんのことばっかり考えてる)
スタジオでキーボードを奏でる姿。
何気なく笑った横顔。
ふとした視線の交錯――そのすべてがやけに鮮やかに焼きついて離れない。
昨夜、ひとりベッドで思わず手を伸ばしてしまった。
頭に浮かんでいたのは、藤澤の姿。
初めて“触れたい”、“触れられたい”と強く思ってしまった自分がいた。
(……俺、どうかしてる)
胸の鼓動がうるさい。
けれど視線を向けると、すぐそこに藤澤がいて、灯りに照らされた横顔があまりに綺麗で、息が詰まった。
「……涼ちゃん」
思わず呼びかけていた。
「ん?」
藤澤が首を傾ける。
唇が近い。
ほんの少し顔を寄せれば、触れてしまう距離。
――キスしたい。キスされたい。
その衝動が、元貴を突き動かした。
気づけば身体を傾け、そっと唇を近づけていた。
だが――。
藤澤はわざとらしく身を引いた。
その距離は紙一重で拒まれ、空気が張り詰める。
「……っ、ご、ごめん」
元貴は顔を赤くしてうつむいた。
心臓が破裂しそうで、耳まで熱い。
藤澤はそんな彼を見つめながら、平静を装って息を整えた。
(……元貴、可愛すぎる。今すぐ滅茶苦茶にしたい)
内心では支配欲と衝動が渦巻いていた。
キスどころか、全てを支配して、縛って、思うままに壊したい。
けれど今はその時じゃない。
ここで触れてしまえば、この甘美な依存の芽を台無しにしてしまう。
だから――わざとらしく、平常心を保った。
「……ダメだよ」
静かな声で言った。
その一言に、元貴の胸はまた強く揺れる。
拒まれた痛みと、もっと欲しいという渇きが同時に生まれる。
「……うん…ごめん。」
藤澤は微笑み、ゆっくり顔を近づける。
耳たぶに唇が触れそうな距離で囁いた。
「今度、俺の家おいで」
甘く、低い声。
背筋に電流が走る。
そして藤澤は立ち上がり、ベンチから歩き出した。
残された元貴は、頬を火照らせたまま呆然と座っていた。
⸻
耳元で囁かれた言葉が、夜になっても頭から離れなかった。
スタジオ帰り、公園のベンチで何気なく交わした会話。
けれどその一言が、元貴の心を強く掴んでいた。
(……家に行ったら、涼ちゃんは何してくれるんだろう)
玄関を閉め、部屋に戻った瞬間から、その想像は止まらなくなった。
「涼ちゃん……欲しい……」
ソファに座っても、シャワーを浴びても、胸の奥の熱は冷めなかった。
コメント
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(⑉・ロ・⑉)オォ-!いい具合に近ずいてる!!さてと続き続き!!